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バナナマン設楽、脳梗塞で倒れた父親の晩年に改めて思うこと「母親とゆっくり過ごせたのは幸せだったのかな」
2015.09.19 (Sat)
2015年9月18日放送のTBSラジオ系のラジオ番組『バナナマンのバナナムーンGOLD』(毎週金 25:00-27:00)にて、お笑いコンビ・バナナマンの設楽統が、ゲストの父母や先祖の人生を描く『ファミリーヒストリー』に出演した際、脳梗塞で倒れた後に母親に介護を受ける父親の晩年について、「ゆっくり一緒にずっと過ごせてたっていうのは、幸せだったのかなって思えた」と語っていた。
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前の記事からの続き:
バナナマン設楽、数ヶ月かけて徹底的な取材を行う『ファミリーヒストリー』に驚く「100年以上前の繋がりまで」
設楽統:始めは凄い始まり方で、「これ、本当に俺の家の話すんのかな?」ってところから入って。それが段々近づいてきてさ。
日村勇紀:うん。
設楽統:初見で観てるし、冷静になって考えると、全体のパッケージとして、要は、俺の両親の恋物語になってるわけ。100年を遡った。
日村勇紀:そう。
設楽統:それで、自分につながってるから。「ああ、これ言えば良かった」とか後で思ったんだけど、「ああ、凄い。ああ、凄い」だけでさ。
日村勇紀:うん。
設楽統:あとは単純に、両親の出会いとか。俺、知らなかったから。
日村勇紀:ご両親が…母方が福岡の久留米で。お父さんが秩父で。今だったら簡単に出会えるけど、当時、なんで出会うのかって言ったら、そのさらに上のおじいちゃんと、ひいおじいちゃんが「ここで繋がってくる」っていうのがスゲェって思って。
設楽統:うん。
日村勇紀:そこから縁があってね。お父さんが、良い手紙をお母さんに送ってたり。
設楽統:それも初めて。全然知らなかったから。手紙が中盤から後半にかけて、キーアイテムになっていくんだけど。その感じがちょっとね。
日村勇紀:そうそう。
設楽統:あとは、実際、父親が死んで3年くらい経つんだけど、要は脳梗塞で倒れるまで、セミリタイアしてから何年か働いてはいたんだけど。
日村勇紀:うん。
設楽統:そこから悠々自適じゃないけど、そういう時に病気になったから、「仕事するの生きがいだったから、仕事したかったろうな」とか。あとはゴルフしたり、旅行行ったりとか、仕事終わってそこから出来るのに、それで病気になっちゃったから。
日村勇紀:うん。
設楽統:それで、車椅子の状態で家族で行ったりとかしたことあるんだけど、そういうの出来なかったから、単純に辛いというか。「病気にならなきゃ、色々楽しめたんじゃないかな」って俺はずっと思ってたから。
日村勇紀:うん。
設楽統:だけど、今回のアレを観て思ったのは、これはちょっと恥ずかしいけど…手紙の中で、母親のことを凄い好きだったじゃない?
