中居正広、父親が亡くなる直前まで手料理を振る舞い献身的な介護をしていた「おにぎりも握ったことなかった」
2015.05.10 (Sun)
2015年5月9日放送のニッポン放送系のラジオ番組『中居正広のSome girl' SMAP』(毎週土 23:00-23:30)にて、SMAP・中居正広が、2月19日に亡くなった父親に、実家に頻回に通っては手料理を振る舞い、献身的な介護を行っていたと明かしていた。
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前の記事からの続き:
中居正広、亡くなった父の肺癌・喉頭癌での闘病を語る「喉頭癌手術で飲まず食わず、喋れずの100日間」
僕も、(実家に)一週間に3~4回は行けるんだけど、痰はとれないし。病院の看護師さんとか、ヘルパーさんに来てもらったりするんだけど、夜と朝がきついんだよね。
「入院はしたくない」と。入院してる方が楽なんだけど、とにかく家で過ごしたい、と。その気持ちは分かる、と。「じゃあ、家で過ごす最善の策をみんなで練ろう」って。でも、結局、2日に1回は病院に行かなきゃいけなくて。最初は3日に1回だったのが、2日に1回、毎日行かなきゃいけなくなって。
入院しなきゃいけないってなっても、「入院はイヤだ」と。1月1日もそうだったね。紅白が終わって、ゆっくり昼頃行こうと思ったら、朝6時半とか7時に電話かかってきて。「苦しいから来てくれないか」って。
それで行ったら、しんどいっていうから、「病院行こう」って。痰をとって。食事もどんどん、食道が狭くなってるのか、食べないんですよね。もう味覚もなくなってきてる、それで体の半分がずっと痛いっていうのよ。歩くこともままならないし。こうやって衰弱していくのかなって。
2月5日から入院して退院して…って繰り返してて。俺には何ができるんだろうなって。俺は、料理なんかできないんだけど。やっぱり、「病院のメシがまずい」っていうのよ(笑)だから、「俺が作るしかない」って思って。
噛み砕くとか無理だったから、シチューと豚汁と辛いスープを作って。水筒型のお弁当箱があるから、それに入れて。
その時は、1月の中旬だったから、その頃はまだ食べれるって思って、さんまを切って。おにぎり作って。しゃけのおにぎりと、梅のおにぎり。これで一日イケるんじゃないかって思って。
「ここに豚汁があるから」って言ったら、「豚汁は栄養の宝庫だ」って筆談で(笑)「カレーもあるから。ルーだけでも良いし、ご飯はチンでできるから」って。「辛いスープもあるから。タラとかカキが入ってるから」って。カキも、小さいカキなんだけど、一口で食べれないって思って、4分割にしたり。なかなかマメでやんの、俺(笑)
俺、おにぎりって握ったことなかったんだけど、熱いのね、アレ。握って。「これで完璧だ」って思って。おにぎり2つあって、味噌汁があって。「おにぎりと味噌汁、どうだ?」って言ったら、「こんなマズイおにぎり、初めてだ」って。
「ウソつけよ。普通、初めてお弁当、褒めるだろ。ウソでも」って。「お前、食ってみろ」って。そしたら、ご飯硬ぇし、味しねぇし。「こりゃダメだわ」って(笑)「味噌汁だけにしてくれないか」って。
それで、次の日にリベンジしたのかな。次の日、握っていっても、マズイんだよね。「ご飯の炊き方が尋常じゃなく下手だな」って。おかしいなって思って。最近気づいたんだけど、最近、ご飯炊いたら、俺の炊飯器が良くないって気づいたの。蓋を閉めて、炊飯のボタンを押したら、蓋が開いちゃうの。それに最近気づいたわ(笑)
ご飯つごうと思ったら、蓋が開いてて。食ったら、硬かったから。「あ、親父はこの俺の握り飯を食ったんだな」って思って。
そしたらまた退院して。退院したら、お米の研ぎ方とか、水の入れ方を教えてくれて。「お前、やってみ」って。俺、いつもザルの中にいれてて。「違うよ。2~3回やれば良いんだよ、こんなもん」って。
それで、2人でクッチャベッてて。次の日仕事だから、夕方過ぎには「帰るわ」って言うんだけど、「一杯、飲め」と。「いや、車で来てるから」「一口飲めよ」って。それで、「じゃあ、一口だけだよ」って飲むじゃん。「美味いなぁ、親父飲む?」「俺は飲まないよ」って。それで、考えてみたら、一口飲んだら、もう車で変えれないわけよ。一人になるのも寂しいのかなって。
それで、「今日は、焼きそば作ろうか?」って。俺、レパートリーがないから。小鉢みたいなのを、色んなのを食べてもらった方が良いかなって思って。1月中旬になると、明太子とイカの和物とか、マグロの長芋乗せとか。そういうのを作ってたけど、段々、食べなくなってきて。
「食べないの?」「いや、いいよ。もう9時になるから、帰るよ。明日、早いから」って。「とりあえず、一杯、飲めよ」って(笑)「一杯飲んだらダメだっつうの(笑)帰れなくなるだろ」って。なんで俺も、一杯だけ飲むのか分からないんだけど(笑)
