加藤浩次 「いつか山本とまたコンビ組める日」
2010.01.10 (Sun)

「俺も初めての舞台は、ラ・ママだったんだよ。『コーラスライン』って言って、ツマンナイって思ったら観客が手を挙げていく。5人挙がったらコント終了になるんだよ。極楽とんぼは当時、3人でやってた。3分くらいのネタで、初めてのコントは全部やりきったんだよな」
「山本に最初誘われた。あと、櫻庭(博道)ってやつと俺と三人でコンビを組んだ。当時は、劇団をやりながら、そういうコントもできればいいなって思ってた。ラ・ママからは、色んな人たちが出てきたからな。…当時、山本がショーパブとかに出ていたから、アイツがネタを考えてたんだよな。年も2つ上だったし」
「当時は、あんまりNSCに入って芸人になるっていうことは確立されてなくって、新人発掘のオーディーションのライブの一環で入ることになった。そのネタ見せで、NSCに入ることになった」(注:極楽とんぼは、NSCではなく吉本入りだったそうですね。訂正します)
「そこにTEAM-0も出ていた。だから、山崎邦生さんは直属の先輩ってことになるよね。そこにココリコも入ってきて、バッタモンクラブもできた。その後に、七丁目劇場が出来た。そうしたらロンブーとか、DonDokoDon、ペナルティとかも入ってきた」
さらに、加藤浩次は以下のように語っていた。
「…(リスナーからのメールに話は戻って)一回目のライブなんて、どっちに転がろうと良いと思うけどね。やりつづけることが大事なんだよ。それほど気にしないで、芸人をやろうと決めたら、やり続けることですよ。その内に、色々と固まってきたり、道が見えてきたりするんです」
「…懐かしいなぁ。当時は、山本に『スーツを着てこい』って言われて。ヒドいネタだったよ。初舞台は、泥棒のネタだった。それから、しばらくして『NEWS 23』に、若者にスポットをあてる特集があって、俺らのことを取材にきた」
「俺らが、ニュース番組に出たんだよ。公園で練習しているシーンと、インタビューシーンがあった。その頃は、俺はすっごい訛ってるの。北海道から出て来て、一年くらいしか経ってないから。『この公園で練習していたことが、懐かしいと思えるようになりたいですね』とかって言ってた」
「そこからだよ。『テレビに出るのって簡単だな』って俺が言い出して…それからしばらく、全然出られなかった。そこから、吉本興業に入った」
「あれから…3人が2人になり、そして今、1人になっている。3・2・1って…最終的に悲しい話になっちゃったよな。二人で出来る日が来るのかね。分からんけどね」と語っていた。
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