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伊集院光が語る「爆笑問題と浅草キッドの確執」

2011.12.20 (Tue)
2011年12月19日放送の「伊集院光 深夜の馬鹿力」にて、『爆笑問題の日曜サンデー』でゲスト出演した浅草キッド(水道橋博士、玉袋筋太郎)について語っていた。

伊集院光「久々に、エアチェックをしてまでも聴いた番組があって。留守録してまで聴いて。ラジオの録音の仕方、タイマーの仕方も忘れちゃってたんだよね。ラジカセは一応あるんだけどね。ラジカセ自体も、あんまり動かさないからね。他人のラジオをあんまり聴かないから」

「昨日の『爆笑問題の日曜サンデー』って、TBSの昼間の番組で。録音してまで聴きましたね。というのも、爆笑問題のラジオに、浅草キッドがゲストで来る。これはね、色んな事があったせいで…21年間、爆笑問題と浅草キッドの直接的な共演ってないのよ」

「共演NGというか、遺恨があって。僕は21年前に、当事者とまではいかないけど、遺恨が発生したニッポン放送って放送局にいましたから、その細かいところまで知ってて。お互いの芸人とも交流がありますんで。僕は、誰とでも仲良くしますからね(笑)社交性が高いって皆さんご存じじゃないですか(笑)」

「僕は、爆笑問題とも浅草キッドとも、恵さんともすごく仲が良いってことでスゴイお馴染みじゃないですか(笑)それで、何となく僕なりの目線からのいきさつみたいなのがスゴイ分かるから、なんかもうこれを聞き逃したら駄目なんじゃないかって思って。恥ずかしいんだけど、エアチェックしたんですよ。格好良かったのが、玉さん、玉袋筋太郎さん」

さらに、以下のように語っていた。

「浅草キッドと、爆笑問題が21年間共演しなかったっていう、その表向きの理由っていうのがね…当時、ビートたけしのオールナイトニッポンが、もの凄い人気番組で。今考えたら、聴取率が5~6 %ありましたから。テレビの深夜だってとりませんよ。よく、テレビで昔の視聴率ベスト10、みたいな番組をやると、力道山が60%をとっちゃったりするじゃん。それと、今の数字って比べられないじゃん。力道山の時代の50~60%とか、『紅白はもう絶対観るんだ』って時代の紅白が70%とるのと、今の『家政婦のミタ』の30%って、比べられないじゃん」

「たけしさんの5~6%の前に、ラジオって相当低くなってんだよね。5~6%がトップだった時代から、さらに数字が低くなって、さらに低迷して3%くらいがトップになって、その時代にたけしさんが5~6%でもう一回トップをとる、みたいんだことだから。その人気たるや、もの凄いんですよ。プロ野球でいうと、今年に30勝する感じ。その数字なんですよ」

「そのたけしさんが、頻繁に休むんですよ。『お化けが出たから』とか(笑)それで、たけしさんが休んじゃう伝説みたいなのを、ぺーぺーのパーソナリティからすると、格好良かったりして、変な状況になってるんですよね」

「それが見たくて、僕のレギュラーの日じゃないのに、木曜日に行ったりしてましたからね。内田裕哉さんがゲストに来る日に、たけしさんがすっぽかして来ないんですよ。『お化けが出たから』とかいって。裕哉さんが怒って帰るんです。それで、しばらくして、『あのときは、すいませんでした』って感じで、内田裕哉さんがまたゲストで来るってなったときに、どうやらたけしさん来ないんじゃないか、みたいな(笑)」

「『来なかったらどうする?』って状況になって。僕が思うビートたけしさんっていうのは、そういうところへそ曲がりだったり、やんちゃなところがスゴイある人だから、色濃く来ないって思われると、来る、みたいな。良く分かんないんですよ、その感じが。でも、『今日来ないと大変なことになるんじゃないか』って話をしてるのを、何となく僕は聞き耳立ててるんですよ」

「当時僕は、爆笑問題や浅草キッドみたくテレビに出てるような状況じゃなくて、ラジオのレギュラーを深夜に一本だけもってた状況だったから、そのレギュラーのために、必死で気に入られたかったから、スタッフルームみたいなところに、頻繁に顔を出して、ペコペコしてたから、そういうところで聞こえてくるんですよ」

「『明日、二度目の…裕哉さんが出直して生でくるのに、もしすっぽかすようなことがあれば、血の雨が降るよね』みたいな話をしてるのを聞いてて、その翌日に行くと、案の定、来ないんですよ。まぁ裕哉さんが大暴れ。ビックリするような大暴れを目撃して、『スゲェ。ビートたけし』って思って(笑)その意味も分かんないけどね」

「頻繁にたけしさんが来ない。そうすると、たけし軍団が繋ぐんだけど、あまりに多くて、たけし軍団が来なくなることも多くなったから、その時にたけしさんが来なかったときに、他のヤツにやらせよう、みたいなことになって、当時、『ビートたけしを継ぐとしたら、この人』って言われたのが、爆笑問題の二人で。爆笑問題のオールナイトニッポンになるわけですよ。木曜日の一部が」

「今の太田さんとは、また違うんだけど、やっぱりあの頃は尖ってるから、いきなりオープニングで『ビートたけしは死にました』って言いだして(笑)『これからは僕がやります』と。その後に、『浅草キッドの、ざまぁ見ろ。来るなら来やがれ、浅草キッド』って言って、生放送でぶちまけて」

「これは、この放送を聴いた者として言います。全然、面白くなかったです(笑)それに関しては、過度なギャグとしては成立してないんです。もう、ゾッとするような、とにかく攻撃的なオープニングが始まるわけです。それで博士は『来い』って言われてるから、行くしかないんだけど、たしか、入れてもらえなかったんじゃないかって思ったな。太田さんは、入ってもらってもよかった、と思うんだけど」

「それで、そこからケンカになったりとか。面倒くさいのは、『浅草キッド、ざまぁみろ』はさておき、『ビートたけしは死にました』っていうのに、今度はたけしさんのシンパが怒り出して。それでまた今度は爆笑問題がニッポン放送を出入り禁止になって」

「その日、煽られたのに、玉さんは交通事故かなんかで入院してて。そこで、まだ博士は駆けつけて『冗談じゃねぇよ、こんなの』みたいなやり取りはできたんだけど、玉さんはそこにも行けてないのよ。それで、なんだかんだあって遺恨は21年間続いてる、っていうことなんですよ」と語っていた。

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