現代芸術家・会田誠×ブラマヨ・吉田敬 対談「現代美術論」
2013.03.21 (Thu)
2013年03月18日放送の「ショナイの話」にて、現代芸術家・会田誠がゲスト出演しており、ブラックマヨネーズ・吉田敬と対談を行なっていた。
ブラマヨ・吉田「いろんな作品ありますけど、描くときに全部出来てるんですか?」
会田「手を動かすより先に、できるだけ完成形に近づけようとしますね。するタイプですね。それで、下絵みたいなのをA4のコピー用紙みたいなのに鉛筆で描いてみたりするんですけど、実際にやってみると、頭のなかのものを写すと、ちょっと違うんですよね」
ブラマヨ・吉田「はい」
会田「本当は頭の中のものの方が良かったのに、実際に描いてみるとアレ?アレ?みたいな」
ブラマヨ・吉田「へぇ~」
会田「修正をずっとやるんですよね。そうやっていって、それなりの下絵を作るんですね」
ブラマヨ・吉田「はい」
会田「そこまでいくと、もうある意味できたも同然で」
ブラマヨ・吉田「実際に描きだして、色を塗って、『出来た!スゴイな俺』っていうのはあるんですか?」
会田「あんまり無いですね。『凄くないな、俺』っていう方が多いですね」
ブラマヨ・吉田「それで周りの人が『スゴイですね。良いですね』って言って、『あぁ、良かったんだ』って思うんですか?」
会田「本当は凄くないんですよ。もっと上には上があることは知ってるんだけど。そこまでいけなくて」
ブラマヨ・吉田「会田さんから言うと、上っていうのは誰なんですか?」
会田「歴史に残ってる巨匠は、だいたい上でしょうね」
ブラマヨ・吉田「ゴッホとかピカソとか」
会田「えぇ。ただ、ゴッホなりピカソなり、凄いと思ってもここは21世紀の日本だし、ピカソやゴッホのマネをしてもダメだろうと思いますけどね」
会田「ともすると芸術は過去の芸術の素敵な感じに引っ張られて、ちょっと古い夢を見続けようとするところがあって」
ブラマヨ・吉田「はい、はい」
会田「だけど、現代とちゃんと向かい合わないといけないわけで」
ブラマヨ・吉田「はい」
会田「もし現代とちゃんと向き合うことによって、作品がちょっと軽薄な感じになってしまうとしても、それは時代の必然性なんだからって思って、堂々と軽薄な作品を作りますね」
ブラマヨ・吉田「へぇ~。たとえば、50年後とか『この作家、時代に流されとったなぁ』って思われるかも分からんってことですか?」
会田「うん。でも、時代に流されて良いとおもいますよ」
ブラマヨ・吉田「『何百年も後になっても残る絵を描いたろ』みたいなのは、ないんですか?」
会田「いや、それ(現代と向き合うことで生まれた作品)とそれ(何百年も残る作品)は矛盾しないんですよ。ダ・ヴィンチのモナリザをみるとして、それはあの頃のイタリアの時代の雰囲気とかがタイムカプセルのように残ってるんですよ」
ブラマヨ・吉田「はい」
会田「芸術はそういう機能もあって。この時代が軽薄なら、軽薄なまま時代をパッケージして残すことが、大げさに言えば千年万年と先にも残る仕事にもなるんです」
ブラマヨ・吉田「芸術って、自由じゃないですか。自由過ぎるじゃないですか。ほんなら、『良い作品ってなんだろうか?』って思うんです」
会田「うん。良い作品ね…たしかに、良い作品って定義が広いのがまた、この20世紀、21世紀の芸術の良い所で」
ブラマヨ・吉田「ほう」
会田「お笑いなら、お客さんを笑わせたってことが勝ちとして、高い位置にあって」
ブラマヨ・吉田「はい」
