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ジブリ・鈴木敏夫「忘れられない宮﨑駿との出会い、そして第一声」

2013.12.16 (Mon)
2013年12月11日放送のTBSラジオ系のラジオ番組『大沢悠里のゆうゆうワイド』(月曜日-金曜日8:30-13:00)にて、ジブリプロデューサーの鈴木敏夫がゲスト出演した。そこで、宮﨑駿との出会いについて語っていた。

鈴木敏夫は、慶應義塾大学文学部卒業後、徳間書店に入社。『週刊アサヒ芸能』企画部に配属となった。事件記者として取材を重ねた後、『アニメージュ』創刊に携わり、対談企画を通じて宮﨑駿と出会ったのだという。

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『アサヒ芸能』記者時代の恐怖体験

大沢悠里「『アサヒ芸能』でいろんな記事を書かれたんでしょ?」

鈴木敏夫「あそこはね、ありとあらゆることをやらされるんですね」

大沢悠里「おぉ」

鈴木敏夫「柔らかいものから、硬いものまで」

大沢悠里「怖い目にも遭ってるでしょ?」

鈴木敏夫「えぇ。小野悦男って連続殺人犯がいて、捕まるんですけど、弟さんの家に取材に行きまして」

大沢悠里「えぇ」

鈴木敏夫「夜、取材に行ったら、『何しにきた?』って言われて。パっと見たら、出刃包丁を持ってるんです(笑)」

大沢悠里「ほぅ」

鈴木敏夫「缶詰か何かを持ってったんですけど、『取材です』って言ったら、『バカヤロー!』って言われて。人間って不思議ですね、そういうときって足がすくまないんですね。すぐに逃げました(笑)」

大沢悠里「そうですか(笑)」

鈴木敏夫「怖いことって、遠くで見てると足がすくむんですけど、近くで見てるとそうでもないですね」

見城美枝子「逃げられたんですね」

大沢悠里「そういう取材をされてた方と、『千と千尋の神隠し』が繋がらないんだよ(笑)…そういう記事を何十本と書かれて?」

鈴木敏夫「毎週1本でしたね」

見城美枝子「事件記者ですよね」

鈴木敏夫「葬式が一番イヤでしたね。誰かが殺されると、葬式に行かなければならないんですよ。そうすると、葬式に行かなきゃいけなくて。誰かの話を聞かなければいけなくて。なんとなく家のそばに行って。入りにくくてね、家の周り、3周くらいするんですね(笑)」

見城美枝子「はい」

鈴木敏夫「思い切って家の中に入って。それで入った途端、そこに座るんですよ。親戚の間に。そこでただ一言だけ、『…大変でしたね』って言うと、だいたい喋ってくれるんですよ」

見城美枝子「名インタビューアー(笑)」

大沢悠里「そういう修羅場もくぐり抜けて。そこからアニメの雑誌に移られて」

鈴木敏夫「そうなんです」

大沢悠里「『アニメージュ』っていう」

鈴木敏夫「アニメーションの専門雑誌なんです」

アニメージュ担当へ

大沢悠里「『週刊アサヒ』の記者をやってて、怖い目に遭って。それから『アニメージュ』に移られて。その頃、アニメってよく分からなかったって?」

鈴木敏夫「『宇宙戦艦ヤマト』っていうのがありましてね。あれがきっかけです」

見城美枝子「あの頃?」

鈴木敏夫「はい。それが映画になるっていうんで。そしたらね、僕の先輩の尾形(英夫)っていう人がね、アニメーション雑誌をやろうって言うんです。『どうしてですか?』って訊いたら、『ウチの息子が好きだから』って(笑)」

大沢悠里「ほぉ」

鈴木敏夫「その人ね、火付け役で『やろう』って言うんですけど、誰かにやらせる人でね。『敏ちゃん、作ってよ』って。それでまぁ、やり始めるんですけども」

大沢悠里「でも、よくわからないですよね。どうしたんですか?」

鈴木敏夫「そしたら、『アニメファンっていうのはいっぱいいるから、ソイツら紹介するから、やってくれよ』って言われて。でもね、言われたのが発売日の直前なんですよね。2週間くらいしかないんです」

見城美枝子「え?」

鈴木敏夫「半年くらいちゃんと作ってたのに、僕、いきなり呼ばれて携わることになっちゃったから。『え?』って言ったら、『(今までの担当者は)ちょっとケンカしてクビにしたから、敏ちゃん頼む』って言われて(笑)」

