高田純次、進路に迷う若者たちへのアドバイス「心が燃える仕事を選びなさいよ。失敗しても大丈夫」
2014.11.01 (Sat)
2014年10月31日放送のTBS系の番組『金曜日のスマたちへ』にて、タレント・俳優の高田純次が出演し、自伝本『高田純次のチンケな自伝 適当男が真面目に語った“とんでも人生"』を基に、自身の人生について語っていた。

高田は、高校卒業後、大学受験を受けたが全ての大学に不合格。その後、一浪したが再び全ての大学に不合格となり、東京デザイナー学院グラフィックデザイン科へ進学した。
71年、24歳の時に自由劇場の舞台を見て俳優を志願するようになり、入団して研究生となった。そこには、柄本明、ベンガルらがおり、ともに活動していたが、同時期に高田は結婚。劇団の収入では生活できないこともあり、26歳の時に退団。宝石販売会社に入社し、サラリーマン生活を送ることとなる。
だが、77年に居酒屋で偶然再会した柄本明、ベンガルと話をしているうちに、再び演劇の道を志すことを決め、「劇団東京乾電池」に入団。サラリーマン生活を捨て、アルバイト生活を送ることとなった。妻子を養うため、睡眠時間3時間、劇団の活動が終わると肉体労働を行う日々を過ごすこととなる。工事現場では、土砂が崩れてきて危うく生き埋めになってしまうようなこともあったという。
そこからはテレビ局の大道具係として働くようになり、33歳にしてようやく『笑っていいとも!』の前身番組『笑ってる場合ですよ!』に出演し、番組内コーナー「日刊乾電池ニュース」で土用波三助と称して出演し一躍知名度を上げることとなった。
決して平坦な人生ではなく、長い下積みを経ており、「テキトー」にブレイクしたわけではない。そんな高田が、同級生で自伝本の作成に携わった高校の同級生・産経新聞出版社長の山本康夫氏に「人生の先輩として、若い人が進路に迷っていたら、どんなアドバイスを送るかね?」と訊かれると、高田は…
この言葉を受けて、山本氏は、「自身も、大学受験に失敗し、挫折して這い上がってきた苦労人。これが彼の真の姿なのかもしれない」と語っている。
「テキトー男」と称されることも多い高田について、山本氏は「なぜ、家族を抱えているのにも関わらず、順調だったサラリーマン生活を放棄したのか…劇団に身を投じたが、彼はそれを終生の仕事にしたわけではない。夢や理想を追いかけて、安住の生活を捨てたわけではないのだ。しかも、その理由を深く考えない。『魔が差した、流れに身を任せただけ』そう言って済ませてしまう。これが、テキトー男の真骨頂なのかもしれない」と語り、挫折して上手くいかないことがあっても、思い悩んで歩みを止めてしまわないという柔軟さが「テキトー男」の真の姿なのではないか、と著書の中で分析している。
さらに、「どうにでもなれ。どうなっても命までとられることはない。切羽詰まったら、その時に考えれば良い。元々、思うようにならないのが人生さ…彼の自由な飛翔は、そんな開き直りに支えられているのかもしれない」と語っていた。
失敗・挫折の多い人生だからこそ、そこで「失敗しても大丈夫。いくつになってもやり直しは効く」と信じ、不遇であっても自身が置かれた場所での道を探していく必要があるのではないか、と高田は自身の人生を振り返り、伝えたかったのではないだろうか。
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高田は、高校卒業後、大学受験を受けたが全ての大学に不合格。その後、一浪したが再び全ての大学に不合格となり、東京デザイナー学院グラフィックデザイン科へ進学した。
71年、24歳の時に自由劇場の舞台を見て俳優を志願するようになり、入団して研究生となった。そこには、柄本明、ベンガルらがおり、ともに活動していたが、同時期に高田は結婚。劇団の収入では生活できないこともあり、26歳の時に退団。宝石販売会社に入社し、サラリーマン生活を送ることとなる。
だが、77年に居酒屋で偶然再会した柄本明、ベンガルと話をしているうちに、再び演劇の道を志すことを決め、「劇団東京乾電池」に入団。サラリーマン生活を捨て、アルバイト生活を送ることとなった。妻子を養うため、睡眠時間3時間、劇団の活動が終わると肉体労働を行う日々を過ごすこととなる。工事現場では、土砂が崩れてきて危うく生き埋めになってしまうようなこともあったという。
そこからはテレビ局の大道具係として働くようになり、33歳にしてようやく『笑っていいとも!』の前身番組『笑ってる場合ですよ!』に出演し、番組内コーナー「日刊乾電池ニュース」で土用波三助と称して出演し一躍知名度を上げることとなった。
決して平坦な人生ではなく、長い下積みを経ており、「テキトー」にブレイクしたわけではない。そんな高田が、同級生で自伝本の作成に携わった高校の同級生・産経新聞出版社長の山本康夫氏に「人生の先輩として、若い人が進路に迷っていたら、どんなアドバイスを送るかね?」と訊かれると、高田は…
高田純次:心が燃える仕事を選びなさいよ。失敗しても大丈夫。いくつになってもやり直しは効く。君がその気になりさえすれば、道はあるから。と答えていたという。
この言葉を受けて、山本氏は、「自身も、大学受験に失敗し、挫折して這い上がってきた苦労人。これが彼の真の姿なのかもしれない」と語っている。
「テキトー男」と称されることも多い高田について、山本氏は「なぜ、家族を抱えているのにも関わらず、順調だったサラリーマン生活を放棄したのか…劇団に身を投じたが、彼はそれを終生の仕事にしたわけではない。夢や理想を追いかけて、安住の生活を捨てたわけではないのだ。しかも、その理由を深く考えない。『魔が差した、流れに身を任せただけ』そう言って済ませてしまう。これが、テキトー男の真骨頂なのかもしれない」と語り、挫折して上手くいかないことがあっても、思い悩んで歩みを止めてしまわないという柔軟さが「テキトー男」の真の姿なのではないか、と著書の中で分析している。
さらに、「どうにでもなれ。どうなっても命までとられることはない。切羽詰まったら、その時に考えれば良い。元々、思うようにならないのが人生さ…彼の自由な飛翔は、そんな開き直りに支えられているのかもしれない」と語っていた。
失敗・挫折の多い人生だからこそ、そこで「失敗しても大丈夫。いくつになってもやり直しは効く」と信じ、不遇であっても自身が置かれた場所での道を探していく必要があるのではないか、と高田は自身の人生を振り返り、伝えたかったのではないだろうか。
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