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伊集院光が語る「映画『ブラック・スワン』の考察」
2011.05.31 (Tue)
2011年05月30日放送の「伊集院光 深夜の馬鹿力」にて、映画『ブラック・スワン』について語られていた(内容については『伊集院光が語る「映画『ブラック・スワン』の内容」』)。

「ナタリー・ポートマンは、表現者じゃないですか。舞台に立つ側、主役になりたい、白鳥の湖の主役になりたい人じゃないですか。その演出家っていうか、舞台監督、演出する人がいて、『お前のバレエには遊びが全然足りないんだよな』みたいなことをずっと言ってくるワケ。そういう関係性なの」
「それで考えると、俺はバレリーナ(側)じゃん。たとえば、ホモセクシャルの人がそういう映画を観るじゃん。そうすると、普通の人がある意味、面白おかしく、ホモセクシャルの人を戯曲化したような映画っていうのは、普通の人にもの凄く分かりやすくなってる代わりに、逆にその立場の人からしてみたら、『そんなわきゃねぇだろ』って思われるようなのね」
「逆に、ちゃんとその気持ちが分かる人が撮った映画で、演出家もホモセクシャルで、脚本家もそういう立場で、みたいに撮ったのは、リアルで、逆に俺に良く分かんなかったりするんだよね」
「もっと簡単なので言うと、三谷幸喜の『ラヂオの時間』ってあるじゃん。アレ、俺には全然面白くないの。どこにきても、『そんなことねぇだろ』って思っちゃうの。それは戯曲だから、ラジオっぽくすること、ラジオの生放送でドラマをやって、アクシデントが起きて、みたいな関係性を面白くてコントとして入れればいいだけのことだけど、こっちはラジオの当事者だから、どんなに譲っても『それはない』ってなっちゃうわけ」
「だって、警備室におひょいさんが居るワケないじゃん、みたいな(笑)そういう感じになっちゃうから、ダメなわけ。それとちょっと似ているところがあるかなって思ったのは、(同番組のプロデューサー・池田は)演出側じゃん。僕は、和製・ナタリー・ポートマンじゃないですか」
さらに、以下のように語っていた。
「それで、感想を池田プロデューサーに送ったの。『観てきたよ。ハードル上がったせいもあるかな。損したとは思わないけど、まぁ、こんなものかな』って。俺、こんなちゃんとしたことを言って大丈夫?(笑)スゴイちゃんとしたメール返してるんですよ。スゴイ真人間なの。真人間。服着てるし(笑)」
「それで、池田のメールがしばらくなくて。2通目を出したの。『舞台に立つ側として、同業者の分、そこまで思い詰めるところに、リアリティを感じられなかったっていうのもあるのかも知れないね』って書いたの。それに対して、『そうですかぁ。僕自身は、恐怖感とバレエの混在の仕方がなんとも言えない感覚で、魅せられたのですけど。ハズレのものを勧めてしまってすみません』って返信が来て」
「それで俺が『ハズレってほどじゃなかったよ。ラジオの生で喋ってる時って、ある程度の狂気をコントロールしているから、何かあそこが大仰になればなるほど、職業的に冷めちゃうっていうのもあるし。あと、俺、和製ナタリー・ポートマンの名をほしいままにしてきたし』ってメールして。この後、返信がないってどういうことだよ」
「これに無視はなくない?ずーっと待ったよ。iphone電波おかしいのかなって思って。和製ナタリー・ポートマンに対して、笑いのヤツないと、立ちすくんじゃうよね。六本木ヒルズで」
「俺の好きな映画で、オリバー・ストーン監督の『トーク・レディオ』って映画があって。それは、毒舌ラジオパーソナリティが主人公で、リスナーとやり取りして、ヒドいことを言うの。それで追い詰められていくんだけど、そこには当然ディレクターも出て来て」
「ラジオスタッフとこれを観ると、ディレクターはディレクターの観点で観るんだよね。そうすると、ディレクターの愛情が全く伝わらない感じ、生放送が始まると、どうすることもできなくなっちゃう感じがあったりとか。パーソナリティからすれば、生放送が始まっちゃえば、誰にもどうしてもらえない感じがスゴイ出てたりとか、見方が全然違うんだよね」
「…俺はもう、立場としてはナタリー・ポートマンになってるんですよ。ナタリー・ポートマンとして、主役が獲りたかったりだとか、手慰みがしたかったりだとかだから、ナタリー・ポートマンになっちゃってる感じで、『こういうことは思わないよ』だとか、『こんなことにはならないよ』って思ったりだとか。あとは、舞台演出家の目線で観ている池田は、そうは思わないんだろうな、とか思って。…最終的には、池田はいつも俺のことをイヤらいし目で見てるんだってことが分かって(笑)」と語っていた。