会田「それに比べて、たしかにアートは笑わすっていうのもアリだし、考えさせるのもアリだし。もしかしたら、社会的に問題提起を起こして、ある種の人を怒らせるっていうのもアリだと思う。目的が多目的なエリアになってるんだとは思っていて」
ブラマヨ・吉田「はい」
会田「アートは何のためにそれがあるのか、はっきりと分からなくても良い。その代わり、芸術がアートだからっていって、尊敬しなくても良いですよ」
ブラマヨ・吉田「掴みどころがない」
会田「現代において、アートは、偉いとかそういう性質は持ってなくて。偉くても良いし、偉くなくても良い」
ブラマヨ・吉田「俺は勘違いしてましたよ。芸術家の人って、すぐに怒るって思ってました」
会田「ふふふ(笑)誰だろ」
ブラマヨ・吉田「怒って、暴れ倒して、照明も倒して、カメラも倒して、最後『これが芸術だ』って言って、それを写真撮って帰るんちゃうかなって」
会田「いいですね(笑)」
ブラマヨ・吉田「止めてくださいよ(笑)そういうことじゃないんですね」
会田「それもアリといえば、アリですけどね。それさえもアートですね」
ブラマヨ・吉田「それもアリなんですね…先生の作品を見て、僕みたいなもんでもいいなっていうのがあるんですけど、ただただ寂しい絵(高過ぎる日の丸)もあるじゃないですか。あれは、正直、どう思ったらいいんですか?」
会田「絵っていうのはちょっと複雑で、困ってしまうような感情や、日常あんまり感じないような感情を感じてもらう、そういう仕掛けを作るってことがあって」
ブラマヨ・吉田「はい」
会田「単純に性的興奮をしてもらいたいとか、あるいは嫌悪感だけを抱いてもらいたいとか、あるいは笑うとか怒るとか、そういう一つだけじゃなく複数押し寄せてきてどういう感情の配分にしたらいいのかわからなくなるような…」
ブラマヨ・吉田「あぁ、ニュースとか見てて『辛いな』とかっていう心を刺激されることはありますけど、先生の絵は『辛いな』とか、色んな心を刺激するものとしての役割があるってことですね」
会田「うん…人間はやはり複雑でそう簡単に言葉で説明できない。そういうことに自分が作る作品が対応して矛盾しないような複雑さを持たせたいって思いますね」
ブラマヨ・吉田「…六本木で個展をやるからって、『あの裸の女の子のおっぱい、いつもより大きく描いてもうた』みたいなのはないんですか?」
会田「ないですね。おっぱいで言えば、僕は小さく描いた方が僕の固定ファンは喜ぶんで」
ブラマヨ・吉田「小さいほうが好きやってファンの人がいるんですね」
会田「まぁまぁ、そうかもしれない」
ブラマヨ・吉田「先生はどっちが好きなんですか?」
会田「僕はBくらいですかね」
ブラマヨ・吉田「あぁ、小さめ!そうですか。僕はCです」
会田「ふふ(笑)」
ブラマヨ・吉田「DかBかでいくなら、Dにいきます」
会田「あぁ…Dだとちょっと笑っちゃうかもしれないですね」
ブラマヨ・吉田「マジっすか?」
会田「ポローンって出た瞬間に」
ブラマヨ・吉田「じゃあ、第二候補はAかCかどっちですか?」
会田「Aになりますかね」
ブラマヨ・吉田「うわ、そうなんや」
ブラマヨ・吉田「世間に対して思ってることや、日本に対してイライライしている気持ちが先生と同じくらいあったとするじゃないですか。でも、そいつが先生と同じくらい絵が上手じゃなかったとしたら、どうしたら良いと思いますか?」
会田「う~ん。社会に何か言いたいってことがあったら、政治家になればいいと思いますよ。美術、芸術をやっていくってことは、そういう目的じゃなくて、もっとモヤっとした動機があって」
ブラマヨ・吉田「みんなが、深く考え過ぎってことなんですかね?」
