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古舘伊知郎、西城秀樹が脳梗塞後に辛いリハビリに耐えて復帰したのは「自分の使命であると思う」と語っていたと明かす

2018.05.19 (Sat)
2018年5月18日放送のニッポン放送のラジオ番組『古舘伊知郎のオールナイトニッポンGOLD』(毎月第2もしくは第3金曜 22:00-24:00)にて、フリーキャスターの古舘伊知郎が、亡くなった西城秀樹が脳梗塞後に辛いリハビリに耐えて復帰したのは「自分の使命であると思う」と語っていたと明かしていた。

SWITCH Vol.34 No.12 古舘伊知郎 TALKAHOLIC
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古舘伊知郎:西城秀樹さんがね、旅立たれて。まぁあの…学年は俺が一個上かもしれないけど、まぁ同じ63歳だしね。

「はぁ…亡くなったか」と思って。よく頑張ったなぁと思うんだよね。生意気な言い方だけど、本当に…2回倒れたでしょ。よく頑張ったなぁと思うんだよね。

1980年代の『夜のヒットスタジオ』の頃にね、大変お世話になって。僕はまだ歌番組新米の司会者でついた時に、もう歌い手として大ベテラン、大御所じゃない。もう俺なんか、恐れ多い感じだよ。年齢が近かろうなんだろうが。

だけどそういう時にね、「いやぁ、古舘さん」なんて、楽屋に入ってって、俺が。で、マンスリーゲストでね、出てくれた。マンスリーっていうのは、『夜のヒットスタジオDX』生放送でやってた時に時間なので、1ヶ月通しで出てくれる大御所がいる。大御所に限り、そういう特別企画があってね。

で、やっぱり毎週、毎週、1ヶ月間、だから4回出てくれて。そうすると、結構テーマをね、よく決めなきゃいけないんで、この1ヶ月間の。よく秀樹さんの楽屋に入って、プロデューサーがいない時でも入ってって、来週へ向けて今日、どういうね振りをやって。今日の曲のイメージと、来週の曲のイメージの擦り合わせをやって。小さなテーマを決めようかなんつって。

で、そんなんでよく話をして。で、まぁほとんどがプライベートな付き合いというより仕事の話だったけどね、その時は。いろんな歌を歌ってくれましたよ。

それで、大分経って、一度脳梗塞で倒れて。で、大分元気になってきたあたりかな。二回目倒れてしまったのが、たしか2011年の暮れだと思うので。その1~2年前だったと思うんだ。

たまたま、屋形船で出くわしたの。で、ある人の集まりがあって、芸能人の人もいっぱい来てたと思うんだけど。そこで秀樹さんに久々に会ったんで、「うわぁ懐かしいよね」って話して。

「古舘さんもニュースやってて、大変でしょう」「いやぁ、秀樹さんこそね、本当、元気になって良かったよ」なんて話しして。で、多くの人が集まってる、デッカイ屋形船だったんだ。その時に、リクエストがかかっちゃって、歌とか披露してくれたの。

で、物凄い声量で歌ってくれてね、元気になって良かったなぁとその時思った。あの時はね、『情熱の嵐』、1973年か。古いね、大ヒットの曲歌ってくれて。

その時に、やっぱり「君が望むなら~」って、あの歌でね。で、「ヒデキ!」ってコールがかかる。すると、「ありがとう、呼び捨てにするな」みたいな、お約束のツッコミがあるわけ。

「ヒデキ」「呼び捨てにするな!」ってまた歌ったり。そういうのまで全部入れてくれて、歌を歌いきってくれて。「いや、元気になって良かった」ばっかり、繰り返したの覚えてるんだよ。

そしたら、やっぱり屋形船でずっとね、夏場こう回って、お台場あたりのどんどん、どんどん花火上がるという時に、デッカイ屋形船の2階に皆、上がってくんだ、デッキの方に。で、たまたま僕と秀樹さんだけ残って。

ガラーンとした畳のところに、座敷にいるのもなんだからっつって、2階のデッキに上がっていく階段のところに中途半端に2人だけ腰掛けて。そこでずっと…みんなは、上の空見てんだけど、僕らは空が見えない位置をとって。向かいでずーっと、40分以上話したかな。

もうちょっと、「今日は花火見るのやめようか、久々に会ったから」って。そこで、色々話をして。で、時折、ちょっと秀樹さんの奥さんが通ったりして。本当にその時もね、チラチラっとご主人に目をやって、「大丈夫かな?」って見て、で、上に上がって行ったりっていう、その距離感。みんなと一緒にいるときの、奥さんの距離感とか、物凄く印象に残っているし、素晴らしい奥さんだなぁと思ったし。

で、「秀樹さんやっぱり、そういうのも含めてよかったよね」なんて話をしているうちに、いろんな思い出話ばっかりしたんだけど、その時に俺の苦労も聞いてもらったり、秀樹さんの苦労も聞かせてもらったりっていう中で、やっぱりその当時からね、「自分は一度倒れてから、苦しいリハビリとかね、見せないで引っ込んじゃおうかって思ったけど、やっぱり自分が一生懸命戦って、何かを克服していこうって見せるのも使命だと思う」っていうね。

宿命は変えられないけども、使命に生きなきゃいけないんだよね」なんて話しもさせてもらったのを思い出すしね。


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タグ : 古舘伊知郎,西城秀樹,

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