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伊集院光「『深夜の馬鹿力』の18年を振り返る」
2013.08.27 (Tue)
2013年08月26日放送の「たまむすび」にて、伊集院光がゲスト出演していた。そこで、18年目を迎えた「伊集院光 深夜の馬鹿力」について語っていた。
ファミ通と僕 2000-2002

赤江珠緒「『伊集院光 深夜の馬鹿力』が、今年でまる18年」
伊集院光「もう、そんなですか」
赤江「はい。だから私、20歳の時」
伊集院「ふふ(笑)堂々と年齢を推測させる発言(笑)」
赤江「いえいえ(笑)スゴイなぁって」
伊集院「よく続いているよね。俺が今、45歳だから、27~28歳の頃に始めたんだよね。結婚してすぐに始めたから」
カンニング・竹山「へぇ」
赤江「新婚ホヤホヤの時から」
伊集院「その時は、知ってる人は知っていますけど、ニッポン放送でしくじってから、TBSに拾ってもらう形で来たから、ニッポン放送の方が長い感がずっとあるんですけど」
竹山「帯やられてましたもんね」
伊集院「そう。デビューもニッポン放送の帯番組で。しくじって、出入り禁止になって(笑)」
竹山「ふふ(笑)」
伊集院「そしたら、ここにいた人が呼んでくれたから。それこそ、頑張ろうって思って」
赤江「うん」
伊集院「それで18年…長いね」
赤江「長いですよ」
伊集院「ここの局は、小堺さんと関根さんがラジオやってたから」
竹山「コサキンだ」
伊集院「深夜放送って、20代くらいで終わりだったのに、小堺さんと関根さんがとにかく、前例としてスッゴイ長くやってた上に、年齢重ねてもやっててくれたお陰で」
竹山「はい」
伊集院「それで、頑張れるというか、やっていいって感じになって」
竹山「毎週、2時間喋るわけじゃないですか」
伊集院「うん」
竹山「オープニングトークで、毎回、新しいことあるわけじゃないですか」
伊集院「うん」
竹山「それは、作るために何かをやる生活をするのか、それとも、笑福亭鶴瓶師匠みたいに毎回色んなことが起こるんですか?」
伊集院「あぁ…なんか、その時その時で、自分が自分をミスリードしたりするのよ(笑)」
竹山「はい」
伊集院「自分が自分を、間違って評価したり間違って分析したりしちゃうんだけど」
竹山「はい」
伊集院「最初は、ラジオのネタを作るために、色んなことをするって感覚はあったし、そういう風に訊かれた時にはそう答えてたんだけど」
竹山「はい」
伊集院「最近はどうも違ってて、何かをやってみたいことがあって。照れくさかったりとか、何の意味があるのかは分からないけど、どのみちやった結果が、ラジオで喋れるんなら、やる/やらないの、『やる』方を選べる感覚になってきてて」
竹山「あぁ~」
赤江「はい」
伊集院「不思議な感じ。休みに北海道に行かなくてもいいけど、行って、面白ければそれでも良いし、最悪、クソつまらない目に遭っても、それをラジオで喋れば良いって、俺達は保険がかかってるっていう」
竹山「あぁ、はい(笑)」
伊集院「こんな幸せなことはないだろうって思ってて」
竹山「はい」
伊集院「ダイエットやってて、痩せなきゃいけないと思うけど、痩せなくても喋れればいいなって思うから、とにかくやりたいことができるっていうのが、一番幸せで」
赤江「はい」
伊集院「あと、テレビの裏話みたいなこととが、昔は深夜番組の一番のメインで、それが一番楽しかったし、聴いてもらえてたけど」
竹山「はい」
伊集院「最近、そうもいかないじゃない?ラジオの話だから勘弁してよ、みたいなことも許されなくなってきて」
竹山「はい」
伊集院「それだと、テレビをスゴイ忙しくやってたら、ラジオのトークもできる、みたいなシステムじゃなくなってきてて。色んな人にご迷惑をお掛けするし」
竹山「はい。そうですね」
伊集院「そうすると、自分のことができる時間は多い方がいいかなって思って」
竹山「あぁ。そうすると、ラジオ中心に頭の中の仕事のスケジュールを組んでいくって感じなんですか?」
