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伊集院光、ラジオDJとしての育ての親・安岡喜郎という存在「この人には、頭が上がらない」

2015.01.20 (Tue)
2015年1月19日放送のTBSラジオ系のラジオ番組『伊集院光 深夜の馬鹿力』(毎週月 25:00 - 27:00)にて、お笑い芸人・伊集院光が、落語家時代にラジオDJとして見出し、育ててくれた安岡喜郎という存在について語っていた。

安岡は、94年までニッポン放送で『オールナイトニッポン』のディレクターを務め、翌年から日本テレビに転職。以後、プロデューサーとして活躍している。そんな安岡の「『笑点』のプロデューサーになった」という知らせに、伊集院は非常に驚いたのだという。その理由としては、伊集院が落語家時代に、安岡と落語界との関わりをできるだけ少なくしようと"暗躍"していたからだという。

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伊集院光:『深イイ話』出してもらって。そこの偉いスタッフの1人(安岡喜郎)が、元々、ニッポン放送で僕を育ててくれたディレクターだった人で。ニッポン放送を辞めて、日テレに行って、日テレで着実にキャリアを積み上げて、今、色んな番組のプロデューサーとかをやってる人で。この人には、頭が上がらないんですよ。この人には、亀頭がぴくりともしない…それじゃあ、魅力ねぇってことじゃねぇか(笑)

この人には、頭が上がらないんですけど。たまにすれ違うんですけど、テレビ業界において「伊集院を若い頃、世話した」って言うんだったら、この人が一番です。「お前、誰のお陰でここにいると思ってんだ?」って言って良い人ですよ。

でも、そういう人って、言わないんですよ。「育てた」って言う人は、ニッポン放送にいっぱいいると思うけど、「ビタ一文そんな覚えございませんけど」って言い返す自信のある人ほど、「育てた」って言うじゃないですか。

この人は、凄い紳士的な人で、そういうこと言わない人で。最近、すれ違うと「最近、どう?」とか。「DVD観たよ」くらいなんです。「今日も、よろしくお願いします」みたいな。

振り返ると…笑組と付き合いがあって、落語家だった頃、笑組は俺の家から実家が歩いて3~5分くらいなんです。しかも、年が1歳しか違わない、隣の中学なんです。姉貴は、俺と同じ高校なんです。1歳上で。姉貴は、ソフトボール部の副キャプテンで、俺は野球部のペーペーで、グラウンドの取り合いで交流がある。それでまたブスなんです(笑)

それで、俺は当時の三遊亭楽太郎、今の円楽のカバン持ち。それで、向こうは内海桂子・好江のカバン持ちなんです。同時期に。だから、たまたまトリが楽太郎の落語会で、イロモノ…膝って言うんですけど、それが内海桂子・好江の漫才って時に、舞台袖で控えてるんです。

それで、「年いくつ?…近いね」って。あっちは古典漫才の弟子、こっちは古典落語の弟子入りってことで、同じような世代の人いないのよ。ましてや、「お姉ちゃん、足立新田高校?…あのブス?」って感じの(笑)それで、凄い仲がよくて。

当時、僕は師匠に内緒で、ラジオの仕事を始めるわけです。今、日テレのプロデューサーに拾われて、ラジオの仕事を始めるんだけど。彼は別に、そんなつもりはないんだけど、俺は師匠に内緒って引け目があるから、師匠にニッポン放送で仕事をしてることもバレちゃいけないし、それに関して、スタッフの人にも「すみません、そういう事情なんです」って言ってやってるわけ。

その人(安岡喜郎)と会って、「話があるんだけど」って急に楽屋で言われて。「実は、担当番組変えとかもあって、なんだかんだあって、今年から『笑点』のプロデューサーになった」って言うのね。凄くない?

俺からしてみたら、当時、落語もやりながら、ラジオもやってる。最初の時は、「末はやっぱり落語だ」って俺は多分、思ってたんじゃないかって。当時のグネグネしたところとか、俺のだらしないところとか、生活設計のなさを考えると、リアルなことは分からないけど、今からなんとなく振り返るに、「落語もするけど、ラジオもさせてもらう」って感じで、伊集院光なんて名前は、元々、師匠にバレないために付けてたようなもんだから、こっちがメインだって思ってないし。

「いずれ、俺が楽太郎だよね?」っていう。「マジで?子供できたの?アイツをなんとか亡き者にしないと、楽太郎が俺のモノにならない」って感じの(笑)まだギリ出来てなかった頃でしょうけど(笑)

ラジオ局の一ディレクターが、『笑点』と関わるわけないじゃん。むしろ、関わらないように俺が仕向けてた人だから。そっちが、ある意味、『笑点』のレギュラーだよね、ある意味。プロデューサーだから。俺の方が全然関係なくなっているっていう(笑)

プロデューサーと僕とのこの関わりあいを、今の円楽師匠は、どれくらい知ってるのか分からないわけ。俺が真ん中で暗躍してるから。間に挟まれながら、ウソばっかりついてたから(笑)

一番ヒドイ時には、ラジオでどうしても30分間くらい、ナレーションとらなきゃならないって時に、ウチの師匠が、マリオンでマリオン寄席っていうのがあって、その楽屋に俺がいて。それで、30分だけどうしても抜けなきゃいけない時に、「お腹痛い」って言って、ナレーション録って、戻ってきてシレって落語やってた時もあって。

そんな暗躍してて、俺もよく分からなくなっちゃって。今もまた、師匠には不義理してるから。この感じ、どうしたら良いんだろうってね。

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