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ラビット関根→関根勤に変わったワケ
2013.08.31 (Sat)
2013年08月30日放送の「バナナマンのバナナムーンGOLD」にて、関根勤がゲスト出演していた。そこで、ラビット関根→関根勤に変わったワケについて語っていた。
全肯定! 関根流・ポジティブ人生相談

関根勤「大学3年生の時に『ぎんざNOW!』に出て」
設楽「5週勝ち抜きしたんですよね」
関根勤「そうです」
設楽「面白いヤツだってことで、テレビに出てみようと思ったんですか?」
関根勤「素人バンドみたいに、素人コメディグループを組んでたんですよ」
日村「あぁ」
関根勤「それで色んなところでやってて、解散することになって」
日村「はい」
関根勤「番組観てたら、『俺と同じようなことやってるヤツいるんだ』って思って」
日村「はい」
関根勤「青春の思い出出ようって思って」
日村「本当に素人だったんですね」
関根勤「ハガキ出して、オーディションを受けて」
日村「そしたらチャンピオン」
関根勤「中学、高校生しか出てないんで(笑)大学生で大人げないと思ったけど(笑)」
日村「でも、そこはね(笑)」
設楽「もしそこでチャンピオンになってなくて、こういう世界に入ってなかったら、もう決まってたんですか?」
関根勤「消防士」
設楽「お父さんと同じ?」
関根勤「そう。親父の後を継いで。ちょっとモノマネできる消防士」
日村「はっはっはっ(笑)」
設楽「そこで人生が変わるわけですね。それから浅井企画の社長に説得されて事務所入り。説得ってなんですか?」
関根勤「そうです。最初、断ったんですよ」
日村「へぇ」
関根勤「僕みたいなもんが、ただのクラスの人気者が通用する世界じゃない、と」
日村「へぇ。本当に思い出に出よう、だったんですね?」
関根勤「そうそう。そしたら社長が、『コント55号・萩本欽一、坂上二郎を売りだした僕が、君の才能を保証する』とか言うわけよ」
日村「あぁ」
関根勤「21歳だから舞い上がっちゃって(笑)嫌いじゃないしね。3年生だから、もう1年やってみようって思って」
設楽「大学卒業するまでにね」
関根勤「その1年が良くなかったね。踏み込んじゃって」
日村「なるほど」
関根勤「大学4年の春頃だったら断ってたね」
設楽「『ヤングタウンTOKYO 桂三枝の大放送』で、桂三枝師匠がその干支から『ラビット関根』と命名」
関根勤「えぇ。そうなんです」
設楽「今までやっていなかった、千葉真一さん、ジャイアント馬場さん、長嶋茂雄さんのモノマネで話題になる、と」
関根勤「えぇ」
設楽「関根勤さんがラビット関根だったのって知らないですよね?」
関根勤「わかんないね。40歳以上じゃないと」
設楽「『欽ちゃんのどこまでやるの!?』で、小堺さんとのコンビ」
日村「黒子とグレ子ね」
設楽「この辺からですね。テレビで観てたの」
関根勤「そこから関根勤です」
設楽「ここからなんですね」
関根勤「萩本さんが『ラビット関根なんて変な名前のヤツを、俺の番組に出したくない』って言って(笑)」
日村「へぇ」
関根勤「桂三枝さんが付けたって知らなかったから(笑)しばらくしてから、『言えよ、お前!』って言われて(笑)」
設楽「はっはっはっ(笑)」
関根勤「でも、関根勤ってなったんで、世間の人が『奇怪なタレントじゃない』ってイメージが変わって」
設楽「なるほど」
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デビューから浅井企画所属までの変遷
関根勤「大学3年生の時に『ぎんざNOW!』に出て」
設楽「5週勝ち抜きしたんですよね」
関根勤「そうです」
設楽「面白いヤツだってことで、テレビに出てみようと思ったんですか?」
関根勤「素人バンドみたいに、素人コメディグループを組んでたんですよ」
日村「あぁ」
関根勤「それで色んなところでやってて、解散することになって」
日村「はい」
関根勤「番組観てたら、『俺と同じようなことやってるヤツいるんだ』って思って」
日村「はい」
関根勤「青春の思い出出ようって思って」
日村「本当に素人だったんですね」
関根勤「ハガキ出して、オーディションを受けて」
日村「そしたらチャンピオン」
関根勤「中学、高校生しか出てないんで(笑)大学生で大人げないと思ったけど(笑)」
日村「でも、そこはね(笑)」
設楽「もしそこでチャンピオンになってなくて、こういう世界に入ってなかったら、もう決まってたんですか?」
関根勤「消防士」
設楽「お父さんと同じ?」
関根勤「そう。親父の後を継いで。ちょっとモノマネできる消防士」
日村「はっはっはっ(笑)」
設楽「そこで人生が変わるわけですね。それから浅井企画の社長に説得されて事務所入り。説得ってなんですか?」
関根勤「そうです。最初、断ったんですよ」
日村「へぇ」
関根勤「僕みたいなもんが、ただのクラスの人気者が通用する世界じゃない、と」
日村「へぇ。本当に思い出に出よう、だったんですね?」
関根勤「そうそう。そしたら社長が、『コント55号・萩本欽一、坂上二郎を売りだした僕が、君の才能を保証する』とか言うわけよ」
日村「あぁ」
関根勤「21歳だから舞い上がっちゃって(笑)嫌いじゃないしね。3年生だから、もう1年やってみようって思って」
設楽「大学卒業するまでにね」
関根勤「その1年が良くなかったね。踏み込んじゃって」
日村「なるほど」
関根勤「大学4年の春頃だったら断ってたね」
ラビット関根と命名
設楽「『ヤングタウンTOKYO 桂三枝の大放送』で、桂三枝師匠がその干支から『ラビット関根』と命名」
関根勤「えぇ。そうなんです」
設楽「今までやっていなかった、千葉真一さん、ジャイアント馬場さん、長嶋茂雄さんのモノマネで話題になる、と」
関根勤「えぇ」
設楽「関根勤さんがラビット関根だったのって知らないですよね?」
関根勤「わかんないね。40歳以上じゃないと」
ラビット関根→関根勤になったワケ
設楽「『欽ちゃんのどこまでやるの!?』で、小堺さんとのコンビ」
日村「黒子とグレ子ね」
設楽「この辺からですね。テレビで観てたの」
関根勤「そこから関根勤です」
設楽「ここからなんですね」
関根勤「萩本さんが『ラビット関根なんて変な名前のヤツを、俺の番組に出したくない』って言って(笑)」
日村「へぇ」
関根勤「桂三枝さんが付けたって知らなかったから(笑)しばらくしてから、『言えよ、お前!』って言われて(笑)」
設楽「はっはっはっ(笑)」
関根勤「でも、関根勤ってなったんで、世間の人が『奇怪なタレントじゃない』ってイメージが変わって」
設楽「なるほど」
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