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岡村隆史、高倉健と交流を持つきっかけとなった一言「高倉健さんみたいな俳優になりたいです」
2014.11.21 (Fri)
2014年11月21日放送のニッポン放送系のラジオ番組『ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン』(毎週木 25:00 - 27:00)にて、お笑いコンビ・ナインティナインの岡村隆史が、亡くなった俳優・高倉健との交流を持つことになったきっかけについて語っていた。
あなたへ

岡村隆史:思い起こせば、日本アカデミー賞の授賞式ですよ。…先々週くらいでしたっけ。BSかCSで『ブラック・レイン』を観たんですよって話を、(放送作家)小西(マサテル)さんとして。「カッコイイですよね」って。
『ブラック・レイン』の話をしてて、こういう残念なことになったんで、ビックリしてるんですけども。アカデミー賞でお会いして、初めて生の高倉健さんを見て。ウソでもなんでもなく、凄いオーラというか、圧倒される感じ。近寄れないオーラがあったんですね。
その年は、『鉄道員』で高倉健さん一色になってまして。そうそうたる女優さんとかも、俳優さんもいる中で、色んな人のインタビューをするんですけども、みんな「今日、私はどうでも良いんです。全部、健さんに、健さん」って。もう、何やねんと。「そこはちゃんとコメントしようよ」と思って現場で見てて。
健さんも、「いやいや」って言って、喋らはらなかったんですけど。私が『無問題』で話題賞・作品賞、ウチの相方が『メッセンジャー』で俳優賞を受賞して。2人で選んでいただいて、アカデミー賞に。
場違いやって思ってましたよ。こんなところに、お笑いが並ぶもんやないなって思ってたんですけど、仕事だけはして帰らないとって思って。一応、それはコメディアンとしてね。
俳優として映画に出させてもらいましたけど、「なんとか爪痕を残さな」って思ってる時に、アナウンサーの方に、「将来、どのような俳優さんになりたいですか?」って、コメディアンである僕に、芸人の僕に「どんな俳優になりたいですか?」って訊かれて。その時点で、周りは失笑してる感じやったんですけど。
「ここしかない」って思って、一か八か「高倉健さんみたいな俳優になりたいです」って言うたんです。言うたところ、失笑ですよね。ザワザワって。「何、言うてんの?」って。大人たちは、「名前出すなよ」くらいの感じですよ。何なら、女優さんで下向く人もいましたからね。「何言うてんの、あの子」みたいな。
そんな中で、「うわっ」って思ったら、あの中で健さんがパッと立って、ブワーって拍手しはって。ホンマにあの場を助けていただいたという。それで、会場がワーって一体になる感じ。本当に、「助けていただいた」って。
「高倉健」っていう単語を初めて言うたような感じで。その後、自分でも言ってるんですよね。「名前を出して良かったのかどうか、反省してます」みたいなことを言ってたと思うんですよ。気が動転してて。それでも、健さんが1人立って拍手していただいて。最初、そこで助けられてですね。
それが最初の高倉健さんとのエピソードなんですよ。その後、受賞者で写真撮影があるんですけど、そこでちょこちょこっと話をしていただいて。そこで初めて、健さんとサシでお話させていただいたんです。
本当に感動して。『ぐるナイ』で密着取材とかも入ってたんですよ。入ってたんですけど、「それ使っても良いですか?」って、健さんの事務所にお話に行ったら、快く「いいですよ」って言っていただいて。ホンマに何故か、そこから可愛がっていただいたんですよ。
あんなホンマのスーパースターって出てこないと思いますし、お仕事もギリギリさせていただいて、お会いさせていただいて、お話させていただいて、ホンマに感謝の気持ちでいっぱいです。
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岡村隆史:思い起こせば、日本アカデミー賞の授賞式ですよ。…先々週くらいでしたっけ。BSかCSで『ブラック・レイン』を観たんですよって話を、(放送作家)小西(マサテル)さんとして。「カッコイイですよね」って。
『ブラック・レイン』の話をしてて、こういう残念なことになったんで、ビックリしてるんですけども。アカデミー賞でお会いして、初めて生の高倉健さんを見て。ウソでもなんでもなく、凄いオーラというか、圧倒される感じ。近寄れないオーラがあったんですね。
その年は、『鉄道員』で高倉健さん一色になってまして。そうそうたる女優さんとかも、俳優さんもいる中で、色んな人のインタビューをするんですけども、みんな「今日、私はどうでも良いんです。全部、健さんに、健さん」って。もう、何やねんと。「そこはちゃんとコメントしようよ」と思って現場で見てて。
健さんも、「いやいや」って言って、喋らはらなかったんですけど。私が『無問題』で話題賞・作品賞、ウチの相方が『メッセンジャー』で俳優賞を受賞して。2人で選んでいただいて、アカデミー賞に。
場違いやって思ってましたよ。こんなところに、お笑いが並ぶもんやないなって思ってたんですけど、仕事だけはして帰らないとって思って。一応、それはコメディアンとしてね。
俳優として映画に出させてもらいましたけど、「なんとか爪痕を残さな」って思ってる時に、アナウンサーの方に、「将来、どのような俳優さんになりたいですか?」って、コメディアンである僕に、芸人の僕に「どんな俳優になりたいですか?」って訊かれて。その時点で、周りは失笑してる感じやったんですけど。
「ここしかない」って思って、一か八か「高倉健さんみたいな俳優になりたいです」って言うたんです。言うたところ、失笑ですよね。ザワザワって。「何、言うてんの?」って。大人たちは、「名前出すなよ」くらいの感じですよ。何なら、女優さんで下向く人もいましたからね。「何言うてんの、あの子」みたいな。
そんな中で、「うわっ」って思ったら、あの中で健さんがパッと立って、ブワーって拍手しはって。ホンマにあの場を助けていただいたという。それで、会場がワーって一体になる感じ。本当に、「助けていただいた」って。
「高倉健」っていう単語を初めて言うたような感じで。その後、自分でも言ってるんですよね。「名前を出して良かったのかどうか、反省してます」みたいなことを言ってたと思うんですよ。気が動転してて。それでも、健さんが1人立って拍手していただいて。最初、そこで助けられてですね。
それが最初の高倉健さんとのエピソードなんですよ。その後、受賞者で写真撮影があるんですけど、そこでちょこちょこっと話をしていただいて。そこで初めて、健さんとサシでお話させていただいたんです。
本当に感動して。『ぐるナイ』で密着取材とかも入ってたんですよ。入ってたんですけど、「それ使っても良いですか?」って、健さんの事務所にお話に行ったら、快く「いいですよ」って言っていただいて。ホンマに何故か、そこから可愛がっていただいたんですよ。
あんなホンマのスーパースターって出てこないと思いますし、お仕事もギリギリさせていただいて、お会いさせていただいて、お話させていただいて、ホンマに感謝の気持ちでいっぱいです。
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