吉田豪が語る「西田敏行が俳優になったワケ」
2011.05.28 (Sat)
2011年05月26日放送の「小島慶子 キラキラ」にて、プロインタビュアー・書評家の吉田豪が出演し、西田敏行にインタビューしたことについて語っていた。

吉田「西田さんに取材できることになって」
小島「何の媒体で?」
吉田「GQです」
小島「やっぱり、オシャレ方面の」
吉田「またもやGQを、ゲーセワなクオリティに変えて来ましたよ(笑)」
小島「吉田豪さん、もうほぼレギュラーじゃないですか?」
吉田「松本人志さんが表紙で。松本さんもオファーはされたんですけど、僕はこっち(西田敏行)にいきました」
小島「GQの最新号でインタビュー?」
吉田「そうです。現在、63歳。『星を守る犬』って、もの凄い泣ける映画に出てるんですけどね。オファーされて、喜んでいったら、同じ映画に出ている玉山鉄二さんとの対談になりましたって言われて。映画の宣伝、対談って2つの条件付きになったんですけど、その中では十分健闘した結果になったと思います」
小島「おお!」
吉田「余計な話ばかりを聞き出すことに成功しました。というか、映画の話はほとんどしてないです」
小島「ふふっ(笑)西田さんの関連本をほとんど持ってるっていう話ですもんね」
吉田「写真集も出してるんですよ。そういうニーズを、池中玄太の頃にあったんですよね」
小島「へぇ」
吉田「普通にオシャレなんですよ」
ピエール瀧「西田敏行さん、可愛らしい印象ですね」
吉田「可愛らしい印象なんですけど、当時の本を読むと、『カバ大将 西田敏行は売れているのだって』本を見ると、帯が『肥満の孤独』ですからね。ヒドイですよ、当時の扱いは」
小島「まだ、若いときでしょ?」
さらに、以下のように語っていた。
吉田「こういうのを持って行って、ファンぶりをアピールしたら、驚いてもらえまして。30年前くらいの写真集なんですよ。『池中玄太80キロ』やってる頃だから。このドラマは、テレビの常識を破壊したドラマだったらしいんですよね」
小島「テレビドラマですよね」
吉田「そうですね、日本テレビの。西田さんがカメラマンで、鳥を撮りに行くっていう。ドラマなのに、カメラ目線で話すのとかってNGだったらしいんですけど、ガンガンやって、スタッフも好きにやらせて、『我々もそれを追いかけていきます』ってノリだったらしいんですよ。西田さんに自由に動いてもらったんですって」
小島「へぇ」
吉田「西田さんって、好き勝手にする人らしくって」
小島「割と、型破りな役者さんだったんですね」
吉田「意外とちゃんと新劇系のところから出て来た人なんですけど、アドリブが大好きな人なんですよ」
小島「へぇ」
吉田「…西田さんは、複雑な家庭環境で育って。5歳の時に、西田家に養子にいったんですよ」
小島「あ、そうなんだ」
吉田「その時に、義母・義父が一番喜ぶのが、非常に素直な良い子である瞬間なわけですよ」
小島「うん」
吉田「それを強か(したたか)にどこかで演じているような意識が、どこかにあったって言ってて」
ピエール瀧「なるほど」
小島「ふぅん」
吉田「俳優の原点が、そこだって」
小島「はあ~なるほど」
ピエール瀧「自分が演じると、上手くいくって意識があって」
吉田「そうです。そうです。『ウチの製造元の親父(実父)は、ウチの実の母が3度目の結婚だと思ったら、実は4度目だったって分かったって…スゴイ激しい男だったんですよ。頭、ツルッツルで』って言ってて」
小島「へぇ」
吉田「実の両親に対する複雑な思いは、義父と義母が本当に愛情を持って育ててくれたから…って言うんですけど、『さしたるグレる理由もないんだけど、こういう環境だから、ちょっとグレたフリもしておかないと、アレかな?』って思ったらしくって」
小島「うん」
吉田「学生時代、義務的に副番長をやってるんですね。半年くらいグレ期間を入れて、ちょっとツッパってたんですって」
小島「ははっ(笑)」
吉田「この話も踏み込みの、僕のテーマで。中学時代、スゴく悪かったっていう」