伊集院「それは事務所に、週に何日渡しますので、仕事を入れてください、と。それ以外に関しては、自由な時間で。だから、僕はすごいオフが多いです。週に3日くらいしか働いてないです」
竹山「へぇ、そうですか」
伊集院「家で原稿を書いたりとかはあったり、いずれまとめようと思ってやってることはあるけど、それはあんまり休みとは呼んでないんですけど。たとえば、日本中のバッティングセンターに行って評価を決める、みたいなことはやってるんですけどね」
赤江「道のりが果てしないですね(笑)」
伊集院「はい(笑)100件くらいまで来たんですけどね(笑)そんなのを、オフって呼ばなければ仕事は埋まってますけど、そんなのオフじゃないですか(笑)」
竹山「色んなことして、イヤな目に遭っても、ラジオで喋れるって保険があるわけなんですね」
伊集院「どんなに困っても。色んな書き方されるから、ニュアンス違って伝わるけど、飛行機にプリン持ち込めません、みたいなことで揉めるけど(伊集院光「航空会社・スカイマークへの疑問」)」
竹山「はい」
伊集院「プリン1つで、45歳がしょんぼりしてるっていうのが超面白いなって思って」
赤江「ラジオの仕事を辞めたいって思ったことはないですか?」
伊集院「昔はあったね。逆の発想で、自分を自分でミスリードしちゃうっていうのは、俺はラジオのために生活してるって思い込んじゃった時期があって、その時期は、ラジオに殺されるって思っちゃったの」
竹山「あぁ」
伊集院「ラジオの伊集院光に、本名・篠岡建が殺されるんじゃないかって思って」
赤江「あぁ」
伊集院「無理に面白いこととかに仕向けようとするじゃん?本当に死ぬような目に遭った方が面白いんじゃないかって勘違いしちゃったことがあって」
赤江「たしかに(笑)」
伊集院「死ぬ寸前が面白いと思うんだけど、いつか、死ぬ寸前までだったのになぁ…って思う時がくると思って」
赤江「それはヤダ(笑)」
竹山「やり過ぎちゃって(笑)」
伊集院「それがインフレ起こしちゃったことがあったね」
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伊集院光がラジオについて濃密に語り尽くした「たまむすび」
ファミ通と僕 2000-2002

『伊集院光 深夜の馬鹿力』開始からの18年を振り返る
赤江珠緒「『伊集院光 深夜の馬鹿力』が、今年でまる18年」
伊集院光「もう、そんなですか」
赤江「はい。だから私、20歳の時」
伊集院「ふふ(笑)堂々と年齢を推測させる発言(笑)」
赤江「いえいえ(笑)スゴイなぁって」
伊集院「よく続いているよね。俺が今、45歳だから、27~28歳の頃に始めたんだよね。結婚してすぐに始めたから」
カンニング・竹山「へぇ」
赤江「新婚ホヤホヤの時から」
伊集院「その時は、知ってる人は知っていますけど、ニッポン放送でしくじってから、TBSに拾ってもらう形で来たから、ニッポン放送の方が長い感がずっとあるんですけど」
竹山「帯やられてましたもんね」
伊集院「そう。デビューもニッポン放送の帯番組で。しくじって、出入り禁止になって(笑)」
竹山「ふふ(笑)」
伊集院「そしたら、ここにいた人が呼んでくれたから。それこそ、頑張ろうって思って」
赤江「うん」
伊集院「それで18年…長いね」
赤江「長いですよ」
若手芸人ではなくなった今、深夜ラジオを続ける理由
伊集院「ここの局は、小堺さんと関根さんがラジオやってたから」
竹山「コサキンだ」
伊集院「深夜放送って、20代くらいで終わりだったのに、小堺さんと関根さんがとにかく、前例としてスッゴイ長くやってた上に、年齢重ねてもやっててくれたお陰で」
竹山「はい」
伊集院「それで、頑張れるというか、やっていいって感じになって」
毎週フリートークを続けられる理由
竹山「毎週、2時間喋るわけじゃないですか」
伊集院「うん」
竹山「オープニングトークで、毎回、新しいことあるわけじゃないですか」
伊集院「うん」
竹山「それは、作るために何かをやる生活をするのか、それとも、笑福亭鶴瓶師匠みたいに毎回色んなことが起こるんですか?」
伊集院「あぁ…なんか、その時その時で、自分が自分をミスリードしたりするのよ(笑)」
