TOP ≫ 爆笑問題の日曜サンデー ≫ 爆笑問題が語る、同期芸人・春一番の訃報「プロレスとお笑いとお酒…その人生を全うした」
爆笑問題が語る、同期芸人・春一番の訃報「プロレスとお笑いとお酒…その人生を全うした」
2014.07.07 (Mon)
2014年7月6日放送のTBSラジオ系のラジオ番組『爆笑問題の日曜サンデー』(毎週日 13:00 - 17:00 )にて、お笑いコンビ・爆笑問題の太田光、田中裕二が、アントニオ猪木のモノマネで知られるお笑い芸人・春一番の訃報について語っていた。
春一番 フィギュア

3人は同期であり、若手の時に一緒に営業に行くなど、下積み時代をともにした仲であったという。春一番の死因は、肝硬変といわれるが、その原因となった酒に関して、太田は「春ちゃんヒドイんだから。行きの電車の中でワンカップ開けて飲みだしちゃうんだから」とエピソードを語った。
田中は、再三、絶つように忠告するも、春一番は飲み続けてしまい、死線を何度も乗り越えてきて、その陰には妻の献身的な助力もあった、と語った。
さらに、47歳という若さで亡くなったことに関し、「本人は、それでも…プロレスとお笑いとお酒が大好きで。その人生を全うした、と思いますね」と短すぎる人生を偲んでいた。
田中裕二:我々も、同期で。太田プロに入ったのが同じ年で、年齢も近いので。
太田光:はい。
田中裕二:始めた頃は、日曜日は一緒に地方のデパートに行ったり、学園祭に行ったり。
太田光:もう、春ちゃんヒドイんだから。行きの電車の中でワンカップ開けて飲みだしちゃうんだから(笑)
田中裕二:帰りはまだしもね(笑)「春、やめろ。酒ばっかり飲んで、本当に体壊すから」ってみんなに言われて、「もう飲んでないですよ」って言いながら、夜中にどう考えても、カランカランって。氷がコップの中で動く音がしてたり(笑)
太田光:バーボンロックでしたね。
田中裕二:バーボンを飲んでましたね。お酒を好きで。
太田光:銀の入れ物(スキットル)に入れてるんですよ。アレで仕事行くんだからね(笑)
田中裕二:それでまだ、21とか22ですからね。その当時。
太田光:まぁこういっちゃなんですけどね、僕は春ちゃんはそういう意味では長生きした方だなって思いますね。
田中裕二:そうですね。47歳って、まだ若いんですけど、僕らは昔から知ってて。
太田光:よく生きたなぁって思いましたね。
田中裕二:医者に、「もう死ぬぞ」と。深刻な病状になったときもあって。その都度、なんとか乗り越えて。奥さんが一生懸命、やっててくれたと思うんですよね。
太田光:うん。
田中裕二:最近は、会うことはあまりなかったですけど、「春ちゃん、まだ飲んでんのかい」みたいな。芸人仲間ではなってたんですけど。本人は、それでも…プロレスとお笑いとお酒が大好きで。その人生を全うした、と思いますね。
太田光:他の人が、「猪木がさぁ…」って言うと、怒るんですよ。「猪木さんって言いなさい」って(笑)春ちゃんの前では、「猪木さん」って(笑)
田中裕二:それくらいね(笑)本当に、猪木さんご本人と交流もあって。それは本当に彼にとっては幸せだったんじゃないかなって思いますね。
【関連記事】
有吉弘行、ダチョウ上島が瀕死だった春一番を怒鳴って叱ったと明かす「禁酒しろ!」
吉田豪氏の「春一番の死因についての記事」に関する疑問点
加藤浩次 「アントニオ猪木の放送できない話」
春一番 フィギュア

3人は同期であり、若手の時に一緒に営業に行くなど、下積み時代をともにした仲であったという。春一番の死因は、肝硬変といわれるが、その原因となった酒に関して、太田は「春ちゃんヒドイんだから。行きの電車の中でワンカップ開けて飲みだしちゃうんだから」とエピソードを語った。
田中は、再三、絶つように忠告するも、春一番は飲み続けてしまい、死線を何度も乗り越えてきて、その陰には妻の献身的な助力もあった、と語った。
さらに、47歳という若さで亡くなったことに関し、「本人は、それでも…プロレスとお笑いとお酒が大好きで。その人生を全うした、と思いますね」と短すぎる人生を偲んでいた。
田中裕二:我々も、同期で。太田プロに入ったのが同じ年で、年齢も近いので。
太田光:はい。
田中裕二:始めた頃は、日曜日は一緒に地方のデパートに行ったり、学園祭に行ったり。
太田光:もう、春ちゃんヒドイんだから。行きの電車の中でワンカップ開けて飲みだしちゃうんだから(笑)
田中裕二:帰りはまだしもね(笑)「春、やめろ。酒ばっかり飲んで、本当に体壊すから」ってみんなに言われて、「もう飲んでないですよ」って言いながら、夜中にどう考えても、カランカランって。氷がコップの中で動く音がしてたり(笑)
太田光:バーボンロックでしたね。
田中裕二:バーボンを飲んでましたね。お酒を好きで。
太田光:銀の入れ物(スキットル)に入れてるんですよ。アレで仕事行くんだからね(笑)
田中裕二:それでまだ、21とか22ですからね。その当時。
太田光:まぁこういっちゃなんですけどね、僕は春ちゃんはそういう意味では長生きした方だなって思いますね。
田中裕二:そうですね。47歳って、まだ若いんですけど、僕らは昔から知ってて。
太田光:よく生きたなぁって思いましたね。
田中裕二:医者に、「もう死ぬぞ」と。深刻な病状になったときもあって。その都度、なんとか乗り越えて。奥さんが一生懸命、やっててくれたと思うんですよね。
太田光:うん。
田中裕二:最近は、会うことはあまりなかったですけど、「春ちゃん、まだ飲んでんのかい」みたいな。芸人仲間ではなってたんですけど。本人は、それでも…プロレスとお笑いとお酒が大好きで。その人生を全うした、と思いますね。
太田光:他の人が、「猪木がさぁ…」って言うと、怒るんですよ。「猪木さんって言いなさい」って(笑)春ちゃんの前では、「猪木さん」って(笑)
田中裕二:それくらいね(笑)本当に、猪木さんご本人と交流もあって。それは本当に彼にとっては幸せだったんじゃないかなって思いますね。
【関連記事】
有吉弘行、ダチョウ上島が瀕死だった春一番を怒鳴って叱ったと明かす「禁酒しろ!」
吉田豪氏の「春一番の死因についての記事」に関する疑問点
加藤浩次 「アントニオ猪木の放送できない話」
同番組の過去記事
| トップページへ |