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新垣隆、佐村河内守のゴーストライターになったきっかけを告白「映画音楽の編曲を名前を出さずに依頼」
2014.09.02 (Tue)
2014年8月31日放送のTBSラジオ系のラジオ番組『爆笑問題の日曜サンデー』(毎週日 13:00 - 17:00)にて、作曲家・ピアニストの新垣隆がゲスト出演し、佐村河内守のゴーストライターとして活動していた裏側について明かしていた。
爆笑問題『2014年度版 漫才 爆笑問題のツーショット』


「現代のベートーヴェン」などと言われ、耳の障害がありつつも作曲活動を続けていたとされていた佐村河内守氏が、実は耳が聞こえており、さらには、ゴーストライターがいたことが判明した。
2月5日にゴーストライターを務めていた新垣隆が会見を行ったことでこの事実が白日の下に晒されることとなったわけであるが、このゴーストライターになるきっかけは、97年に映画『秋桜(cosmos)』 での編曲を依頼されたことだったという。編曲者としてはクレジットされず、演奏家としてクレジットされることを依頼されたということから、ここが実質上「ゴーストライター」として依頼されるきっかけだったようだ。
新垣は、「自分の名前で出させて欲しいんだけどってことで」と依頼されたことを認め、外山惠理の「それでズルズルいってしまったってことですね?」という質問に、「そういうことですね」と答えていた。
田中裕二:新垣さんは今年の2月に「現代のベートーヴェン」などと言われた、佐村河内守さんの「耳の障害はウソ」だと。本人は「回復した」と言ってるんですけども
太田光:うん。
田中裕二:アレから、半年ちょっとですかね。今の心境はいかがですか?
新垣隆:この件で、非常に多くの方にご迷惑をかけたんですけども。その後、多くの方が私を庇ってくださったので。
太田光:ああ、そうですね。
新垣隆:応援してくださったお陰で、また自分の音楽活動に戻ることができたんですね。
太田光:学生たちも、「先生を辞めさせないで」ってね。嘆願書やらを。あれは、教師冥利につきますよね?
新垣隆:はい。本当にありがたかったですね。
田中裕二:佐村河内氏のゴーストライターを長きに渡ってやられてたらしいですけども、何がきっかけで、告白しようということになったんですか?
新垣隆:はい、長年続けてきてたんですけどね。去年の3月に、テレビの放映がありまして。
田中裕二:NHKの番組(『NHKスペシャル 魂の旋律 ~音を失った作曲家~』)ですね?
新垣隆:はい。それを観て、「これはちょっと…」と思って。
田中裕二:心が痛み出した、と。
太田光:それまでもあったんでしょうけどね。
新垣隆:このままというわけにはいかないんじゃないか、と思いました。
外山惠理:有名になればなるほど、自分の中でウソっていうことが…
新垣隆:そうですね。それがもう、増幅されることになりますので。
太田光:佐村河内さんとの話っていうのは、あの佐村河内さんのキャラクターがあまりにも前面に出ちゃったから。本当のところ、どうだったのかって。彼が設計図を作ってどうこうってね。
田中裕二:はい。
太田光:我々素人は、どうやって曲を作るのかって、いまいち分からないところがあるんですよ。
新垣隆:はい。
太田光:その辺は、未だに釈然としない部分はたしかにあると思うんですけどね。
田中裕二:佐村河内さんから、メモみたいなのあったじゃないですか。それをもらって、新垣さんが一から作曲をするのか、とか。佐村河内さんがハミングぐらいやるのか、とか。その辺、全然分からないんですけど。どういう感じで依頼を受けて、どういう風に曲を作ってたんですか?
新垣隆:イメージを書いたメモを受け取りまして。それで、それを元に自分のイメージに置き換えて、作る、と。
太田光:ほぼ新垣さんが作ってるんですよね。
外山惠理:結局、曲を作って、「もう少しここは、こういう風に」みたいな感じで言われたこともあった、みたいな話があったじゃないですか。それは、楽譜を見て「ここはこういう風に」って言われたんですか?
新垣隆:割りと、ゴーストライターとしてある程度、信頼はされていたので。大体は任される、と。
田中裕二:構造が2重になってる部分もあって。ゴーストライターとして新垣さんが黙っていたことと、もう一方で、耳が聞こえないって言っていた彼と新垣さんは接していて、「耳が聞こえないという認識はなかった」と、この2つあるんですよね。
太田光:電話してたって言ってましたもんね。
田中裕二:そう。その辺は、どう感じてたのかなって。「ウソをついてる、この人は」って思って付き合ってたんですか?
新垣隆:ええ…
太田光:言いにくいですよ、それは。
外山惠理:きっかけは何だったんですか?
新垣隆:最初のきっかけは、彼から映画音楽のアシスタントを依頼されまして。その時は、彼がメロディを作ったんです。それを元に、アレンジャーとして仕事というか、アルバイトしたんです。
太田光:作れることは、作れるんですね。
外山惠理:その時、「編曲 新垣隆」っていう名前はなかったんですか?
新垣隆:そういう形ではなかったんです。演奏もしたんですが、演奏家としてクレジットはされたんですね。
外山惠理:その時点で、「なんでこれ、私の名前がないんですか?」って話はなかったんですか?最初からゴーストライターとしてって?
