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爆笑問題・太田「テレビ的に隠していた父親のヒミツ」

2010.03.09 (Tue)
2010年03月07月放送の「爆笑問題の日曜サンデー」にて、父親の隠れた才能について語られていた。話の発端は、今回のゲストである松村雄基に書道の心得があり、1994年東京書作展で内閣総理大臣賞を受賞している腕前である、と語られていたことだった。

松村雄基は、「たまたま、書店で見つけた本が気になって、その著者の所に会いに行ったんです。そうしたら、その方が書道家で、その著者に会って話をしたら、面白かったんですよ。そこで、書道の教室に入れていただいたんです。それが30歳のことでしたね」

「そこで、徹底的に教えていただいて、行くと5~6時間は書いていて、楽しくてね。2~3年やっていて、東京書作展に出したら、2回目で内閣総理大臣賞をいただくことができたんですよ。一応、師範はとったんです。ですから、一応、書道教室の先生はできるんですよ…"新細うで繁盛記"の題字も書かせていただきました」と話していた。

これを受けて、田中は以下のように話し出した。

田中は「こいつ(太田光)の親父も趣味で書道家で、色んなお店とかに看板を書いたりとかしているんですよ」と話していた。

太田が「浅草寺の看板があるじゃないですか、あれを書いたのはウチの親父です」とボケると、田中は「そんなワケないだろ。お前の親父は、『叙々苑』の看板を書いたんだろ」と話していた。

松村は「叙々苑?そうなんですか。素敵ですね、潔い字ですよ。格好良いです。一画目がまるで剣のようでね」と、かなり興味を持った様子だった。

太田は「…ウチの親父は建築家で、叙々苑の店舗の建築をずっとやってたんです。設計をやってたんです。その時に、『叙々苑』の字を書いたんですけど…叙々苑の社長とケンカしてしまっているので、あまりそのことは放送では言えないってこともありまして…」

「だから、僕は(親父が叙々苑の看板を書いたことを)言わないつもりだったんですけど、田中が言ってしまったから…」と話していた。

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タグ : 松村雄基,太田光,

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