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土田晃之「ボキャブラバブル後に売れた・売れない芸人の違い」
2011.10.23 (Sun)
2011年10月21日放送の「バナナマンのバナナムーンGOLD」にて、土田晃之がゲスト出演していた。そこで、ボキャブラ天国ブーム以後、売れた芸人と売れなくなった芸人の違いについて語っていた。

土田「ボキャブラのファンが多くなっちゃって、ファンがネタを聞かなかったじゃない?各ライブ」
日村「ワーキャーで」
土田「それこそ、バナナマン出て来たって、『知らない』みたいになっちゃってたでしょ。酷かったでしょ」
設楽「ジュース飲みながらずっと喋ってるんだもん。一番前の真ん中の子とかが」
土田「そういうのも見てるけど、所詮、ブームだって思ってたから。その前に、ガハハ王国っていうテレ朝の番組があって」
設楽「ガハハ、あったね」
土田「その時に一度、調子に乗らせてもらったの。各ライブでパンパンになって、ファンもいっぱいついてて。スゲェ良い思いしたのに、ガハハ王国の番組終了した3ヶ月後、太田ライブがスカスカになったの」
日村「終わって3ヶ月後で?」
土田「そう。それで、事務所の方から『チケットを手売りしてこい』って言われた時に、『はぁ?』ってなって。何でやらなきゃならないんだよって」
設楽「TGFは?TGFの時、凄かったでしょ」
土田「最初だけよ。最初、クエストホールの旗揚げ公演をやったけど、その後はドンドンこぢんまりしたところになっていって」
日村「あぁ、そう」
土田「最終的には芝浦の小っちゃいところになっていって」
設楽「俺らは、それすらも無くて。近くでは感じてたけどね。もちろん、底抜けエアラインとか、X-GUNとか、先輩でいて、ボキャブラバブルのど真ん中にいて、恩恵も受けてるんだけどね、飯を食いに連れて行ってもらえたりとか」
日村「そう」
設楽「でも、ドンドンとライブの雰囲気が変わっていったでしょ。ウチワを持ってくる人はいたりとか、ペンライト持って来たりとか。俺らは、『あれあれあれ…』って感じね。なんだコレって感じたのは覚えてる」
日村「うん」
さらに、以下のように語っていた。
土田「俺らとか、X-GUNとかもそうだけど、ネタがドンドン荒れてくるの。営業みたいなネタになってくる中で、バナナマンは完全に軸がぶれてなかったから、こういう人たちは強いなって思ってた」
日村「はっはっは(笑)」
土田「だって、ボキャブラをやってるときに、秋元康さんとか作家さんが付いてくれたときがあって、秋本さんのお付きの若い作家さんがネタと作ってくれて、でも上手く表現できなくて、全然ライブで笑いがとれなくなって、ウチの事務所の前田さんって作家さんに、『どうした?今まで1位だったのに、7位だぞ。全然ウケないぞ、どうした?』って言われて」
設楽「うん」
土田「それで、裏事情を説明したら、『それは、天下の秋元康でも、言わなきゃダメだよ。お前らはやりたいこと分かるけど、ちょっと違うんだよな』って話をされて。ネタ見せの後に、『お前ら、このあと用事あんのか?』って言われて。『このあと、ラママにライブを観に行こうと思うんです』って言ったら、前田さんも行くってなって」
日村「うん」
土田「その時に、バナナマンのネタが終わった瞬間、前田昌平がパッと一言言ったのが、『俺が言いたかったのは、ああいうことだぞ』って。それで、俺は『はい、分かってます』って言って」
日村「分かってますって言ったの?嬉しいな、おい」
土田「バナナマンのネタのクオリティの高さは、分かってたから。だから、早い段階でネタでは敵わないから、早くテレビに行かなきゃって思ってたの」
日村「あぁ」
