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爆笑問題・太田が語る「落語家・立川談志の訃報」
2011.11.27 (Sun)
2011年11月27日放送の「爆笑問題の日曜サンデー」にて、11月21日に声門癌(喉頭癌)で亡くなった立川談志の訃報について語っていた。

田中「談志師匠が月曜日に亡くなったんですね。我々が知ったのは、水曜日の午後ぐらいに、マスコミが一斉に」
太田「…」
田中「ビックリしたわけですけども。この番組にも来ていただいて」
太田「あぁ…」
田中「我々も10何年前に初めてお会いしてから、相当お世話になり、可愛がっていただきましたけど」
太田「蝮さん(毒蝮三太夫)に、『談志師匠はもうヤバイぞ』って言われて、覚悟はしてたんだけどね。もうそろそろかなって思ってたけど、それにしても突然だったのと、その後、僕は2日間くらい仕事無かったんで、ずっと家でワイドショー観ていて」
田中「うん」
太田「立川談志はスゴイのっていうのは、分かってましたけど、ここまで世の中が、こんなにも騒ぐんだっていうのは、不思議でしたね、とっても」
田中「うん」
太田「我々や伊集院はそうだと思うんだけど、『立川談志はこんなにスゴイのに、なんで世の中は分からない?』って思ってたから」
田中「うん」
太田「死んだとなると、こんなに『スゴイでした。風雲児でした、破天荒でした。惜しい人を亡くしました』って言い出して。まぁ、騒がなければ騒がないで、我々はムカつくんだけど、死んだとなると、こんなにお祭り騒ぎになるのかっていうのは、なんとなく皮肉ではあるし、不思議だと思ったね」
田中「うん」
太田「落語界にとって、志ん朝師匠が亡くなってもこんなに騒がなかったし、小さん師匠が亡くなっても、こんなにならなかった。そうすると、『落語だけじゃないんだ、この人は』っていうものを凄く感じたのと、やっぱりテレビなのかなって思ったけど、先代の円楽師匠が亡くなったときも、ここまではならない」
田中「逆に言うと、ここのところ、そんなにはテレビ出てないしね。若い人は、『なんか偏屈なオジサン』くらいかもね。俺らの世代でも、ともすればそうだしね。笑点を始めた頃なんかも知らないくらいだからね」
太田「笑点作った人だし。11PMもそうだってね」
田中「そうみたいですね」
太田「…『今夜は二人で』って番組を談志師匠と二人でやってて。それは元々、『談志・円鏡 歌謡合戦』っていうのがニッポン放送であって、それをもう一回、イリュージョンって世界で、もう一回やりたいって言って始まったんですよ」
田中「うん」
太田「『俺はちょっと出来ないですよ』って言ったんだけど、『お前とやりたい』って言っていただいて。毎週楽しみでしたね」
田中「貴重ですよ」
さらに、以下のように語っていた。
太田「毎週、俺が先に入ってると、師匠が不機嫌そうに入ってきて。『師匠、今日はどうですか?』って訊くと、『ダメだな…死にてぇ』っていって、一通り報告があってから始まるっていう。テンション低いところから始まるんですよ」
田中「うん。テンション高い時はあんまりなかったですよね」
太田「声が出ないっていうのもね、あって。その辺は可哀想でしたね。師匠は声がガラガラで、やっぱり声のことはすごく気にしてて、合間合間に水でうがいしてその辺にプワーって吐いて」
田中「スタジオですよ。ラジオブースの中でプヘェーって吐いて」
太田「『師匠、それは…』って言うと、『良いんだ、良いんだ。湿気があって』って言って(笑)」
田中「要は、加湿器の役目をしてる、みたいな。俺、その話がホントに好きで。目に浮かぶんだよね。汚いし、だけどそれはホントに談志師匠らしい、笑わせようとかサービス精神とかとはちょっと違うところにあるものだね。それはもう、立川談志じゃなければ似合わないし、やらないことですよね」
太田「…」
田中「ホントに、この声はずっと耳に残りますね。テレビとかでも、昔のVTRとかで観ても、あの談志師匠の声はね」
太田「ニュースキャスターやらなんかがね、『惜しい人を亡くしました』とかって言うんだけど、落語も知らないさ…」
田中「それは良いじゃん、もう…」
太田「それは言わなきゃ言わないで腹が立つんだけど、なんか複雑だよね(笑)」
田中「俺は、若い女子アナとかがその話題を言って、『惜しい人を亡くしました』って言って、それを談志師匠が『冗談じゃねぇや』って言ってるように、コントのように思うんだよね」
太田「談志師匠は、多分、立川談志が凄かったって、あまりにも言われることに対して、『そういうことじゃない。落語自体がスゴイんだ』って言うと思うんだよね。常にそう言ってた人だから。『俺がスゴイんじゃない。古典落語がスゴイんだ』って。今の状況を、どう見てるのかなって思いますけどね」
田中「亡くなったニュースが流れてから、師匠の落語のDVDやCDがスゴイ売れてるらしくて。遅ぇよってことなんだけどね」
太田「昔、圓生師匠が亡くなったときに、パンダのランランが死んで、一面パンダにとられちゃって。圓生、パンダに負けるって(笑)ああいうのも思いだしました。…師匠はスゴイなぁって」と語っていた。
