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華原朋美-引退から再起までの6年間を語る

2013.08.19 (Mon)
2013年08月18日放送の「情熱大陸」にて、華原朋美の特集が行われていた。そこで、睡眠薬中毒となり、事務所解雇・引退となった時から再起するまでについて語られていた。

2007年6月-華原朋美の引退

プロダクション尾木の社長・尾木徹は、引退当時の華原朋美について語っていた。

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尾木「睡眠薬を飲み過ぎたりして、起きてこないとか。僕が部屋まで(華原朋美を)連れて行ったこともあったんですよ」

「あんまり正気の状態じゃなかったんですよ、ずっと1日中。だから、彼女が寝ている横に解雇通知を置いたんです」

華原朋美、復帰までの遠い道のり

2010年夏に精神科・閉鎖病棟に強制入院。3ヶ月間過ごしている。退院後は父親の住むフィリピンに渡り、NPOを運営する父親の勧めでボランティア活動に従事していた。帰国後、街行く人に「あの薬の…」と指差されることもあったという。

そんな彼女は、兄が経営する介護施設を手伝いながら、ボイストレーニングを続け、尾木徹社長宛にカラオケで録音したデモテープを送るなどして復帰に向けて動いていたという。

2012年12月1日、事務所に復帰を果たす。2013年6月のラジオ番組では、「いろんなことがありましたね。復帰ができるまで6年7年悩んで。ようやく要らないものを捨てられたという感じです」とその胸中を語っていた。

彼女は今、アマチュアが利用する時間貸しの音楽スタジオ(サウンドスタジオノアNOAH)に、華原朋美はよく出入りしているという。そこで、彼女はボイストレーニングを行っているという。

ファルセットで出していた曲も、現在では地声で出せるのだという。硬く鋭かった昔の声から、今は伸びやかでゆとりさえある声で歌うことができるのだという。

復帰第1作が「セルフカバー」の意味

華原朋美は、自分のヒット曲について「初めは自分の歌を恨むところから始まって。恨むって、怖い言い方しますけど(笑)イントロが流れてくるだけでもイヤだった」と語っていた。

彼女が復帰第一作としたのは、「DREAM-Self Cover Best-」。10曲中、9曲がカバー曲である。
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「結果が出ないと、すぐに逃げたがるから、私は。でもね、自分に勝ちたかったんですよね。1回でもいいから。自分にずっと負けてるから……勝ちたかったんです」と華原朋美は語っていた。

「茨の道であった過去を乗り越え、過去の自分を超える」…そうした意味が、復帰作には込められていたのかもしれない。



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