爆笑問題・太田が語る「立川談志が目指していた芸」
2012.11.07 (Wed)
2012年11月06日放送の「爆笑問題カーボーイ」にて、立川談志が目指し、体現しようとしていた芸について語られていた。

太田「音楽で、西洋からリズムが輸入されて来たんですよ。開国して」
田中「うん」
太田「『リズム』ってものが輸入されてくる。でも、日本の芸能ってのは、もっともっと複雑なことをやってたんですよ」
田中「あぁ、はいはい」
太田「言ってみれば、昔のおっぺけ節なんてのがあったとするじゃないですか。川上音二郎のね」
田中「うん」
太田「それが芸能、繋いできたものですけども、今、『オッペケペッペー』みたいなものだろう、と解釈されてますけど、当時はもっとリズムが違っていたのではないか、と」
田中「うん」
太田「もっとよれたり」
田中「演歌でいうところのコブシみたいな」
太田「コブシっていうかね…演歌も、あれも西洋の音楽なんですよ。演歌ってのは元々、演説から始まってるんですけど」
田中「はい」
太田「もっと辿って行くと、日本の音楽は、言ってみれば楽譜にできない」
田中「複雑なわけね」
太田「だから、リズムでも『肩をポン、膝をポン、つま先をポン』みたいなことで、そこで手と肩の距離でスピードが変わるでしょ。それが人間のリズムなんですよ。だから、デジタルで刻んでいくリズムじゃないんですよ、本来は。それを昔の芸能はやってたんです」
田中「へぇ」
太田「だから、言ってみれば、学術的に表現できないんですよね。どどいつとか、端唄、小唄みたいな」
田中「浪曲みたいな」
太田「あの感じってのは、トントントンって一定のリズムじゃないんですよ」
田中「じゃないね」
太田「それは気持ちで動いているからなんですよ。そっちの方が高等なことをやってたんですよ。日本の芸能っていうのは、元々」
田中「うん」
太田「だけど、それが西洋のリズムが入ってきて、トントントンって一定のものになった。それは単純なものなんですよ」
田中「へぇ」
太田「クラシックがまずあった。それがアフリカに渡って、ジャズが生まれる。クラシックの楽譜によってリズムに直された音楽が、ジャズの独特のリズムでは刻めないノリってあるでしょ?グルーヴみたいな。ああいうのになっていく。」
田中「うん」
太田「だから、本来はクラシックなんかでも、もっと難しいものだったはずが、どんどんそうやってマニュアル化されていった」
田中「伝えていくときに、楽譜にするとか、そういうことでマニュアル化されていったわけか」
太田「そう。それが近代文明なんですよ。全部、そうやってデジタル化されていったんですけど、本来は、もっと難しく複雑なことをやってるんですよね」
田中「あぁ」
太田「だから、全部が良くなってるとは言えないんですよね」
田中「そうか、なるほどね。たしかになんか分かるような気がする」
さらに、以下のように語っていた。
太田「メソッド演技なんていうものを日芸で習ったでしょ?ああいうものも全部、学問として『リラックス』だとか『パッション』だとか、いわゆる学術的に解説して、そこから我々は基本としてやるわけじゃないですか。俺なんかマニュアル君だから、ハウツーセックスなんて読んじゃって」
田中「はっはっはっ(笑)」
太田「本来、違うんですよ。山本モナとか西川史子とかに『意外性がないです』なんって言われちゃうんだよ」
田中「うん」
太田「それはやっぱり悪影響です。学問の」
田中「そうきたか」
太田「本来は、本能のままに。芝居でもそういうのがあるんです。昔は、『異常な者』で良かったんです。落語はそれをちゃんと伝えてるんですけどね。今はもうダメです」
田中「へっへ(笑)」
太田「談志師匠も、もう一周忌になりますけど」
田中「そうだよね」
太田「今度、師匠の映画も出るんですよ。僕がちょっとコメントするんで観たんですけど」
田中「ええ」
太田「やっぱりスゴイ、改めてスゴイなって思いましたよ」
田中「そうだよね」
太田「師匠がやろうとしてた、『イリュージョン』、『業の肯定』っていうことっていうのは、恐らく、そっちに戻ろうとしてたんだと思うんです。いわゆる原始的な、本来の姿、ありのままの人間の姿であろう、と」
田中「うん」
太田「我々は、もう姿勢からして違うんです」
田中「ああ」
太田「正されてしまっている。学問に」
田中「うん。しかも、西洋の生活に近いからね」
太田「そうです」
田中「スタイルがね」
太田「うん」
【関連記事】
伊集院光「立川談志・落語における言葉のイリュージョン論」