見城美枝子「元々は準備してたのに、頓挫したっていうか」

大沢悠里「そのスタッフと揉めちゃってね。それで訊いたら、『2週間しかない』って。『俺の一生のお願いだ』とか色々、言われてね」

見城美枝子「どうしました?」

鈴木敏夫「この人、こんなこと言うのは珍しいからって、引き受けちゃったんですね(笑)」

大沢悠里「アニメのこと分からないので、女子高生に講義を受けたんですって?」

鈴木敏夫「えぇ。スタッフの尾形さんが、『俺の知ってるのがいるから』っていうんで呼んでもらって。その子たちに1日話を聞いて、内容を決めました。それで2日目には内容もスタイルも全部決めて、3日目にスタッフを集めて、4日目からは取材ですよ」

見城美枝子「あぁ」

鈴木敏夫「実際には、1週間しかないんです。それがきっかけですね、高畑勲、宮﨑駿と出会う」

宮﨑駿、高畑勲との出会い

鈴木敏夫「急いでるから、何かで長いスピーチをとろうと思ったんですね」

大沢悠里「あぁ」

鈴木敏夫「そしたらね、女子高生が『こういう太陽の王子 ホルスの大冒険っていう名作があるんだ』と」

大沢悠里「えぇ」

鈴木敏夫「『これはどうか?』って言われて。それで『8ページ終わるな』って思って(笑)」

見城美枝子「はい(笑)」

大沢悠里「それで監督に会おうと思った?」

鈴木敏夫「そうなんです。それで高畑勲監督に電話して。僕は会って話を聞きたいって言っただけなのに、電話の向こうで1時間、『そのインタビュー取材には応じたくない』って延々と喋られて」

見城美枝子「あら」

鈴木敏夫「ものすごい理屈っぽい人なんです。それでもうタマゲてね。『もうしょうがない、いいや』って思った瞬間、(高畑勲監督は)『僕はそういう考えだ。でも、ホルスっを作った宮﨑駿というのがいる。彼に代わりますから』って」

大沢悠里「1時間喋った後?」

鈴木敏夫「はい。隣に座ってるからって。それで宮﨑駿が電話に出て。いきなり『あらましは聞きました。僕は取材を受けたい。その代わり、16ページ喋りたいことがあるから欲しい』と。それで、その電話の向こうで喋り始めてしまうんです」

見城美枝子「あぁ」

鈴木敏夫「だから『ちょっと待ってください。とにかく会って…』なんてやってるうちにね、『これはもうダメだな』って思って(笑)」

見城美枝子「ふふ(笑)」

鈴木敏夫「ただ、印象に残ったんですね。この2人のことが。雑誌は作り終わったんだけど、その映画のことが気になる。でも、当時はビデオが無いじゃないですか。そしたら池袋の文芸座で『太陽の王子 ホルスの大冒険』をやってるっていうんで、それを夜中に観に行って」

大沢悠里「あぁ」

鈴木敏夫「そしたら愕然とするんですね。どこかで、『ヤマトだとか、アニメってくだらないもんだろう』って思ってたんですね」

大沢悠里「はい」

鈴木敏夫「でも、下敷きにしてあったのがベトナム戦争。それで『守るべき村はなにか』とか、漫画映画でありながら、とんでもないことをやってるわけですよ。それで初めて、目を見開かされて」

大沢悠里「高畑勲監督は、東映動画ってところで。その後に宮﨑駿監督が入ったんですよね」

鈴木敏夫「そうです。その当時、『赤毛のアン』ってシリーズを2人がやってて。そうこうする内に、宮﨑駿が『ルパン三世 カリオストロの城』。高畑勲『じゃりン子チエ』をやってて。それで会いに行っちゃうんですよね」

宮﨑駿への取材

大沢悠里「でも、なかなか宮﨑駿は会ってくれなかったんでしょ?」

鈴木敏夫「宮﨑駿は…頭にきましたね。いきなり行って、『雑誌で扱いたいんで。宣伝にもなりますよ』って言ったら、『あなたの雑誌には出たくない』って言うんですね」

見城美枝子「また強烈(笑)」

鈴木敏夫「『あなたの雑誌は、アニメを商売の具にして、儲けようって魂胆だろう?そんなものに、なぜ僕が協力しなければならないんだ』って」

見城美枝子「スゴイですね(笑)」

鈴木敏夫「そういう時、僕は何も抵抗しないんですよ。何も言わないで、その辺にある腰掛けを持ってきて座ったんですね。そしたら、向こうも向こうで何も喋らないんです。それで一生懸命、絵コンテを描いてるんですね」