会田「うん、まぁ見て感じてもらいたい。そういうものを作りたいんですね。言葉にすぐ置き換えられることじゃなくて、もっと言葉にならないモヤっとしたものを作りたいですね」
会田の作品創出方法

会田「手を動かすより先に、できるだけ完成形に近づけようとしますね。するタイプですね。それで、下絵みたいなのをA4のコピー用紙みたいなのに鉛筆で描いてみたりするんですけど、実際にやってみると、頭のなかのものを写すと、ちょっと違うんですよね」
ブラマヨ・吉田「はい」
会田「本当は頭の中のものの方が良かったのに、実際に描いてみるとアレ?アレ?みたいな」
ブラマヨ・吉田「へぇ~」
会田「修正をずっとやるんですよね。そうやっていって、それなりの下絵を作るんですね」
ブラマヨ・吉田「はい」
会田「そこまでいくと、もうある意味できたも同然で」
ブラマヨ・吉田「実際に描きだして、色を塗って、『出来た!スゴイな俺』っていうのはあるんですか?」
会田「あんまり無いですね。『凄くないな、俺』っていう方が多いですね」
ブラマヨ・吉田「それで周りの人が『スゴイですね。良いですね』って言って、『あぁ、良かったんだ』って思うんですか?」
会田「本当は凄くないんですよ。もっと上には上があることは知ってるんだけど。そこまでいけなくて」
ブラマヨ・吉田「会田さんから言うと、上っていうのは誰なんですか?」
会田「歴史に残ってる巨匠は、だいたい上でしょうね」
ブラマヨ・吉田「ゴッホとかピカソとか」
会田「えぇ。ただ、ゴッホなりピカソなり、凄いと思ってもここは21世紀の日本だし、ピカソやゴッホのマネをしてもダメだろうと思いますけどね」
現代における『良い作品』とは
会田「ともすると芸術は過去の芸術の素敵な感じに引っ張られて、ちょっと古い夢を見続けようとするところがあって」
ブラマヨ・吉田「はい、はい」
会田「だけど、現代とちゃんと向かい合わないといけないわけで」
ブラマヨ・吉田「はい」
会田「もし現代とちゃんと向き合うことによって、作品がちょっと軽薄な感じになってしまうとしても、それは時代の必然性なんだからって思って、堂々と軽薄な作品を作りますね」
ブラマヨ・吉田「へぇ~。たとえば、50年後とか『この作家、時代に流されとったなぁ』って思われるかも分からんってことですか?」
会田「うん。でも、時代に流されて良いとおもいますよ」
ブラマヨ・吉田「『何百年も後になっても残る絵を描いたろ』みたいなのは、ないんですか?」
会田「いや、それ(現代と向き合うことで生まれた作品)とそれ(何百年も残る作品)は矛盾しないんですよ。ダ・ヴィンチのモナリザをみるとして、それはあの頃のイタリアの時代の雰囲気とかがタイムカプセルのように残ってるんですよ」
ブラマヨ・吉田「はい」
会田「芸術はそういう機能もあって。この時代が軽薄なら、軽薄なまま時代をパッケージして残すことが、大げさに言えば千年万年と先にも残る仕事にもなるんです」
ブラマヨ・吉田「芸術って、自由じゃないですか。自由過ぎるじゃないですか。ほんなら、『良い作品ってなんだろうか?』って思うんです」
会田「うん。良い作品ね…たしかに、良い作品って定義が広いのがまた、この20世紀、21世紀の芸術の良い所で」
ブラマヨ・吉田「ほう」
会田「お笑いなら、お客さんを笑わせたってことが勝ちとして、高い位置にあって」
ブラマヨ・吉田「はい」
会田「それに比べて、たしかにアートは笑わすっていうのもアリだし、考えさせるのもアリだし。もしかしたら、社会的に問題提起を起こして、ある種の人を怒らせるっていうのもアリだと思う。目的が多目的なエリアになってるんだとは思っていて」
ブラマヨ・吉田「はい」