土田「アンジャッシュもそうだし。ネタで一緒にやってたら、この二組には絶対に敵わないって思ってたから。テレビの方に行かなきゃって思ってたし、あとは有田哲平とかが『テレビでネタをやる機会はない。だから、喋りが上手くならなきゃ』って言う話をされたときに、マジでそうなんだって思って。それで、喋りを意識しだしたの」
日村「勉強してったんだ」
設楽「超うれしい。でも、あの頃のみんなはキラキラしてたね」
土田「調子に乗ってる人は、一目瞭然だったね」
設楽「ガネさん(さがね正裕)ね。大好きなんだけど、あの頃のガネさんはクレイジーだった」
土田「何でも買ってくれたし」
設楽「古着屋に行って何でも買ってくれたし。みんなアメックスみたいなカードを持ちだしたりして」
土田「みんな外車に乗ってたしね。でも、その頃、俺らは給料制だったの。みんなが歩合で何百万っていってたのに、俺らは給料制だよ?」
日村「じゃあ、全然恩恵を受けてないじゃん」
土田「途中から歩合になったんだもん。マネージャーと俺らは地下鉄で現場に行ってたの。その頃、Take2は一人はベンツ、一人はセルシオに乗って現場に来てたの。こうも違うかと。あんまり人気変わらないと思うけど」
日村「スゲェ」
土田「これではイカン、と思って歩合にしてもらったの」
設楽「今思うと、スゴイんだよね。富士急とかで2万人あつめて。そんなことをやってる時に、俺らは青森に箱の営業をやってて。ホテルの4日間、ビール会社が日に変わって、今日はアサヒだサントリーだって飲み放題のイベントとかの営業をやるの。ビンゴ大会でボールペン100本が商品です、とか意味分かんない。1位がグラスです、とか。そこでさ、青森だから言葉も分かんなくて。それでイヤだねって話してて」
日村「うん」
設楽「色んな人のネタをパクったんだけど、全然、ウケない…そんな時代だったんだよね」
土田「でもそのころに、調子に乗ってたらダメだなっていうのは、ホント、ガハハ王国で気付いてたから」
設楽「うん」
土田「当時のお笑い雑誌を見てたら、スゲェ冷めたこと書いてるの。『これはブームですぐに終わるから、力をつけなければいけない。いずれテレビで』って書いてるの」と語っていた。
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日村「ワーキャーで」
土田「それこそ、バナナマン出て来たって、『知らない』みたいになっちゃってたでしょ。酷かったでしょ」
設楽「ジュース飲みながらずっと喋ってるんだもん。一番前の真ん中の子とかが」
土田「そういうのも見てるけど、所詮、ブームだって思ってたから。その前に、ガハハ王国っていうテレ朝の番組があって」
設楽「ガハハ、あったね」
土田「その時に一度、調子に乗らせてもらったの。各ライブでパンパンになって、ファンもいっぱいついてて。スゲェ良い思いしたのに、ガハハ王国の番組終了した3ヶ月後、太田ライブがスカスカになったの」
日村「終わって3ヶ月後で?」
土田「そう。それで、事務所の方から『チケットを手売りしてこい』って言われた時に、『はぁ?』ってなって。何でやらなきゃならないんだよって」
設楽「TGFは?TGFの時、凄かったでしょ」
土田「最初だけよ。最初、クエストホールの旗揚げ公演をやったけど、その後はドンドンこぢんまりしたところになっていって」
日村「あぁ、そう」
土田「最終的には芝浦の小っちゃいところになっていって」
設楽「俺らは、それすらも無くて。近くでは感じてたけどね。もちろん、底抜けエアラインとか、X-GUNとか、先輩でいて、ボキャブラバブルのど真ん中にいて、恩恵も受けてるんだけどね、飯を食いに連れて行ってもらえたりとか」
日村「そう」
設楽「でも、ドンドンとライブの雰囲気が変わっていったでしょ。ウチワを持ってくる人はいたりとか、ペンライト持って来たりとか。俺らは、『あれあれあれ…』って感じね。なんだコレって感じたのは覚えてる」
日村「うん」