新垣隆:その時は、「自分の名前で出させて欲しいんだけど」ってことで。
田中裕二:その時、ある意味「ゴーストライターで」って暗に話し合いがあったってことですね。
新垣隆:はい。
外山惠理:それでズルズルいってしまったってことですね?
新垣隆:そういうことですね。
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2月5日にゴーストライターを務めていた新垣隆が会見を行ったことでこの事実が白日の下に晒されることとなったわけであるが、このゴーストライターになるきっかけは、97年に映画『秋桜(cosmos)』 での編曲を依頼されたことだったという。編曲者としてはクレジットされず、演奏家としてクレジットされることを依頼されたということから、ここが実質上「ゴーストライター」として依頼されるきっかけだったようだ。
新垣は、「自分の名前で出させて欲しいんだけどってことで」と依頼されたことを認め、外山惠理の「それでズルズルいってしまったってことですね?」という質問に、「そういうことですね」と答えていた。
田中裕二:新垣さんは今年の2月に「現代のベートーヴェン」などと言われた、佐村河内守さんの「耳の障害はウソ」だと。本人は「回復した」と言ってるんですけども
太田光:うん。
田中裕二:アレから、半年ちょっとですかね。今の心境はいかがですか?
新垣隆:この件で、非常に多くの方にご迷惑をかけたんですけども。その後、多くの方が私を庇ってくださったので。
太田光:ああ、そうですね。
新垣隆:応援してくださったお陰で、また自分の音楽活動に戻ることができたんですね。
太田光:学生たちも、「先生を辞めさせないで」ってね。嘆願書やらを。あれは、教師冥利につきますよね?
新垣隆:はい。本当にありがたかったですね。
田中裕二:佐村河内氏のゴーストライターを長きに渡ってやられてたらしいですけども、何がきっかけで、告白しようということになったんですか?
新垣隆:はい、長年続けてきてたんですけどね。去年の3月に、テレビの放映がありまして。
田中裕二:NHKの番組(『NHKスペシャル 魂の旋律 ~音を失った作曲家~』)ですね?
新垣隆:はい。それを観て、「これはちょっと…」と思って。
田中裕二:心が痛み出した、と。
太田光:それまでもあったんでしょうけどね。
新垣隆:このままというわけにはいかないんじゃないか、と思いました。
外山惠理:有名になればなるほど、自分の中でウソっていうことが…
新垣隆:そうですね。それがもう、増幅されることになりますので。
太田光:佐村河内さんとの話っていうのは、あの佐村河内さんのキャラクターがあまりにも前面に出ちゃったから。本当のところ、どうだったのかって。彼が設計図を作ってどうこうってね。
田中裕二:はい。
太田光:我々素人は、どうやって曲を作るのかって、いまいち分からないところがあるんですよ。
新垣隆:はい。
太田光:その辺は、未だに釈然としない部分はたしかにあると思うんですけどね。
田中裕二:佐村河内さんから、メモみたいなのあったじゃないですか。それをもらって、新垣さんが一から作曲をするのか、とか。佐村河内さんがハミングぐらいやるのか、とか。その辺、全然分からないんですけど。どういう感じで依頼を受けて、どういう風に曲を作ってたんですか?
新垣隆:イメージを書いたメモを受け取りまして。それで、それを元に自分のイメージに置き換えて、作る、と。
太田光:ほぼ新垣さんが作ってるんですよね。
外山惠理:結局、曲を作って、「もう少しここは、こういう風に」みたいな感じで言われたこともあった、みたいな話があったじゃないですか。それは、楽譜を見て「ここはこういう風に」って言われたんですか?
新垣隆:割りと、ゴーストライターとしてある程度、信頼はされていたので。大体は任される、と。
田中裕二:構造が2重になってる部分もあって。ゴーストライターとして新垣さんが黙っていたことと、もう一方で、耳が聞こえないって言っていた彼と新垣さんは接していて、「耳が聞こえないという認識はなかった」と、この2つあるんですよね。
太田光:電話してたって言ってましたもんね。
田中裕二:そう。その辺は、どう感じてたのかなって。「ウソをついてる、この人は」って思って付き合ってたんですか?
新垣隆:ええ…
太田光:言いにくいですよ、それは。
外山惠理:きっかけは何だったんですか?
新垣隆:最初のきっかけは、彼から映画音楽のアシスタントを依頼されまして。その時は、彼がメロディを作ったんです。それを元に、アレンジャーとして仕事というか、アルバイトしたんです。
太田光:作れることは、作れるんですね。
外山惠理:その時、「編曲 新垣隆」っていう名前はなかったんですか?
新垣隆:そういう形ではなかったんです。演奏もしたんですが、演奏家としてクレジットはされたんですね。
外山惠理:その時点で、「なんでこれ、私の名前がないんですか?」って話はなかったんですか?最初からゴーストライターとしてって?
新垣隆:その時は、「自分の名前で出させて欲しいんだけど」ってことで。
田中裕二:その時、ある意味「ゴーストライターで」って暗に話し合いがあったってことですね。
新垣隆:はい。
外山惠理:それでズルズルいってしまったってことですね?
新垣隆:そういうことですね。
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