爆笑問題・太田、弟子入りも考えた三波伸介の死「感情のやり場に困り詩をかいた」
2014.06.02 (Mon)
2014年05月06日放送のTBSラジオ系のラジオ番組『爆笑問題カーボーイ』(毎週水 25:00 - 27:00)にて、お笑いコンビ・爆笑問題の太田光が、敬愛するコメディアン・三波伸介について語っていた。太田は三波に心酔し、弟子入りすることも考えたほどであるという。
高校時代、三波が亡くなったことを知った太田は、その感情のやり場をどうしたら良いか分からず、詩を書きだしたそうだ。
あの頃映画「ダメおやじ」
![あの頃映画 「ダメおやじ」 [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51wwCHYSEmL._SL160_.jpg)
田中裕二:三波伸介、今の若い人はほんと知らないかもわからないけど。
太田光:僕は三波伸介さんが亡くなった時に本当に悲しかった。本当に別に、テレビの、別に普通の、何にも知り合いでも何でも。
田中裕二:もちろんね。
太田光:あの時高校生か中学3年だか。
田中裕二:高校ぐらいですね。
太田光:高校ぐらいか。
田中裕二:うん。
太田光:本当に僕は…前にも話したかもしれないですけど、誰かに弟子入りするとか全然考えたこととかないんです。
田中裕二:うん。
太田光:ただ、お笑いというかチャップリンが好きで、ドリフが好きで、欽ちゃんが好きでっていう流れで漫才ブームがくるわけですから、なんか将来的になんかああいう人になりたいなと思ってて。
田中裕二:うん。
太田光:だけど、だからと言って弟子入りとかっていうのはまったくなかったんだけど、もし自分がそういうので誰かの扉を叩くっていうのがあるとすれば、三波伸介しかいないと思っていた。子供心にね。
田中裕二:ね。
太田光:その人が死んじゃったから、本当にしばらく立ち直れなかったですよ、あの時は。
田中裕二:うん。
太田光:それで、それがきっかけで僕は詩をかき始めた。
田中裕二:ははは(笑)それがすごいよね。詩に行くんだよね。
太田光:もうやり場のない。高校生の時だから、友達もいないから。誰にも持って行き場がないんですよ、喪失感。
田中裕二:はい。
太田光:それで詩をかき始めた。最初に書いた詩は今でも覚えていますよ。
田中裕二:うん。
太田光:「かけがえのないもの、なくしてしまった」です。
田中裕二:すごいですね(笑)本当に。三波伸介さんに聞かせてあげたいですね。
太田光:本当。
田中裕二:ね。
太田光:三波さんに会いたかったな。
田中裕二:そうだよ、我々はもちろん間に合っていないですからね。
太田光:間に合ってなかった。
田中裕二:でもその三波さんが…
太田光:だって何でもできるんですからあの人。本当に。頭はいいし、何でも知っているし、当時てんぶくトリオの時代は、僕らあんまりそれほど知らないですよ。伊藤四朗さん。
田中裕二:ね。
太田光:3人組でやっていた、てんぷくトリオって。それの作家が井上ひさしですからね。
田中裕二:うん。
太田光:いわゆるコントを書いていた。
田中裕二:うん。
太田光:後に直木賞をとるわけですけれども。その頃から軽演劇、コントもできてなおかつ博学でね、字も絵もうまい。
田中裕二:うん。
太田光:司会もできて、なおかつ笑点では落語家をしたがえて、あのそうそうたるメンバーですよ、落語の一番上にいて司会やって、座布団だなんだってやっているわけですから。
田中裕二:本当にすごいですよ。
太田光:イロモンですから。寄席でいえば、落語家のほうが上ですから。コントというのはイロモンですからね当時。
田中裕二:そうですね。だってそん時が今の僕らより年下でやっていたんですよ。
太田光:そうです。
田中裕二:もう信じられないです。
太田光:もうすごいですよ、あの風格ね。
田中裕二:信じられないです、本当に。亡くなったの52歳なんですよ。我々もうすぐ。
太田光:死にますよ。
田中裕二:いやいやいや、誰かがね。今の高校生くらいのお前のファンがね。
太田光:うん。