小島「西田さん?」
吉田「そうなんですよ。その血がまだ残ってて、酒の席での失敗談を訊くと、神戸で飲んでるとき、港祭りでチンピラがいて、西田さんがトイレから出て来たら、『西田敏行だろ、ちょっと酌でもせんかい』って言ってきて、キレちゃって、『お前に西田って呼ばれる筋合いはねぇぞ、このやろう!』って言ったんだけど」
小島「うん」
吉田「西田さん曰く、『僕らは映画的な間合いでケンカとかもみてるから、アップ、アップ、引き、アップでくると思ったら、アップですぐにバババッとやられた』って言ってて。『やっぱり、間をもっちゃいけないんだなぁ』ってのんきな話をしてて」
小島「はっはっは(笑)」
吉田「中学時代、ヤンチャだったんですけど、高校時代で上京して。必ず目黒で乗ってくる不良学生に渋谷で降ろされて、2~3発叩かれて新宿に向かうっていうのが通常で。それから、ボディガードをつけようってことで、剣道の達人を自宅に泊めてたって。ニセのパー券とか売ってたから、不良にも目をつけられてたんですけど、絡まれたら、その剣道の達人が木刀を出して、やっつけちゃうっていう」
小島「ふ~ん」
吉田「『僕は何もしてません』って。『連れか?』って訊かれたら、『全然関係無いです』って言おうと思ってたって話してて」
小島「ヒドイ!」
吉田「でも、高校時代は大人しくなってたみたいで。上京してからは、自閉症気味になって、大人しくなった、と。訛りのせいで笑われるから、大人しくして。あと、故郷が少しでも近い上野に行くようになって、上野動物園に通うんですよ」
小島「へぇ」
吉田「毎日、上野動物園に通って、『あそこのゴリラが良いんですよね』って。アフリカから連れてこられた最後のゴリラがちょうどいて。『ずっと哀愁のある目で空を見ていて、故郷のアフリカを偲んでいるんだろうな』って思ってたらしくって。ちょうど、自分のホームシックと重なって、学校にほとんど行かず、動物園で開園から閉園までいたらしいんです」と語っていた。
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吉田「西田さんに取材できることになって」
小島「何の媒体で?」
吉田「GQです」
小島「やっぱり、オシャレ方面の」
吉田「またもやGQを、ゲーセワなクオリティに変えて来ましたよ(笑)」
小島「吉田豪さん、もうほぼレギュラーじゃないですか?」
吉田「松本人志さんが表紙で。松本さんもオファーはされたんですけど、僕はこっち(西田敏行)にいきました」
小島「GQの最新号でインタビュー?」
吉田「そうです。現在、63歳。『星を守る犬』って、もの凄い泣ける映画に出てるんですけどね。オファーされて、喜んでいったら、同じ映画に出ている玉山鉄二さんとの対談になりましたって言われて。映画の宣伝、対談って2つの条件付きになったんですけど、その中では十分健闘した結果になったと思います」
小島「おお!」
吉田「余計な話ばかりを聞き出すことに成功しました。というか、映画の話はほとんどしてないです」
小島「ふふっ(笑)西田さんの関連本をほとんど持ってるっていう話ですもんね」
吉田「写真集も出してるんですよ。そういうニーズを、池中玄太の頃にあったんですよね」
小島「へぇ」
吉田「普通にオシャレなんですよ」
ピエール瀧「西田敏行さん、可愛らしい印象ですね」
吉田「可愛らしい印象なんですけど、当時の本を読むと、『カバ大将 西田敏行は売れているのだって』本を見ると、帯が『肥満の孤独』ですからね。ヒドイですよ、当時の扱いは」
小島「まだ、若いときでしょ?」
さらに、以下のように語っていた。
吉田「こういうのを持って行って、ファンぶりをアピールしたら、驚いてもらえまして。30年前くらいの写真集なんですよ。『池中玄太80キロ』やってる頃だから。このドラマは、テレビの常識を破壊したドラマだったらしいんですよね」
小島「テレビドラマですよね」