それで泊まって。夜中に苦しいって。俺、救急車を4回乗ったからね(笑)この12月、1月、2月の3ヶ月間で。それが亡くなる1ヶ月くらい前だったかな。
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僕も、(実家に)一週間に3~4回は行けるんだけど、痰はとれないし。病院の看護師さんとか、ヘルパーさんに来てもらったりするんだけど、夜と朝がきついんだよね。
「入院はしたくない」と。入院してる方が楽なんだけど、とにかく家で過ごしたい、と。その気持ちは分かる、と。「じゃあ、家で過ごす最善の策をみんなで練ろう」って。でも、結局、2日に1回は病院に行かなきゃいけなくて。最初は3日に1回だったのが、2日に1回、毎日行かなきゃいけなくなって。
入院しなきゃいけないってなっても、「入院はイヤだ」と。1月1日もそうだったね。紅白が終わって、ゆっくり昼頃行こうと思ったら、朝6時半とか7時に電話かかってきて。「苦しいから来てくれないか」って。
それで行ったら、しんどいっていうから、「病院行こう」って。痰をとって。食事もどんどん、食道が狭くなってるのか、食べないんですよね。もう味覚もなくなってきてる、それで体の半分がずっと痛いっていうのよ。歩くこともままならないし。こうやって衰弱していくのかなって。
2月5日から入院して退院して…って繰り返してて。俺には何ができるんだろうなって。俺は、料理なんかできないんだけど。やっぱり、「病院のメシがまずい」っていうのよ(笑)だから、「俺が作るしかない」って思って。
噛み砕くとか無理だったから、シチューと豚汁と辛いスープを作って。水筒型のお弁当箱があるから、それに入れて。
その時は、1月の中旬だったから、その頃はまだ食べれるって思って、さんまを切って。おにぎり作って。しゃけのおにぎりと、梅のおにぎり。これで一日イケるんじゃないかって思って。
「ここに豚汁があるから」って言ったら、「豚汁は栄養の宝庫だ」って筆談で(笑)「カレーもあるから。ルーだけでも良いし、ご飯はチンでできるから」って。「辛いスープもあるから。タラとかカキが入ってるから」って。カキも、小さいカキなんだけど、一口で食べれないって思って、4分割にしたり。なかなかマメでやんの、俺(笑)
俺、おにぎりって握ったことなかったんだけど、熱いのね、アレ。握って。「これで完璧だ」って思って。おにぎり2つあって、味噌汁があって。「おにぎりと味噌汁、どうだ?」って言ったら、「こんなマズイおにぎり、初めてだ」って。
「ウソつけよ。普通、初めてお弁当、褒めるだろ。ウソでも」って。「お前、食ってみろ」って。そしたら、ご飯硬ぇし、味しねぇし。「こりゃダメだわ」って(笑)「味噌汁だけにしてくれないか」って。
それで、次の日にリベンジしたのかな。次の日、握っていっても、マズイんだよね。「ご飯の炊き方が尋常じゃなく下手だな」って。おかしいなって思って。最近気づいたんだけど、最近、ご飯炊いたら、俺の炊飯器が良くないって気づいたの。蓋を閉めて、炊飯のボタンを押したら、蓋が開いちゃうの。それに最近気づいたわ(笑)
ご飯つごうと思ったら、蓋が開いてて。食ったら、硬かったから。「あ、親父はこの俺の握り飯を食ったんだな」って思って。
そしたらまた退院して。退院したら、お米の研ぎ方とか、水の入れ方を教えてくれて。「お前、やってみ」って。俺、いつもザルの中にいれてて。「違うよ。2~3回やれば良いんだよ、こんなもん」って。
それで、2人でクッチャベッてて。次の日仕事だから、夕方過ぎには「帰るわ」って言うんだけど、「一杯、飲め」と。「いや、車で来てるから」「一口飲めよ」って。それで、「じゃあ、一口だけだよ」って飲むじゃん。「美味いなぁ、親父飲む?」「俺は飲まないよ」って。それで、考えてみたら、一口飲んだら、もう車で変えれないわけよ。一人になるのも寂しいのかなって。
それで、「今日は、焼きそば作ろうか?」って。俺、レパートリーがないから。小鉢みたいなのを、色んなのを食べてもらった方が良いかなって思って。1月中旬になると、明太子とイカの和物とか、マグロの長芋乗せとか。そういうのを作ってたけど、段々、食べなくなってきて。
「食べないの?」「いや、いいよ。もう9時になるから、帰るよ。明日、早いから」って。「とりあえず、一杯、飲めよ」って(笑)「一杯飲んだらダメだっつうの(笑)帰れなくなるだろ」って。なんで俺も、一杯だけ飲むのか分からないんだけど(笑)
それで泊まって。夜中に苦しいって。俺、救急車を4回乗ったからね(笑)この12月、1月、2月の3ヶ月間で。それが亡くなる1ヶ月くらい前だったかな。
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