日村勇紀:うん。出会いがだって、かなりお母さんの若い頃に会ってるんだよね。
設楽統:11歳差なんだよね。
日村勇紀:俺、それを知らなかったのよ。
設楽統:かなり離れてるなって印象があったんだけどね。
日村勇紀:結婚した時、お父さんが30歳で、お母さん19歳なんだよね。
設楽統:そうそう。高校卒業するの待って結婚したっていうのは聞いてたんだけど。なんでそこがそんな年の差なのかっていうのも、今回は明らかになったっていうかね。
日村勇紀:そうそう。
設楽統:父親が脳梗塞で倒れて、母親が介護をずっとやってたけど、結果、今回ので割りと幸せというか。そこでゆっくり一緒にずっと過ごせてたっていうのは、幸せだったのかなって思えたんだよね。
日村勇紀:うん。なるほどね。
設楽統:でも、どんどん、俺からするとあそこには描いてないけど、あれからずっと長い間、過程があるから。「父親が弱っていく」っていうのが俺の中では乗っかってるんだよね。
日村勇紀:うん。
設楽統:だから、手紙の字が、どんどん弱ってくんだよね。
日村勇紀:うん。
設楽統:それがちょっと、きちゃったんだよね。力強い若い時の字から、どんどん…それでも、手紙を書いてるってところで…っていうのもあったね。
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設楽統:始めは凄い始まり方で、「これ、本当に俺の家の話すんのかな?」ってところから入って。それが段々近づいてきてさ。
日村勇紀:うん。
設楽統:初見で観てるし、冷静になって考えると、全体のパッケージとして、要は、俺の両親の恋物語になってるわけ。100年を遡った。
日村勇紀:そう。
設楽統:それで、自分につながってるから。「ああ、これ言えば良かった」とか後で思ったんだけど、「ああ、凄い。ああ、凄い」だけでさ。
日村勇紀:うん。
設楽統:あとは単純に、両親の出会いとか。俺、知らなかったから。
日村勇紀:ご両親が…母方が福岡の久留米で。お父さんが秩父で。今だったら簡単に出会えるけど、当時、なんで出会うのかって言ったら、そのさらに上のおじいちゃんと、ひいおじいちゃんが「ここで繋がってくる」っていうのがスゲェって思って。
設楽統:うん。
日村勇紀:そこから縁があってね。お父さんが、良い手紙をお母さんに送ってたり。
設楽統:それも初めて。全然知らなかったから。手紙が中盤から後半にかけて、キーアイテムになっていくんだけど。その感じがちょっとね。
日村勇紀:そうそう。
設楽統:あとは、実際、父親が死んで3年くらい経つんだけど、要は脳梗塞で倒れるまで、セミリタイアしてから何年か働いてはいたんだけど。
日村勇紀:うん。
設楽統:そこから悠々自適じゃないけど、そういう時に病気になったから、「仕事するの生きがいだったから、仕事したかったろうな」とか。あとはゴルフしたり、旅行行ったりとか、仕事終わってそこから出来るのに、それで病気になっちゃったから。
日村勇紀:うん。
設楽統:それで、車椅子の状態で家族で行ったりとかしたことあるんだけど、そういうの出来なかったから、単純に辛いというか。「病気にならなきゃ、色々楽しめたんじゃないかな」って俺はずっと思ってたから。
日村勇紀:うん。
設楽統:だけど、今回のアレを観て思ったのは、これはちょっと恥ずかしいけど…手紙の中で、母親のことを凄い好きだったじゃない?
日村勇紀:うん。出会いがだって、かなりお母さんの若い頃に会ってるんだよね。
設楽統:11歳差なんだよね。
日村勇紀:俺、それを知らなかったのよ。
設楽統:かなり離れてるなって印象があったんだけどね。
日村勇紀:結婚した時、お父さんが30歳で、お母さん19歳なんだよね。
設楽統:そうそう。高校卒業するの待って結婚したっていうのは聞いてたんだけど。なんでそこがそんな年の差なのかっていうのも、今回は明らかになったっていうかね。
日村勇紀:そうそう。
設楽統:父親が脳梗塞で倒れて、母親が介護をずっとやってたけど、結果、今回ので割りと幸せというか。そこでゆっくり一緒にずっと過ごせてたっていうのは、幸せだったのかなって思えたんだよね。
日村勇紀:うん。なるほどね。
設楽統:でも、どんどん、俺からするとあそこには描いてないけど、あれからずっと長い間、過程があるから。「父親が弱っていく」っていうのが俺の中では乗っかってるんだよね。
日村勇紀:うん。
設楽統:だから、手紙の字が、どんどん弱ってくんだよね。
日村勇紀:うん。
設楽統:それがちょっと、きちゃったんだよね。力強い若い時の字から、どんどん…それでも、手紙を書いてるってところで…っていうのもあったね。
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