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安部譲二が語る「三島由紀夫との思い出」
2009.11.24 (Tue)

「僕は、あのときゲイバーの用心棒やってたんだよ。銀座の、今のプランタンがあるところだった。あそこは、日本人のとっても綺麗なゲイボーイがいて…ジミーだとかケニーだとか、呆然とするぐらい綺麗だった。それを、外人客が取り合いをするんだよ。それを、僕が仲裁してたんだ」と安部譲二は語り出した。
「中に入って止めたり、鎮圧したりしていた。その用心棒さ。銀座のゲイバーには、日本のお客っていうのは本当にチラホラさ。そのチラホラの日本人のお客の中に、三島先生がいらしてね。けど、ゲイボーイたちにまるでモテないんだよ」
そこから、以下のような三島由紀夫との思い出を語っていた。
「そうしたら、ある日に酔っぱらったお客を僕が取り鎮めたら、カウンターにいらっしゃった三島先生が『君の使った術は、何ですか?』って訊くんだよ。だから『術なんてたいそうなもんでは、ございません。あれは、下手なボクシングですよ』って言ったら、『僕もそれが習いたい』っておっしゃった。それで『おやめになった方が良いですよ。そんな面白いもんじゃないですから』って言ったの」
「三島先生は、『いや、稽古がしたい。どこか、紹介してくれたまえ』って言うんだよ。強いフェザー級のボクサーがコーチをしているところを紹介したら、『本当に、この人がボクシングやるの?』って訊かれたから、『いや、この人がやりてぇって言ってんだよ、この野郎』って言ったら、入門申し込み書に"平岡 公威"ってお書きになった。誰も、この人が三島由紀夫さんだって、分からなかっただろうね」
「そうしたらね、ボクシングを始めたら『今は、構えを習ってます』『今日から左のジャブを習い始めました』ってゲイバーのカウンターで言うんですよ。三島先生にとっては、初めての運動体験だったんじゃないかなぁ。だから、楽しくてしょうがないって感じだった。『安部さん、縄跳びは女の子が跳んでいるととっても楽しそうだけど、やってみると本当に大変ですね』って言うんだよ」
「天才って言うのは、45歳(三島が亡くなった年齢)までにみんな、(体験)やっちゃうんだねぇ。俺なんか、72歳になってもまだ、黒木メイサさんに会ったら口説こうなんて思ってるんだから、ダメだねぇ」と語っていた。
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