田中裕二:そう考えるとすごいね。東MAXのお父さんの東八郎さんも52歳で亡くなった。
太田光:死ななきゃだめだね。
田中裕二:だめだじゃ(笑)
太田光:死ななきゃ。伝説になるかも。
田中裕二:ははは(笑)
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あの頃映画「ダメおやじ」
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田中裕二:三波伸介、今の若い人はほんと知らないかもわからないけど。
太田光:僕は三波伸介さんが亡くなった時に本当に悲しかった。本当に別に、テレビの、別に普通の、何にも知り合いでも何でも。
田中裕二:もちろんね。
太田光:あの時高校生か中学3年だか。
田中裕二:高校ぐらいですね。
太田光:高校ぐらいか。
田中裕二:うん。
太田光:本当に僕は…前にも話したかもしれないですけど、誰かに弟子入りするとか全然考えたこととかないんです。
田中裕二:うん。
太田光:ただ、お笑いというかチャップリンが好きで、ドリフが好きで、欽ちゃんが好きでっていう流れで漫才ブームがくるわけですから、なんか将来的になんかああいう人になりたいなと思ってて。
田中裕二:うん。
太田光:だけど、だからと言って弟子入りとかっていうのはまったくなかったんだけど、もし自分がそういうので誰かの扉を叩くっていうのがあるとすれば、三波伸介しかいないと思っていた。子供心にね。
田中裕二:ね。
太田光:その人が死んじゃったから、本当にしばらく立ち直れなかったですよ、あの時は。
田中裕二:うん。
太田光:それで、それがきっかけで僕は詩をかき始めた。
田中裕二:ははは(笑)それがすごいよね。詩に行くんだよね。
太田光:もうやり場のない。高校生の時だから、友達もいないから。誰にも持って行き場がないんですよ、喪失感。
田中裕二:はい。
太田光:それで詩をかき始めた。最初に書いた詩は今でも覚えていますよ。
田中裕二:うん。
太田光:「かけがえのないもの、なくしてしまった」です。
田中裕二:すごいですね(笑)本当に。三波伸介さんに聞かせてあげたいですね。
太田光:本当。
田中裕二:ね。
太田光:三波さんに会いたかったな。
田中裕二:そうだよ、我々はもちろん間に合っていないですからね。
太田光:間に合ってなかった。
田中裕二:でもその三波さんが…
太田光:だって何でもできるんですからあの人。本当に。頭はいいし、何でも知っているし、当時てんぶくトリオの時代は、僕らあんまりそれほど知らないですよ。伊藤四朗さん。
田中裕二:ね。
太田光:3人組でやっていた、てんぷくトリオって。それの作家が井上ひさしですからね。
田中裕二:うん。
太田光:いわゆるコントを書いていた。
田中裕二:うん。
太田光:後に直木賞をとるわけですけれども。その頃から軽演劇、コントもできてなおかつ博学でね、字も絵もうまい。
田中裕二:うん。
太田光:司会もできて、なおかつ笑点では落語家をしたがえて、あのそうそうたるメンバーですよ、落語の一番上にいて司会やって、座布団だなんだってやっているわけですから。
田中裕二:本当にすごいですよ。
太田光:イロモンですから。寄席でいえば、落語家のほうが上ですから。コントというのはイロモンですからね当時。
田中裕二:そうですね。だってそん時が今の僕らより年下でやっていたんですよ。
太田光:そうです。
田中裕二:もう信じられないです。
太田光:もうすごいですよ、あの風格ね。
田中裕二:信じられないです、本当に。亡くなったの52歳なんですよ。我々もうすぐ。
太田光:死にますよ。
田中裕二:いやいやいや、誰かがね。今の高校生くらいのお前のファンがね。
太田光:うん。
田中裕二:そう考えるとすごいね。東MAXのお父さんの東八郎さんも52歳で亡くなった。
太田光:死ななきゃだめだね。
田中裕二:だめだじゃ(笑)
太田光:死ななきゃ。伝説になるかも。
田中裕二:ははは(笑)
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