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伊集院光、佐村河内氏の会見で襲いかかる記者に見る「マスコミが怪物になる感じ」
2014.03.11 (Tue)
2014年03月10日放送のTBSラジオ系のラジオ番組『伊集院光 深夜の馬鹿力』(毎週月 25:00 - 27:00)にて、音楽家・作曲家の佐村河内守氏の会見について語っていた。そこで、佐村河内氏に襲いかかるかのように糾弾する記者たちの様子について、その行動で傷つく人や批判を受ける可能性がある、と指摘していた。
鬼武者

伊集院光:佐村河内みたいな分かりやすい「社会の敵」みたいなのが出来上がったときの、みんなの安心して襲いかかる感じね。そこで襲いかかる時にできる隙っていうのもあって。
気持ちも分かるんですよ。こっちもクソ人間ですから、完全なる善意とか正義感、宗教観、愛とかを持って自分を律してるわけじゃないから。もし、自分の欲に任せてこういうことをしたら、世間の人から物凄い怒られるんだろうな、とか、凄い敵ができるんだろうなって思って、色んな欲求を抑えたりとかしてるわけですよね。
欲求を抑えていることと正義とか、色んなものを絡めて、自分を律してるつもりでいるじゃん。そこに、俺が世間を敵に回すのがイヤなのも含めて、やらなかったことをやるヤツがいるじゃん。そいつらが憎くてしょうがないですよ。
そいつらが、制裁を受けないってことに、「それはない」と。「それはねぇじゃねか」って中に、色んな人間が入ってるんですよ。「それは人として正しくない」ってことも、ゼロじゃない。それで良い格好すれば、それが大半だと思いたいですよ。でも、どこかに「それやったら怒られる」ってシステムになってるはずだよね。ルールの中で、俺たち我慢してやってるのに。「それを破ったんだから、制裁を受けてもらいましょうか」ってことで、こっちの暴力性が露わになったんですよ。
記者会見をやってる時に、携帯ならしたり、咳き込んでみたり、物を落としたりしてる人がいっぱいいたのを見た?音を鳴らして、それに反応するかどうか見たいんだよ。それは分かるんだよ。記者会見前に、「絶対にやってやろう」って思うから。「俺のスクープ、俺のグッドアイデアとして、絶対にやってやろう」って思うんだけど、見てみると、多いの。ネタがカブってるの。
カブってる時点で、それはやめるべきなんだけど、みんながやる。それがエライ滑稽に見えるわけ。俺も会場にいたら、やってみようとはすると思うんだよね。自分のオリジナルのやり方で、その佐村河内氏のウソを暴きたいってことを絶対にすると思うんだよね。
そこがカブってしまってるんだけど、「やろう」と思ってきちゃったから、自制が効いてないってことが起きるじゃん。それが、「自分は耳が不自由です」って言う人に対して、「本当に不自由なのか、この実験をしてみようぜ」っていう流れ自体は、かなり品の良くないことではあるじゃん。これは、100歩譲って、行動としてやることの一つかもしれないんだけど。
もう一個、佐村河内氏が耳が聞こえないってことで、障害申請が認められた。でも、回復してますって時に、報道のコメントをするお医者さんたちが、専門家の人たちが、「そのレベルになった人が、回復するってことは、医学的にありえない」っていうコメントを出したの。
テレビの持ってる怪物感みたいな感じに、良い/悪いってことじゃなくて、「怪物になってますよ」って話がしたいだけなんだけどね。自分も、その怪物になる感じも分かってるんだけどね。俺なんかの脇の甘さっていうのもあるから。「伊集院さん、もしかしてフェレットの死骸を脇に挟んでらっしゃいます?」っていう甘酸っぱさもあるから(笑)
(医学的に回復しない、と医療関係者が発言することは)佐村河内氏が、体の不自由な人たちを傷つけたっていうことが、大義名分としてまずこちらが彼に攻め込む、彼を吊るし上げる、糾弾するっていう旗頭になってることにも関わらず、「それって夕方の番組に流すことで、傷つく人はいないの?」って思うんですよね。
言わなきゃいけないデータだってことは分かるんだけど、そこにもテロップを入れる必要はあるの?その情報の特性から考えると、それを流すことは報道だからってことで、流して良いかもしれないし、俺の立場では分かりかねることなんだけどね。
俺の意地悪な目かもしれないんだけど、誰かが飛びかかってる時に、「うわ、飛びかかってるお前ら、大丈夫か?」ってなってるときに、あそこにテロップを入れるって作業は、なんかちょっとゾクっとするんだよね。
それを鬼の首をとったかのように言うけど、俺もそこに陥るはずなんだ。何かを責めたり、笑ったりしているときに、俺も笑われてるから。それに関して、「そんなのやりやがって」って思ってるんじゃないんだよ。「人って、そうなるな」って。「俺は間違ってない」って思ってるがゆえに、襲いかかるとそうなるなって。