会田「アートは何のためにそれがあるのか、はっきりと分からなくても良い。その代わり、芸術がアートだからっていって、尊敬しなくても良いですよ」
ブラマヨ・吉田「掴みどころがない」
芸術の役割とは

ブラマヨ・吉田「俺は勘違いしてましたよ。芸術家の人って、すぐに怒るって思ってました」
会田「ふふふ(笑)誰だろ」
ブラマヨ・吉田「怒って、暴れ倒して、照明も倒して、カメラも倒して、最後『これが芸術だ』って言って、それを写真撮って帰るんちゃうかなって」
会田「いいですね(笑)」
ブラマヨ・吉田「止めてくださいよ(笑)そういうことじゃないんですね」
会田「それもアリといえば、アリですけどね。それさえもアートですね」
ブラマヨ・吉田「それもアリなんですね…先生の作品を見て、僕みたいなもんでもいいなっていうのがあるんですけど、ただただ寂しい絵(高過ぎる日の丸)もあるじゃないですか。あれは、正直、どう思ったらいいんですか?」
会田「絵っていうのはちょっと複雑で、困ってしまうような感情や、日常あんまり感じないような感情を感じてもらう、そういう仕掛けを作るってことがあって」
ブラマヨ・吉田「はい」
会田「単純に性的興奮をしてもらいたいとか、あるいは嫌悪感だけを抱いてもらいたいとか、あるいは笑うとか怒るとか、そういう一つだけじゃなく複数押し寄せてきてどういう感情の配分にしたらいいのかわからなくなるような…」
ブラマヨ・吉田「あぁ、ニュースとか見てて『辛いな』とかっていう心を刺激されることはありますけど、先生の絵は『辛いな』とか、色んな心を刺激するものとしての役割があるってことですね」
会田「うん…人間はやはり複雑でそう簡単に言葉で説明できない。そういうことに自分が作る作品が対応して矛盾しないような複雑さを持たせたいって思いますね」
ブラマヨ・吉田「…六本木で個展をやるからって、『あの裸の女の子のおっぱい、いつもより大きく描いてもうた』みたいなのはないんですか?」
会田「ないですね。おっぱいで言えば、僕は小さく描いた方が僕の固定ファンは喜ぶんで」
ブラマヨ・吉田「小さいほうが好きやってファンの人がいるんですね」
会田「まぁまぁ、そうかもしれない」
ブラマヨ・吉田「先生はどっちが好きなんですか?」
会田「僕はBくらいですかね」
ブラマヨ・吉田「あぁ、小さめ!そうですか。僕はCです」
会田「ふふ(笑)」
ブラマヨ・吉田「DかBかでいくなら、Dにいきます」
会田「あぁ…Dだとちょっと笑っちゃうかもしれないですね」
ブラマヨ・吉田「マジっすか?」
会田「ポローンって出た瞬間に」
ブラマヨ・吉田「じゃあ、第二候補はAかCかどっちですか?」
会田「Aになりますかね」
ブラマヨ・吉田「うわ、そうなんや」
芸術家になる、ということ
ブラマヨ・吉田「世間に対して思ってることや、日本に対してイライライしている気持ちが先生と同じくらいあったとするじゃないですか。でも、そいつが先生と同じくらい絵が上手じゃなかったとしたら、どうしたら良いと思いますか?」
会田「う~ん。社会に何か言いたいってことがあったら、政治家になればいいと思いますよ。美術、芸術をやっていくってことは、そういう目的じゃなくて、もっとモヤっとした動機があって」
ブラマヨ・吉田「みんなが、深く考え過ぎってことなんですかね?」
会田「うん、まぁ見て感じてもらいたい。そういうものを作りたいんですね。言葉にすぐ置き換えられることじゃなくて、もっと言葉にならないモヤっとしたものを作りたいですね」
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