中居正広、亡くなる直前の父を見舞った松本人志の言葉に感動「皆で一気に帰ったら、お父さん可哀想やん」
2015.05.18 (Mon)
2015年5月17日放送のフジテレビ系の番組『ワイドナショー』(毎週日 10:00-10:55)にて、SMAP・中居正広が出演し、肺癌・喉頭癌で闘病中であった父親が2月19日に亡くなる約2週間前、入院していた病院に、ダウンタウン・松本人志、タモリ、笑福亭鶴瓶らが見舞いにやってきていたことを明かした。

中居正広:去年の『hey!hey!hey!』だったと思うんですよ。松本さんのお父様も去年、亡くなられてて。その話は聞いてたんで。『hey!hey!hey!』を観てた時に、浜田さんが歌った、『チキンライス』って歌が流れたんですね。その時に、みんな輪になってたんですけど。
東野幸治:はい。
中居正広:僕、松本さんをジッと見ちゃって。歌詞を松本さんが書かれてたじゃないですか。松本さんだけ、ちょっと温度が違うように見えてしまったんですよ。
松本人志:はっはっはっ(笑)全然、そんなつもりで書いた歌詞じゃないけど、家族がテーマの歌になってもうてるからな。
中居正広:そう考えられるのかなって。すぐ、松本さんに「しんどくなかったですか?」って訊いたら、「そういう年齢に差し掛かったからな」くらいだったんですよ。
松本人志:うん。
中居正広:その後、松本さんと年始にご飯食べる機会があって。「実は、お父さん、こうで…。ぼちぼちかもしれません」ってことは、報告させていただいて。
東野幸治:中居さんのお父さんの状況を、松本さんに報告した、と。
中居正広:はい。松本さんは、全然、面識はなかったんですけど、酔った席だったかは分からなかったですけど、「もし、あれだったら、俺にできることあるかな?」って言ってくれたんですよ。
東野幸治:うん。
中居正広:「もしだったら…会いたいけど、どうかな」って。「いや、松本さんと面識もないですし…」「でも、お父さん喜んでくれるんだったら、行ったろうか?」みたいな。そしたら、本当に帰り際に、酔った席だとは言いつつも、「もし良かったら、連絡して」って。「そしたら、月曜日に来れたら、来ていただけますか?」って。本当に、松本さんは病院に来てくれて。
東野幸治:おお。
中居正広:1人で(笑)「どこ?」って(笑)
松本人志:その話、アカンわ。
東野幸治:うん(笑)
中居正広:その当時、鶴瓶さんも面識があったんですよ。奥さんと僕と、お父さんと4人で面識があった。タモさんもバーベキューとかやって。それで、タモさんと瓶さんと松本さんだったんですよ。
東野幸治:へぇ。
松本人志:ふふ(笑)
中居正広:その当時、ウチのお父さんも喋れないですし、起き上がれないですし。かなり、ゲッソリきてるんで。亡くなる2週間くらい前だったんで。そしたら、背負っせてしまうのは申し訳ないなって思って。1人で来ると、背負うじゃないですか。
東野幸治:はい。
中居正広:そのタイミングで、3人で来ていただいた方がいいからって。それで、3人で。
東野幸治:3人でお父さんとお会いした、と。お父さん、喜んでましたか?
中居正広:僕は見てて、喜んでるのはもちろん分かりますし。なんとも言えなかったですね。
松本人志:お父さんはシャレがきいててね。メモ用紙とボールペンで書いて筆談するんですけどね。僕の顔を見て、パパって書いてるんですよ。なんやろって思って見たら、「浜ちゃんは?」って書いてて(笑)
東野幸治:ふふ(笑)
中居正広:「ところで、浜ちゃんは?」って(笑)
東野幸治:松本さんが「芸能界で友達は誰?」って質問に、「中居君かな」って関係性がありますから。やっぱりそこは、お父さんに…
中居正広:男同士って面白いもんで、お付き合いしていく上で、どっかで惚れてる部分ってあるんですよ。尊敬してる部分とか、技術的なこともそうですし、人間的にもちょっと惚れてないと、付き合えないような気がするんですけど、その時に改めて感じたんですけど、タモさんが先に「スケジュールがある」って帰られたんですね。
東野幸治:うん。
中居正広:その時、共通のスタッフが1~2人いたんですけど、鶴瓶さんも「じゃあ、俺も帰るわ」って帰られて。「松本さんも帰ってください」って時に、「それは、アカンわ」って。
東野幸治:うん。
中居正広:「いや、1人でいるとしんどいでしょうから…」「いや、アカン。こんだけワーワーやってて、みんなでバッて帰ったら、お父さんが寂し過ぎるから、俺は残るわ」って。俺、それ言われた時に、本当にこういうお付き合いをさせてもらってて…その瞬間に、それを考えられる人と、感じられる人。
東野幸治:優しいですね。
中居正広:「俺は残っとくわ」って。20分くらい1人で残ってくれたんですよ。それで、順番に帰って行くんですけど、「みんなで一気に帰ったらお父さん可哀想やん」って。それを聞いた時に、「僕は、この人とお付き合いしてて、間違いない人だな」って。
松本人志:違うんですよ。割りと、ウチの親父が、時期的に同じに亡くなったっていうのはあるかな。
中居正広:うん。
松本人志:ウチの親父は、ほんの数ヶ月前やからな。
中居正広:来てくれた嬉しさもそうですけど、賑やかに1時間くらいやってたんで、「みんなでパって帰ったらアカンから、俺は残っとくわ」って。それを言われた時に、「この人とこういうお付き合いしてたのは、僕の目にも狂いはなかったな」って。
松本人志:日活ロマンポルノの歴史本を持って行ったんですよ。お父さん、結構、食い入るように見てたよね(笑)
東野幸治:いいですね(笑)