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「ナタリー・ポートマンは、表現者じゃないですか。舞台に立つ側、主役になりたい、白鳥の湖の主役になりたい人じゃないですか。その演出家っていうか、舞台監督、演出する人がいて、『お前のバレエには遊びが全然足りないんだよな』みたいなことをずっと言ってくるワケ。そういう関係性なの」
「それで考えると、俺はバレリーナ(側)じゃん。たとえば、ホモセクシャルの人がそういう映画を観るじゃん。そうすると、普通の人がある意味、面白おかしく、ホモセクシャルの人を戯曲化したような映画っていうのは、普通の人にもの凄く分かりやすくなってる代わりに、逆にその立場の人からしてみたら、『そんなわきゃねぇだろ』って思われるようなのね」
「逆に、ちゃんとその気持ちが分かる人が撮った映画で、演出家もホモセクシャルで、脚本家もそういう立場で、みたいに撮ったのは、リアルで、逆に俺に良く分かんなかったりするんだよね」
「もっと簡単なので言うと、三谷幸喜の『ラヂオの時間』ってあるじゃん。アレ、俺には全然面白くないの。どこにきても、『そんなことねぇだろ』って思っちゃうの。それは戯曲だから、ラジオっぽくすること、ラジオの生放送でドラマをやって、アクシデントが起きて、みたいな関係性を面白くてコントとして入れればいいだけのことだけど、こっちはラジオの当事者だから、どんなに譲っても『それはない』ってなっちゃうわけ」
「だって、警備室におひょいさんが居るワケないじゃん、みたいな(笑)そういう感じになっちゃうから、ダメなわけ。それとちょっと似ているところがあるかなって思ったのは、(同番組のプロデューサー・池田は)演出側じゃん。僕は、和製・ナタリー・ポートマンじゃないですか」
さらに、以下のように語っていた。
「それで、感想を池田プロデューサーに送ったの。『観てきたよ。ハードル上がったせいもあるかな。損したとは思わないけど、まぁ、こんなものかな』って。俺、こんなちゃんとしたことを言って大丈夫?(笑)スゴイちゃんとしたメール返してるんですよ。スゴイ真人間なの。真人間。服着てるし(笑)」
「それで、池田のメールがしばらくなくて。2通目を出したの。『舞台に立つ側として、同業者の分、そこまで思い詰めるところに、リアリティを感じられなかったっていうのもあるのかも知れないね』って書いたの。それに対して、『そうですかぁ。僕自身は、恐怖感とバレエの混在の仕方がなんとも言えない感覚で、魅せられたのですけど。ハズレのものを勧めてしまってすみません』って返信が来て」
「それで俺が『ハズレってほどじゃなかったよ。ラジオの生で喋ってる時って、ある程度の狂気をコントロールしているから、何かあそこが大仰になればなるほど、職業的に冷めちゃうっていうのもあるし。あと、俺、和製ナタリー・ポートマンの名をほしいままにしてきたし』ってメールして。この後、返信がないってどういうことだよ」
「これに無視はなくない?ずーっと待ったよ。iphone電波おかしいのかなって思って。和製ナタリー・ポートマンに対して、笑いのヤツないと、立ちすくんじゃうよね。六本木ヒルズで」
「俺の好きな映画で、オリバー・ストーン監督の『トーク・レディオ』って映画があって。それは、毒舌ラジオパーソナリティが主人公で、リスナーとやり取りして、ヒドいことを言うの。それで追い詰められていくんだけど、そこには当然ディレクターも出て来て」
「ラジオスタッフとこれを観ると、ディレクターはディレクターの観点で観るんだよね。そうすると、ディレクターの愛情が全く伝わらない感じ、生放送が始まると、どうすることもできなくなっちゃう感じがあったりとか。パーソナリティからすれば、生放送が始まっちゃえば、誰にもどうしてもらえない感じがスゴイ出てたりとか、見方が全然違うんだよね」
「…俺はもう、立場としてはナタリー・ポートマンになってるんですよ。ナタリー・ポートマンとして、主役が獲りたかったりだとか、手慰みがしたかったりだとかだから、ナタリー・ポートマンになっちゃってる感じで、『こういうことは思わないよ』だとか、『こんなことにはならないよ』って思ったりだとか。あとは、舞台演出家の目線で観ている池田は、そうは思わないんだろうな、とか思って。…最終的には、池田はいつも俺のことをイヤらいし目で見てるんだってことが分かって(笑)」と語っていた。
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