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田中「談志師匠が月曜日に亡くなったんですね。我々が知ったのは、水曜日の午後ぐらいに、マスコミが一斉に」
太田「…」
田中「ビックリしたわけですけども。この番組にも来ていただいて」
太田「あぁ…」
田中「我々も10何年前に初めてお会いしてから、相当お世話になり、可愛がっていただきましたけど」
太田「蝮さん(毒蝮三太夫)に、『談志師匠はもうヤバイぞ』って言われて、覚悟はしてたんだけどね。もうそろそろかなって思ってたけど、それにしても突然だったのと、その後、僕は2日間くらい仕事無かったんで、ずっと家でワイドショー観ていて」
田中「うん」
太田「立川談志はスゴイのっていうのは、分かってましたけど、ここまで世の中が、こんなにも騒ぐんだっていうのは、不思議でしたね、とっても」
田中「うん」
太田「我々や伊集院はそうだと思うんだけど、『立川談志はこんなにスゴイのに、なんで世の中は分からない?』って思ってたから」
田中「うん」
太田「死んだとなると、こんなに『スゴイでした。風雲児でした、破天荒でした。惜しい人を亡くしました』って言い出して。まぁ、騒がなければ騒がないで、我々はムカつくんだけど、死んだとなると、こんなにお祭り騒ぎになるのかっていうのは、なんとなく皮肉ではあるし、不思議だと思ったね」
田中「うん」
太田「落語界にとって、志ん朝師匠が亡くなってもこんなに騒がなかったし、小さん師匠が亡くなっても、こんなにならなかった。そうすると、『落語だけじゃないんだ、この人は』っていうものを凄く感じたのと、やっぱりテレビなのかなって思ったけど、先代の円楽師匠が亡くなったときも、ここまではならない」
田中「逆に言うと、ここのところ、そんなにはテレビ出てないしね。若い人は、『なんか偏屈なオジサン』くらいかもね。俺らの世代でも、ともすればそうだしね。笑点を始めた頃なんかも知らないくらいだからね」
太田「笑点作った人だし。11PMもそうだってね」
田中「そうみたいですね」
太田「…『今夜は二人で』って番組を談志師匠と二人でやってて。それは元々、『談志・円鏡 歌謡合戦』っていうのがニッポン放送であって、それをもう一回、イリュージョンって世界で、もう一回やりたいって言って始まったんですよ」
田中「うん」
太田「『俺はちょっと出来ないですよ』って言ったんだけど、『お前とやりたい』って言っていただいて。毎週楽しみでしたね」
田中「貴重ですよ」
さらに、以下のように語っていた。
太田「毎週、俺が先に入ってると、師匠が不機嫌そうに入ってきて。『師匠、今日はどうですか?』って訊くと、『ダメだな…死にてぇ』っていって、一通り報告があってから始まるっていう。テンション低いところから始まるんですよ」
田中「うん。テンション高い時はあんまりなかったですよね」
太田「声が出ないっていうのもね、あって。その辺は可哀想でしたね。師匠は声がガラガラで、やっぱり声のことはすごく気にしてて、合間合間に水でうがいしてその辺にプワーって吐いて」
田中「スタジオですよ。ラジオブースの中でプヘェーって吐いて」
太田「『師匠、それは…』って言うと、『良いんだ、良いんだ。湿気があって』って言って(笑)」
田中「要は、加湿器の役目をしてる、みたいな。俺、その話がホントに好きで。目に浮かぶんだよね。汚いし、だけどそれはホントに談志師匠らしい、笑わせようとかサービス精神とかとはちょっと違うところにあるものだね。それはもう、立川談志じゃなければ似合わないし、やらないことですよね」
太田「…」
田中「ホントに、この声はずっと耳に残りますね。テレビとかでも、昔のVTRとかで観ても、あの談志師匠の声はね」
太田「ニュースキャスターやらなんかがね、『惜しい人を亡くしました』とかって言うんだけど、落語も知らないさ…」
田中「それは良いじゃん、もう…」
太田「それは言わなきゃ言わないで腹が立つんだけど、なんか複雑だよね(笑)」
田中「俺は、若い女子アナとかがその話題を言って、『惜しい人を亡くしました』って言って、それを談志師匠が『冗談じゃねぇや』って言ってるように、コントのように思うんだよね」
太田「談志師匠は、多分、立川談志が凄かったって、あまりにも言われることに対して、『そういうことじゃない。落語自体がスゴイんだ』って言うと思うんだよね。常にそう言ってた人だから。『俺がスゴイんじゃない。古典落語がスゴイんだ』って。今の状況を、どう見てるのかなって思いますけどね」
田中「亡くなったニュースが流れてから、師匠の落語のDVDやCDがスゴイ売れてるらしくて。遅ぇよってことなんだけどね」
太田「昔、圓生師匠が亡くなったときに、パンダのランランが死んで、一面パンダにとられちゃって。圓生、パンダに負けるって(笑)ああいうのも思いだしました。…師匠はスゴイなぁって」と語っていた。
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