TOP ≫ 爆笑問題の日曜サンデー ≫ 爆笑問題・太田「テレビ的に隠していた父親のヒミツ」
爆笑問題・太田「テレビ的に隠していた父親のヒミツ」
2010.03.09 (Tue)

松村雄基は、「たまたま、書店で見つけた本が気になって、その著者の所に会いに行ったんです。そうしたら、その方が書道家で、その著者に会って話をしたら、面白かったんですよ。そこで、書道の教室に入れていただいたんです。それが30歳のことでしたね」
「そこで、徹底的に教えていただいて、行くと5~6時間は書いていて、楽しくてね。2~3年やっていて、東京書作展に出したら、2回目で内閣総理大臣賞をいただくことができたんですよ。一応、師範はとったんです。ですから、一応、書道教室の先生はできるんですよ…"新細うで繁盛記"の題字も書かせていただきました」と話していた。
これを受けて、田中は以下のように話し出した。
田中は「こいつ(太田光)の親父も趣味で書道家で、色んなお店とかに看板を書いたりとかしているんですよ」と話していた。
太田が「浅草寺の看板があるじゃないですか、あれを書いたのはウチの親父です」とボケると、田中は「そんなワケないだろ。お前の親父は、『叙々苑』の看板を書いたんだろ」と話していた。
松村は「叙々苑?そうなんですか。素敵ですね、潔い字ですよ。格好良いです。一画目がまるで剣のようでね」と、かなり興味を持った様子だった。
太田は「…ウチの親父は建築家で、叙々苑の店舗の建築をずっとやってたんです。設計をやってたんです。その時に、『叙々苑』の字を書いたんですけど…叙々苑の社長とケンカしてしまっているので、あまりそのことは放送では言えないってこともありまして…」
「だから、僕は(親父が叙々苑の看板を書いたことを)言わないつもりだったんですけど、田中が言ってしまったから…」と話していた。
【関連記事】
爆笑問題・太田が語る 「忌野清志郎との出会い」
爆笑問題・太田がM-1の審査員を出来ないワケ
爆笑問題・太田の 「いいとも特番での暴走」
同番組の過去記事
| トップページへ |