日頃、真面目だったり、自分を一生懸命に律してる人が、いざ「これは許せない」って思って襲いかかったときに、そういう隙ができるなって思っちゃったの。
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鬼武者

「社会の敵」が糾弾される理由
伊集院光:佐村河内みたいな分かりやすい「社会の敵」みたいなのが出来上がったときの、みんなの安心して襲いかかる感じね。そこで襲いかかる時にできる隙っていうのもあって。
気持ちも分かるんですよ。こっちもクソ人間ですから、完全なる善意とか正義感、宗教観、愛とかを持って自分を律してるわけじゃないから。もし、自分の欲に任せてこういうことをしたら、世間の人から物凄い怒られるんだろうな、とか、凄い敵ができるんだろうなって思って、色んな欲求を抑えたりとかしてるわけですよね。
欲求を抑えていることと正義とか、色んなものを絡めて、自分を律してるつもりでいるじゃん。そこに、俺が世間を敵に回すのがイヤなのも含めて、やらなかったことをやるヤツがいるじゃん。そいつらが憎くてしょうがないですよ。
そいつらが、制裁を受けないってことに、「それはない」と。「それはねぇじゃねか」って中に、色んな人間が入ってるんですよ。「それは人として正しくない」ってことも、ゼロじゃない。それで良い格好すれば、それが大半だと思いたいですよ。でも、どこかに「それやったら怒られる」ってシステムになってるはずだよね。ルールの中で、俺たち我慢してやってるのに。「それを破ったんだから、制裁を受けてもらいましょうか」ってことで、こっちの暴力性が露わになったんですよ。
記者たちが行っていた会見での行為
記者会見をやってる時に、携帯ならしたり、咳き込んでみたり、物を落としたりしてる人がいっぱいいたのを見た?音を鳴らして、それに反応するかどうか見たいんだよ。それは分かるんだよ。記者会見前に、「絶対にやってやろう」って思うから。「俺のスクープ、俺のグッドアイデアとして、絶対にやってやろう」って思うんだけど、見てみると、多いの。ネタがカブってるの。
カブってる時点で、それはやめるべきなんだけど、みんながやる。それがエライ滑稽に見えるわけ。俺も会場にいたら、やってみようとはすると思うんだよね。自分のオリジナルのやり方で、その佐村河内氏のウソを暴きたいってことを絶対にすると思うんだよね。
そこがカブってしまってるんだけど、「やろう」と思ってきちゃったから、自制が効いてないってことが起きるじゃん。それが、「自分は耳が不自由です」って言う人に対して、「本当に不自由なのか、この実験をしてみようぜ」っていう流れ自体は、かなり品の良くないことではあるじゃん。これは、100歩譲って、行動としてやることの一つかもしれないんだけど。
「聴力は回復しない」というテロップ
もう一個、佐村河内氏が耳が聞こえないってことで、障害申請が認められた。でも、回復してますって時に、報道のコメントをするお医者さんたちが、専門家の人たちが、「そのレベルになった人が、回復するってことは、医学的にありえない」っていうコメントを出したの。
テレビの持ってる怪物感みたいな感じに、良い/悪いってことじゃなくて、「怪物になってますよ」って話がしたいだけなんだけどね。自分も、その怪物になる感じも分かってるんだけどね。俺なんかの脇の甘さっていうのもあるから。「伊集院さん、もしかしてフェレットの死骸を脇に挟んでらっしゃいます?」っていう甘酸っぱさもあるから(笑)
(医学的に回復しない、と医療関係者が発言することは)佐村河内氏が、体の不自由な人たちを傷つけたっていうことが、大義名分としてまずこちらが彼に攻め込む、彼を吊るし上げる、糾弾するっていう旗頭になってることにも関わらず、「それって夕方の番組に流すことで、傷つく人はいないの?」って思うんですよね。
言わなきゃいけないデータだってことは分かるんだけど、そこにもテロップを入れる必要はあるの?その情報の特性から考えると、それを流すことは報道だからってことで、流して良いかもしれないし、俺の立場では分かりかねることなんだけどね。
責める者は責められる者になる
俺の意地悪な目かもしれないんだけど、誰かが飛びかかってる時に、「うわ、飛びかかってるお前ら、大丈夫か?」ってなってるときに、あそこにテロップを入れるって作業は、なんかちょっとゾクっとするんだよね。
それを鬼の首をとったかのように言うけど、俺もそこに陥るはずなんだ。何かを責めたり、笑ったりしているときに、俺も笑われてるから。それに関して、「そんなのやりやがって」って思ってるんじゃないんだよ。「人って、そうなるな」って。「俺は間違ってない」って思ってるがゆえに、襲いかかるとそうなるなって。
日頃、真面目だったり、自分を一生懸命に律してる人が、いざ「これは許せない」って思って襲いかかったときに、そういう隙ができるなって思っちゃったの。
【関連記事】
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