吉田「そうですね、日本テレビの。西田さんがカメラマンで、鳥を撮りに行くっていう。ドラマなのに、カメラ目線で話すのとかってNGだったらしいんですけど、ガンガンやって、スタッフも好きにやらせて、『我々もそれを追いかけていきます』ってノリだったらしいんですよ。西田さんに自由に動いてもらったんですって」
小島「へぇ」
吉田「西田さんって、好き勝手にする人らしくって」
小島「割と、型破りな役者さんだったんですね」
吉田「意外とちゃんと新劇系のところから出て来た人なんですけど、アドリブが大好きな人なんですよ」
小島「へぇ」
吉田「…西田さんは、複雑な家庭環境で育って。5歳の時に、西田家に養子にいったんですよ」
小島「あ、そうなんだ」
吉田「その時に、義母・義父が一番喜ぶのが、非常に素直な良い子である瞬間なわけですよ」
小島「うん」
吉田「それを強か(したたか)にどこかで演じているような意識が、どこかにあったって言ってて」
ピエール瀧「なるほど」
小島「ふぅん」
吉田「俳優の原点が、そこだって」
小島「はあ~なるほど」
ピエール瀧「自分が演じると、上手くいくって意識があって」
吉田「そうです。そうです。『ウチの製造元の親父(実父)は、ウチの実の母が3度目の結婚だと思ったら、実は4度目だったって分かったって…スゴイ激しい男だったんですよ。頭、ツルッツルで』って言ってて」
小島「へぇ」
吉田「実の両親に対する複雑な思いは、義父と義母が本当に愛情を持って育ててくれたから…って言うんですけど、『さしたるグレる理由もないんだけど、こういう環境だから、ちょっとグレたフリもしておかないと、アレかな?』って思ったらしくって」
小島「うん」
吉田「学生時代、義務的に副番長をやってるんですね。半年くらいグレ期間を入れて、ちょっとツッパってたんですって」
小島「ははっ(笑)」
吉田「この話も踏み込みの、僕のテーマで。中学時代、スゴく悪かったっていう」
小島「西田さん?」
吉田「そうなんですよ。その血がまだ残ってて、酒の席での失敗談を訊くと、神戸で飲んでるとき、港祭りでチンピラがいて、西田さんがトイレから出て来たら、『西田敏行だろ、ちょっと酌でもせんかい』って言ってきて、キレちゃって、『お前に西田って呼ばれる筋合いはねぇぞ、このやろう!』って言ったんだけど」
小島「うん」
吉田「西田さん曰く、『僕らは映画的な間合いでケンカとかもみてるから、アップ、アップ、引き、アップでくると思ったら、アップですぐにバババッとやられた』って言ってて。『やっぱり、間をもっちゃいけないんだなぁ』ってのんきな話をしてて」
小島「はっはっは(笑)」
吉田「中学時代、ヤンチャだったんですけど、高校時代で上京して。必ず目黒で乗ってくる不良学生に渋谷で降ろされて、2~3発叩かれて新宿に向かうっていうのが通常で。それから、ボディガードをつけようってことで、剣道の達人を自宅に泊めてたって。ニセのパー券とか売ってたから、不良にも目をつけられてたんですけど、絡まれたら、その剣道の達人が木刀を出して、やっつけちゃうっていう」
小島「ふ~ん」
吉田「『僕は何もしてません』って。『連れか?』って訊かれたら、『全然関係無いです』って言おうと思ってたって話してて」
小島「ヒドイ!」
吉田「でも、高校時代は大人しくなってたみたいで。上京してからは、自閉症気味になって、大人しくなった、と。訛りのせいで笑われるから、大人しくして。あと、故郷が少しでも近い上野に行くようになって、上野動物園に通うんですよ」
小島「へぇ」
吉田「毎日、上野動物園に通って、『あそこのゴリラが良いんですよね』って。アフリカから連れてこられた最後のゴリラがちょうどいて。『ずっと哀愁のある目で空を見ていて、故郷のアフリカを偲んでいるんだろうな』って思ってたらしくって。ちょうど、自分のホームシックと重なって、学校にほとんど行かず、動物園で開園から閉園までいたらしいんです」と語っていた。
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