中居正広:あと、東京駅の歴史って。鶴瓶さんだけ、手ぶらでしたけどね(笑)
東野幸治:鶴瓶さんの人間力ってありますからね(笑)
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中居正広:去年の『hey!hey!hey!』だったと思うんですよ。松本さんのお父様も去年、亡くなられてて。その話は聞いてたんで。『hey!hey!hey!』を観てた時に、浜田さんが歌った、『チキンライス』って歌が流れたんですね。その時に、みんな輪になってたんですけど。
東野幸治:はい。
中居正広:僕、松本さんをジッと見ちゃって。歌詞を松本さんが書かれてたじゃないですか。松本さんだけ、ちょっと温度が違うように見えてしまったんですよ。
松本人志:はっはっはっ(笑)全然、そんなつもりで書いた歌詞じゃないけど、家族がテーマの歌になってもうてるからな。
中居正広:そう考えられるのかなって。すぐ、松本さんに「しんどくなかったですか?」って訊いたら、「そういう年齢に差し掛かったからな」くらいだったんですよ。
松本人志:うん。
中居正広:その後、松本さんと年始にご飯食べる機会があって。「実は、お父さん、こうで…。ぼちぼちかもしれません」ってことは、報告させていただいて。
東野幸治:中居さんのお父さんの状況を、松本さんに報告した、と。
中居正広:はい。松本さんは、全然、面識はなかったんですけど、酔った席だったかは分からなかったですけど、「もし、あれだったら、俺にできることあるかな?」って言ってくれたんですよ。
東野幸治:うん。
中居正広:「もしだったら…会いたいけど、どうかな」って。「いや、松本さんと面識もないですし…」「でも、お父さん喜んでくれるんだったら、行ったろうか?」みたいな。そしたら、本当に帰り際に、酔った席だとは言いつつも、「もし良かったら、連絡して」って。「そしたら、月曜日に来れたら、来ていただけますか?」って。本当に、松本さんは病院に来てくれて。
東野幸治:おお。
中居正広:1人で(笑)「どこ?」って(笑)
松本人志:その話、アカンわ。
東野幸治:うん(笑)
中居正広:その当時、鶴瓶さんも面識があったんですよ。奥さんと僕と、お父さんと4人で面識があった。タモさんもバーベキューとかやって。それで、タモさんと瓶さんと松本さんだったんですよ。
東野幸治:へぇ。
松本人志:ふふ(笑)
中居正広:その当時、ウチのお父さんも喋れないですし、起き上がれないですし。かなり、ゲッソリきてるんで。亡くなる2週間くらい前だったんで。そしたら、背負っせてしまうのは申し訳ないなって思って。1人で来ると、背負うじゃないですか。
東野幸治:はい。
中居正広:そのタイミングで、3人で来ていただいた方がいいからって。それで、3人で。
東野幸治:3人でお父さんとお会いした、と。お父さん、喜んでましたか?
中居正広:僕は見てて、喜んでるのはもちろん分かりますし。なんとも言えなかったですね。
松本人志:お父さんはシャレがきいててね。メモ用紙とボールペンで書いて筆談するんですけどね。僕の顔を見て、パパって書いてるんですよ。なんやろって思って見たら、「浜ちゃんは?」って書いてて(笑)
東野幸治:ふふ(笑)
中居正広:「ところで、浜ちゃんは?」って(笑)
東野幸治:松本さんが「芸能界で友達は誰?」って質問に、「中居君かな」って関係性がありますから。やっぱりそこは、お父さんに…
中居正広:男同士って面白いもんで、お付き合いしていく上で、どっかで惚れてる部分ってあるんですよ。尊敬してる部分とか、技術的なこともそうですし、人間的にもちょっと惚れてないと、付き合えないような気がするんですけど、その時に改めて感じたんですけど、タモさんが先に「スケジュールがある」って帰られたんですね。
東野幸治:うん。
中居正広:その時、共通のスタッフが1~2人いたんですけど、鶴瓶さんも「じゃあ、俺も帰るわ」って帰られて。「松本さんも帰ってください」って時に、「それは、アカンわ」って。
東野幸治:うん。
中居正広:「いや、1人でいるとしんどいでしょうから…」「いや、アカン。こんだけワーワーやってて、みんなでバッて帰ったら、お父さんが寂し過ぎるから、俺は残るわ」って。俺、それ言われた時に、本当にこういうお付き合いをさせてもらってて…その瞬間に、それを考えられる人と、感じられる人。
東野幸治:優しいですね。
中居正広:「俺は残っとくわ」って。20分くらい1人で残ってくれたんですよ。それで、順番に帰って行くんですけど、「みんなで一気に帰ったらお父さん可哀想やん」って。それを聞いた時に、「僕は、この人とお付き合いしてて、間違いない人だな」って。
松本人志:違うんですよ。割りと、ウチの親父が、時期的に同じに亡くなったっていうのはあるかな。
中居正広:うん。
松本人志:ウチの親父は、ほんの数ヶ月前やからな。
中居正広:来てくれた嬉しさもそうですけど、賑やかに1時間くらいやってたんで、「みんなでパって帰ったらアカンから、俺は残っとくわ」って。それを言われた時に、「この人とこういうお付き合いしてたのは、僕の目にも狂いはなかったな」って。
松本人志:日活ロマンポルノの歴史本を持って行ったんですよ。お父さん、結構、食い入るように見てたよね(笑)
東野幸治:いいですね(笑)
中居正広:あと、東京駅の歴史って。鶴瓶さんだけ、手ぶらでしたけどね(笑)
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