竹山「はい」
伊集院「自分が自分を、間違って評価したり間違って分析したりしちゃうんだけど」
竹山「はい」
伊集院「最初は、ラジオのネタを作るために、色んなことをするって感覚はあったし、そういう風に訊かれた時にはそう答えてたんだけど」
竹山「はい」
伊集院「最近はどうも違ってて、何かをやってみたいことがあって。照れくさかったりとか、何の意味があるのかは分からないけど、どのみちやった結果が、ラジオで喋れるんなら、やる/やらないの、『やる』方を選べる感覚になってきてて」
竹山「あぁ~」
赤江「はい」
伊集院「不思議な感じ。休みに北海道に行かなくてもいいけど、行って、面白ければそれでも良いし、最悪、クソつまらない目に遭っても、それをラジオで喋れば良いって、俺達は保険がかかってるっていう」
竹山「あぁ、はい(笑)」
伊集院「こんな幸せなことはないだろうって思ってて」
竹山「はい」
伊集院「ダイエットやってて、痩せなきゃいけないと思うけど、痩せなくても喋れればいいなって思うから、とにかくやりたいことができるっていうのが、一番幸せで」
赤江「はい」
求められる番組の内容変化と、ラジオ中心の生活へのシフト
伊集院「あと、テレビの裏話みたいなこととが、昔は深夜番組の一番のメインで、それが一番楽しかったし、聴いてもらえてたけど」
竹山「はい」
伊集院「最近、そうもいかないじゃない?ラジオの話だから勘弁してよ、みたいなことも許されなくなってきて」
竹山「はい」
伊集院「それだと、テレビをスゴイ忙しくやってたら、ラジオのトークもできる、みたいなシステムじゃなくなってきてて。色んな人にご迷惑をお掛けするし」
竹山「はい。そうですね」
伊集院「そうすると、自分のことができる時間は多い方がいいかなって思って」
竹山「あぁ。そうすると、ラジオ中心に頭の中の仕事のスケジュールを組んでいくって感じなんですか?」
伊集院「それは事務所に、週に何日渡しますので、仕事を入れてください、と。それ以外に関しては、自由な時間で。だから、僕はすごいオフが多いです。週に3日くらいしか働いてないです」
竹山「へぇ、そうですか」
伊集院「家で原稿を書いたりとかはあったり、いずれまとめようと思ってやってることはあるけど、それはあんまり休みとは呼んでないんですけど。たとえば、日本中のバッティングセンターに行って評価を決める、みたいなことはやってるんですけどね」
赤江「道のりが果てしないですね(笑)」
伊集院「はい(笑)100件くらいまで来たんですけどね(笑)そんなのを、オフって呼ばなければ仕事は埋まってますけど、そんなのオフじゃないですか(笑)」
竹山「色んなことして、イヤな目に遭っても、ラジオで喋れるって保険があるわけなんですね」
伊集院「どんなに困っても。色んな書き方されるから、ニュアンス違って伝わるけど、飛行機にプリン持ち込めません、みたいなことで揉めるけど(伊集院光「航空会社・スカイマークへの疑問」)」
竹山「はい」
伊集院「プリン1つで、45歳がしょんぼりしてるっていうのが超面白いなって思って」
ラジオパーソナリティをを辞めたいと思った時
赤江「ラジオの仕事を辞めたいって思ったことはないですか?」
伊集院「昔はあったね。逆の発想で、自分を自分でミスリードしちゃうっていうのは、俺はラジオのために生活してるって思い込んじゃった時期があって、その時期は、ラジオに殺されるって思っちゃったの」
竹山「あぁ」
伊集院「ラジオの伊集院光に、本名・篠岡建が殺されるんじゃないかって思って」
赤江「あぁ」
伊集院「無理に面白いこととかに仕向けようとするじゃん?本当に死ぬような目に遭った方が面白いんじゃないかって勘違いしちゃったことがあって」
赤江「たしかに(笑)」
伊集院「死ぬ寸前が面白いと思うんだけど、いつか、死ぬ寸前までだったのになぁ…って思う時がくると思って」
赤江「それはヤダ(笑)」
竹山「やり過ぎちゃって(笑)」
伊集院「それがインフレ起こしちゃったことがあったね」
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