大沢悠里「あぁ」

鈴木敏夫「その日、多分、午後だと思ったんですけど、ずっと隣にいて。そしたら、一言も喋らない」

大沢悠里「横にずっといるんですか?」

鈴木敏夫「いるんです。それで見てたら、12時を回る。それで彼が片付け始めたのが、午前4時。それでやっと一言ですよ。『帰ります』って」

大沢悠里「えぇ」

鈴木敏夫「それで『はい』って言ったら、『明日は、9時です』って」

大沢悠里「それでまた行った?(笑)」

鈴木敏夫「夜の9時かなって思ったら、朝の9時なんですよね(笑)」

見城美枝子「午前4時に終えて、また午前9時から?」

鈴木敏夫「そう」

大沢悠里「変な方だなぁ(笑)」

鈴木敏夫「それでまた行きまして、朝の9時から午前4時まで、一度も喋ってくれないんですよね」

見城美枝子「その傍らに座って?」

鈴木敏夫「ずっといました。僕も別の仕事してました。それで、次に喋ってくれたのが、その翌日。また9時に来ましたから。絵コンテ描いてて、『ルパン三世 カリオストロの城』の冒頭のシーンなんですけど、カーチェイスのシーンなんですね」

大沢悠里「あぁ」

鈴木敏夫「いきなりですよ。(宮﨑駿が)『こういうの専門用語ないですか?』って。しょうがないから、『そういうの、"まくり"っていうんですよ』って。競輪とか、ああいうのを"まくり"って言うじゃないですか。それで宮﨑駿が『まくり』ってコンテに書いて」

大沢悠里「車が後ろからくる」

鈴木敏夫「追い抜くシーンで、それを"まくり"と」

大沢悠里「高畑勲監督も、宮﨑駿もとっつきにくい感じだったんですね」

鈴木敏夫「本当に頭にくる…僕としては、口を割らせることが仕事ですよね」

『風の谷のナウシカ』制作秘話

大沢悠里「鈴木敏夫さんとの最初の仕事は、『風の谷のナウシカ』ですよね?」

鈴木敏夫「はい」

大沢悠里「これは?」

鈴木敏夫「宮﨑駿、高畑勲と付き合う最初なんですけどね。2人が、アメリカでアニメーションを作ることになったんですけど、揉めて帰ってきて、仕事無くなっちゃったんですね」

大沢悠里「揉めたんだ(笑)」

鈴木敏夫「アメリカ人とケンカしたんですね」

大沢悠里「だろうな(笑)」

鈴木敏夫「その頃、世の中で活字と音楽と映像のメディアミックスをやろうってことになってて。徳間書店には映像会議があって、『企画あったら持ってこい』って言われて」

大沢悠里「うん」

鈴木敏夫「それで宮﨑駿と『風の谷のナウシカ』の企画を持っていったら、一蹴されまして」

大沢悠里「あぁ」

鈴木敏夫「『原作がないものをいきなり映画か、バカヤロー』って言われて。それを宮﨑駿に言ったら、『描いちゃいましょうか』って(笑)」

大沢悠里「うん」

鈴木敏夫「僕、雑誌やってたから、『風の谷のナウシカ』の漫画がスタートして。それで映画化しようとしたら、『鈴木さん、ダメだよ。映画にする思惑で漫画を描いては、漫画に失礼だよ。だから、映画にできない漫画を描く』って言い出して」

大沢悠里「えぇ」

鈴木敏夫「本当に細かい絵を描いてねぇ…でも、こちらとしてはなんとか映画にしたいじゃないですか。1年足らずで単行本になって。ページ少なかったんですけど…なんせ、彼は漫画を描くの1日1ページなんですよ(笑)」

見城美枝子「あぁ」

鈴木敏夫「120ページで単行本にして、それを世の中にだそう、と。出せば売れると思ったけど、全然売れなかったんですけど(笑)」

見城美枝子「あら」

鈴木敏夫「なんか良い方法はないかって考えたんですけど、宣伝部長に和田っていうのがいて、そいつを仲間に入れようって(笑)」

大沢悠里「サイコロで賭け事してね。友達と2人で5万ずつ出して、わざと負けて、営業部長に勝たせて。それで博報堂に行かせて、映画ができたんです」

鈴木敏夫「本当にそうなんです(笑)」

見城美枝子「修羅場をくぐってきたんですね(笑)」

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タグ : 鈴木敏夫,宮﨑駿,ジブリ,

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