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明石家さんま、『ガキ使』菅賢治Pの半年も口説かれて『さんま御殿』を始めていた

2015.01.14 (Wed)
2015年1月12日放送の文化放送系の番組『ロンドンブーツ1号2号田村淳のNewsCLUB』(毎週月 21:00 - 21:30)にて、『ガキの使いやあらへんで』などのプロデューサーとして知られる菅賢治がゲスト出演し、日本テレビ系の番組『踊る!さんま御殿!!』が始まった経緯について語っていた。

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篠田恵里香:『踊る!さんま御殿!!』の企画は、菅さんがさんまさんに会う直前に、タクシーの中で思い付かれたと。

菅賢治:そうですね。

田村淳:ああ、そうなんですか。

菅賢治:珍しく、日本テレビの編成局長から、「火曜日の8時をお前とさんまちゃんにあげるから、1時間ゴールデンやれ」って言われて。

田村淳:へぇ。

菅賢治:今思うと、1年前に言われるって、ほとんどないんですよ。

田村淳:1年前から番組のことが動くって無いですもんね。

菅賢治:せいぜい半年。ヘタすりゃ3~4ヶ月前にいきなり話がくるっていう。

田村淳:サイクル短いですからね。

菅賢治:今思うと、その前の枠って、『桃太郎侍』で。時代劇の枠だったんですよ。何十年も時代劇で、それを新しいものに変えようってことで。

田村淳:はい。

菅賢治:「でも、さんまさんって、『ゴールデンやらない』って言ってますけど」って言ったら、「だから1年かけてやれって言ってんじゃん」って。「ああ、そうですか」って言って。

田村淳:へぇ。

菅賢治:その頃は、さんま師匠としょっちゅうゴルフ行ってたんですけど、「早よ打て」って言われても、「ゴールデンできないですかね?なんとか」「早よ打て!お前は」「はい」って。それを半年くらい、またバカみたいにゴルフ行くたびに「ゴールデンやりたい、ゴールデンやりたい」って。

篠田恵里香:へぇ。

菅賢治:それで、3月の終わりくらいに、「ゴールデンやりたいなぁ」「早よ打て!」「ゴールデンやりたいなぁ…」「やるから、早よ打て!」「え?やるんですか?やるって言いましたよね?ちょっとすみません、電話掛けてきます…」「それは後でエエやろ、お前は!」って言われて(笑)

田村淳:へえ~しぶとく、しぶとく。粘りに粘って。

菅賢治:うん。口を開けば、「ゴールデンやりたい」しか言ってなかったですからね。

田村淳:それで、始まった番組がずっと続いてるんですもんね?

菅賢治:それはさんま師匠のお陰ですからね。そこから、3月にOK出て。編成局長のところに行って、「やってくださるそうです」「良かったな、それで、何をやるの?」「あ、そうだ。企画何も考えてないや」って(笑)

田村淳:許可だけもらって(笑)

菅賢治:そっから、テレビ局って、6月くらいに全国編成会議とか、スポンサー向けのプレゼンとかあるから、事実上、2ヶ月くらいしかないんですよ。3月に決まったって。散々、毎日毎日会議やって。

田村淳:はい。

菅賢治:最後の最後、僕は2人きりで話すんですね、さんまさんと番組を立ち上げる時。その時に、会議室を出ようとした僕に、大御所の作家の大岩賞介さんて人が、「この3つの企画、気に入ってないでしょ?」って言われて。

篠田恵里香:うん。

菅賢治:「気に入るも気に入らないも、みんなが必死で考えてくれたヤツだから…」って言ったら、大岩さんがみんなに「みんな、散々考えたけど、最後、菅ちゃんに任せようよ」って言ってくれて。実は、僕その3つは気に入ってなかったんですよ。「断られるな、これは」って。

篠田恵里香:へぇ。

菅賢治:それでタクシーの中で、「さて、どうしようかな」って思ったんですけど、以前、『恋のから騒ぎ』で、ああいう感じで一回、男性だけ。神田正輝さんにお出ましいただいたりした、スペシャルをやったことがあって。

田村淳:うん。

菅賢治:「アレ面白かったよな…よし、アレやろう。アレができるの、明石家さんましかいないわ」って思って。それで、タクシーの中で「明石家さんまと芸能人・文化人がただただ喋る1時間」って。汚い字で2行。

田村淳:ラフな(笑)

菅賢治:めちゃくちゃラフでしょ。それで、「企画、決まった?」「これやりたいんですけど」「また汚い字やな」って。それで、さすがにダメかって思ったら、「うん、オモロイなやろか」って決まったんですよ。

田村淳:へぇ。

菅賢治:だから、未だに台本すらないんです。一回目も台本がなくて。

篠田恵里香:凄い(笑)

田村淳:熱意なんでしょうね。ダウンタウンさんのところに会いに行く、とか。さんまさんにどうにかしてお願いする、とか。

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タグ : 明石家さんま,菅賢治,田村淳,

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