さらに、以下のように語っていた。
土田「俺らとか、X-GUNとかもそうだけど、ネタがドンドン荒れてくるの。営業みたいなネタになってくる中で、バナナマンは完全に軸がぶれてなかったから、こういう人たちは強いなって思ってた」
日村「はっはっは(笑)」
土田「だって、ボキャブラをやってるときに、秋元康さんとか作家さんが付いてくれたときがあって、秋本さんのお付きの若い作家さんがネタと作ってくれて、でも上手く表現できなくて、全然ライブで笑いがとれなくなって、ウチの事務所の前田さんって作家さんに、『どうした?今まで1位だったのに、7位だぞ。全然ウケないぞ、どうした?』って言われて」
設楽「うん」
土田「それで、裏事情を説明したら、『それは、天下の秋元康でも、言わなきゃダメだよ。お前らはやりたいこと分かるけど、ちょっと違うんだよな』って話をされて。ネタ見せの後に、『お前ら、このあと用事あんのか?』って言われて。『このあと、ラママにライブを観に行こうと思うんです』って言ったら、前田さんも行くってなって」
日村「うん」
土田「その時に、バナナマンのネタが終わった瞬間、前田昌平がパッと一言言ったのが、『俺が言いたかったのは、ああいうことだぞ』って。それで、俺は『はい、分かってます』って言って」
日村「分かってますって言ったの?嬉しいな、おい」
土田「バナナマンのネタのクオリティの高さは、分かってたから。だから、早い段階でネタでは敵わないから、早くテレビに行かなきゃって思ってたの」
日村「あぁ」
土田「アンジャッシュもそうだし。ネタで一緒にやってたら、この二組には絶対に敵わないって思ってたから。テレビの方に行かなきゃって思ってたし、あとは有田哲平とかが『テレビでネタをやる機会はない。だから、喋りが上手くならなきゃ』って言う話をされたときに、マジでそうなんだって思って。それで、喋りを意識しだしたの」
日村「勉強してったんだ」
設楽「超うれしい。でも、あの頃のみんなはキラキラしてたね」
土田「調子に乗ってる人は、一目瞭然だったね」
設楽「ガネさん(さがね正裕)ね。大好きなんだけど、あの頃のガネさんはクレイジーだった」
土田「何でも買ってくれたし」
設楽「古着屋に行って何でも買ってくれたし。みんなアメックスみたいなカードを持ちだしたりして」
土田「みんな外車に乗ってたしね。でも、その頃、俺らは給料制だったの。みんなが歩合で何百万っていってたのに、俺らは給料制だよ?」
日村「じゃあ、全然恩恵を受けてないじゃん」
土田「途中から歩合になったんだもん。マネージャーと俺らは地下鉄で現場に行ってたの。その頃、Take2は一人はベンツ、一人はセルシオに乗って現場に来てたの。こうも違うかと。あんまり人気変わらないと思うけど」
日村「スゲェ」
土田「これではイカン、と思って歩合にしてもらったの」
設楽「今思うと、スゴイんだよね。富士急とかで2万人あつめて。そんなことをやってる時に、俺らは青森に箱の営業をやってて。ホテルの4日間、ビール会社が日に変わって、今日はアサヒだサントリーだって飲み放題のイベントとかの営業をやるの。ビンゴ大会でボールペン100本が商品です、とか意味分かんない。1位がグラスです、とか。そこでさ、青森だから言葉も分かんなくて。それでイヤだねって話してて」
日村「うん」
設楽「色んな人のネタをパクったんだけど、全然、ウケない…そんな時代だったんだよね」
土田「でもそのころに、調子に乗ってたらダメだなっていうのは、ホント、ガハハ王国で気付いてたから」
設楽「うん」
土田「当時のお笑い雑誌を見てたら、スゲェ冷めたこと書いてるの。『これはブームですぐに終わるから、力をつけなければいけない。いずれテレビで』って書いてるの」と語っていた。
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