伊集院光「人を引きつける話し方のテクニック」
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太田「音楽で、西洋からリズムが輸入されて来たんですよ。開国して」
田中「うん」
太田「『リズム』ってものが輸入されてくる。でも、日本の芸能ってのは、もっともっと複雑なことをやってたんですよ」
田中「あぁ、はいはい」
太田「言ってみれば、昔のおっぺけ節なんてのがあったとするじゃないですか。川上音二郎のね」
田中「うん」
太田「それが芸能、繋いできたものですけども、今、『オッペケペッペー』みたいなものだろう、と解釈されてますけど、当時はもっとリズムが違っていたのではないか、と」
田中「うん」
太田「もっとよれたり」
田中「演歌でいうところのコブシみたいな」
太田「コブシっていうかね…演歌も、あれも西洋の音楽なんですよ。演歌ってのは元々、演説から始まってるんですけど」
田中「はい」
太田「もっと辿って行くと、日本の音楽は、言ってみれば楽譜にできない」
田中「複雑なわけね」
太田「だから、リズムでも『肩をポン、膝をポン、つま先をポン』みたいなことで、そこで手と肩の距離でスピードが変わるでしょ。それが人間のリズムなんですよ。だから、デジタルで刻んでいくリズムじゃないんですよ、本来は。それを昔の芸能はやってたんです」
田中「へぇ」
太田「だから、言ってみれば、学術的に表現できないんですよね。どどいつとか、端唄、小唄みたいな」
田中「浪曲みたいな」
太田「あの感じってのは、トントントンって一定のリズムじゃないんですよ」
田中「じゃないね」
太田「それは気持ちで動いているからなんですよ。そっちの方が高等なことをやってたんですよ。日本の芸能っていうのは、元々」
田中「うん」
太田「だけど、それが西洋のリズムが入ってきて、トントントンって一定のものになった。それは単純なものなんですよ」
田中「へぇ」
太田「クラシックがまずあった。それがアフリカに渡って、ジャズが生まれる。クラシックの楽譜によってリズムに直された音楽が、ジャズの独特のリズムでは刻めないノリってあるでしょ?グルーヴみたいな。ああいうのになっていく。」
田中「うん」
太田「だから、本来はクラシックなんかでも、もっと難しいものだったはずが、どんどんそうやってマニュアル化されていった」
田中「伝えていくときに、楽譜にするとか、そういうことでマニュアル化されていったわけか」
太田「そう。それが近代文明なんですよ。全部、そうやってデジタル化されていったんですけど、本来は、もっと難しく複雑なことをやってるんですよね」
田中「あぁ」
太田「だから、全部が良くなってるとは言えないんですよね」
田中「そうか、なるほどね。たしかになんか分かるような気がする」
さらに、以下のように語っていた。
太田「メソッド演技なんていうものを日芸で習ったでしょ?ああいうものも全部、学問として『リラックス』だとか『パッション』だとか、いわゆる学術的に解説して、そこから我々は基本としてやるわけじゃないですか。俺なんかマニュアル君だから、ハウツーセックスなんて読んじゃって」
田中「はっはっはっ(笑)」
太田「本来、違うんですよ。山本モナとか西川史子とかに『意外性がないです』なんって言われちゃうんだよ」
田中「うん」
太田「それはやっぱり悪影響です。学問の」
田中「そうきたか」
太田「本来は、本能のままに。芝居でもそういうのがあるんです。昔は、『異常な者』で良かったんです。落語はそれをちゃんと伝えてるんですけどね。今はもうダメです」
田中「へっへ(笑)」
太田「談志師匠も、もう一周忌になりますけど」
田中「そうだよね」
太田「今度、師匠の映画も出るんですよ。僕がちょっとコメントするんで観たんですけど」
田中「ええ」
太田「やっぱりスゴイ、改めてスゴイなって思いましたよ」
田中「そうだよね」
太田「師匠がやろうとしてた、『イリュージョン』、『業の肯定』っていうことっていうのは、恐らく、そっちに戻ろうとしてたんだと思うんです。いわゆる原始的な、本来の姿、ありのままの人間の姿であろう、と」
田中「うん」
太田「我々は、もう姿勢からして違うんです」
田中「ああ」
太田「正されてしまっている。学問に」
田中「うん。しかも、西洋の生活に近いからね」
太田「そうです」
田中「スタイルがね」
太田「うん」
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