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バナナマンが語る「笑っていいとも!の歴史」
2011.05.28 (Sat)
2011年05月27日放送の「バナナマンのバナナムーンGOLD」にて、バナナマンが『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングに出演したことを受け、『笑っていいとも!』の歴史について語られていた。

設楽「俺らも、なんか今回、日村さんの歯の話しかしなかったね」
日村「はっはっは(笑)」
設楽「歯の話をちょっとしたら、タモリさん食いついたからね」
日村「早いね、ほんとあっという間」
設楽「そんなのもありまして…これ、ちなみに情報なんですけど、テレフォンショッキングの第一回のゲストは有名かと思うんですけど」
日村「これは、知ってます。桜田淳子さん」
設楽「桜田淳子さんが、初回なんですよね。1982年12月4日だって。30年は経ってないけど、それくらい前なんですよね」
日村「ええ」
設楽「それで、これは俺、知らなかったんですけど、テレフォンショッキングのコーナーは、当時タモリさんが好きだった伊藤つかささんまでにたどり着くまで、ってことで考えられたコーナーだったんですって」
日村「全然知らなかった」
設楽「凄くない?これ。そういうコーナーだったんですね。好きな人がいて、その人までにたどり着くまでに、どんどん友達を繋げていったら良いんじゃないか、ってノリで作られたコーナーだったんですって」
日村「へぇ」
設楽「ちなみに、伊藤つかささんにたどり着いたのは、放送3年目。1985年8月8日。だから、開始から3年なんだね」
日村「3年なんだ」
設楽「伊藤つかささんが来た、っていうのは、VTRで観た気がするな」
日村「実は、こうだったんです、みたいなVTRで?」
設楽「そう」
日村「いいともって、良く聞くのは、当初は1クールか2クールくらいで終わる予定だったってね」
設楽「あぁ、そうなの?」
日村「実はね。だけど、人気がスゴクって、ずっと続いているんだってね」
設楽「ギネスに載ってるよね」
日村「そうなんだよね。生放送の放送回数、連続年数、みたいなので(笑っていいとも!の5000回出演で生放送単独司会世界記録)」
設楽「みのさんは、一番テレビに出てるって人で載ってるんだよね(1週間で最も多く生番組に出演する司会者)」
日村「1週間、とか1ヶ月とかで」
設楽「徹子の部屋が、長寿番組のギネス、とかで載ってるんだよね(同一の司会者による番組の最多放送回数記録)」
日村「伊藤つかささんのは知らなかった」
設楽「桜田淳子さんから始まって…俺らは3回出てるじゃないですか。それを繋いでるってことなんだよね。そう考えると、スゴイね」
日村「スゴイね。本当だね…今の人たちは、『ともだちの輪っ!』ってフレーズを知らないと思うんだよね」
設楽「昔は、『そうですね』みたいなノリで、『世界に広げよう、ともだちの輪』ってやってたんだよね。小さい『輪』って言ってから、大きい『輪』っていうね。手を丸くして。それに、俺らは入ってんだよ」
日村「そうだね…コンビで、一人だけ出るってパターンもあるよね」
設楽「一個上の世代ね。ネクストステージ」
日村「一人で呼ばれるって」
設楽「コンビ内でまわすって素敵だね」
日村「ナイナイさんだね。たしか、ナイナイさんはやってるね。岡村さんが矢部さんか、矢部さんが岡村さんかは忘れちゃったけど」
設楽「スゴイね。オークラ(構成作家)にも回そうと思ったんだよ、一瞬」
オークラ「はぁ」
設楽「でも、変な感じになっちゃうだろ?」
オークラ「恐らく(笑)でも、昔1回、素人で出たことあるんですよ」
設楽「知ってる!俺。結構有名だけどね。間違い電話を掛けちゃって、誰かがね。そうしたら、普通の主婦の人に繋がって、普通の主婦の人が何周か続いたってことがあって」
日村「えぇ?どうやって戻るんだろ?」
設楽「どうやったんだろう…でも、あったんだよ、それ」
日村「そんなことあるんだ」
設楽「遊び心っていうか、スゴイよね」
日村「シャレで、『うちに電話こないかなぁ』って言ってたら、来ちゃったってパターンでしょ?電話鳴ったら、タモリさんなんでしょ?ありえないね」
設楽「格好いいよね、今考えると」
日村「素人さんも、ともだちの輪に入ってるっていうね」と語っていた。
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設楽「俺らも、なんか今回、日村さんの歯の話しかしなかったね」
日村「はっはっは(笑)」
設楽「歯の話をちょっとしたら、タモリさん食いついたからね」
日村「早いね、ほんとあっという間」
設楽「そんなのもありまして…これ、ちなみに情報なんですけど、テレフォンショッキングの第一回のゲストは有名かと思うんですけど」
日村「これは、知ってます。桜田淳子さん」
設楽「桜田淳子さんが、初回なんですよね。1982年12月4日だって。30年は経ってないけど、それくらい前なんですよね」
日村「ええ」
設楽「それで、これは俺、知らなかったんですけど、テレフォンショッキングのコーナーは、当時タモリさんが好きだった伊藤つかささんまでにたどり着くまで、ってことで考えられたコーナーだったんですって」
日村「全然知らなかった」
設楽「凄くない?これ。そういうコーナーだったんですね。好きな人がいて、その人までにたどり着くまでに、どんどん友達を繋げていったら良いんじゃないか、ってノリで作られたコーナーだったんですって」
日村「へぇ」
設楽「ちなみに、伊藤つかささんにたどり着いたのは、放送3年目。1985年8月8日。だから、開始から3年なんだね」
日村「3年なんだ」
設楽「伊藤つかささんが来た、っていうのは、VTRで観た気がするな」
日村「実は、こうだったんです、みたいなVTRで?」
設楽「そう」
日村「いいともって、良く聞くのは、当初は1クールか2クールくらいで終わる予定だったってね」
設楽「あぁ、そうなの?」
日村「実はね。だけど、人気がスゴクって、ずっと続いているんだってね」
設楽「ギネスに載ってるよね」
日村「そうなんだよね。生放送の放送回数、連続年数、みたいなので(笑っていいとも!の5000回出演で生放送単独司会世界記録)」
設楽「みのさんは、一番テレビに出てるって人で載ってるんだよね(1週間で最も多く生番組に出演する司会者)」
日村「1週間、とか1ヶ月とかで」
設楽「徹子の部屋が、長寿番組のギネス、とかで載ってるんだよね(同一の司会者による番組の最多放送回数記録)」
日村「伊藤つかささんのは知らなかった」
設楽「桜田淳子さんから始まって…俺らは3回出てるじゃないですか。それを繋いでるってことなんだよね。そう考えると、スゴイね」
日村「スゴイね。本当だね…今の人たちは、『ともだちの輪っ!』ってフレーズを知らないと思うんだよね」
設楽「昔は、『そうですね』みたいなノリで、『世界に広げよう、ともだちの輪』ってやってたんだよね。小さい『輪』って言ってから、大きい『輪』っていうね。手を丸くして。それに、俺らは入ってんだよ」
日村「そうだね…コンビで、一人だけ出るってパターンもあるよね」
設楽「一個上の世代ね。ネクストステージ」
日村「一人で呼ばれるって」
設楽「コンビ内でまわすって素敵だね」
日村「ナイナイさんだね。たしか、ナイナイさんはやってるね。岡村さんが矢部さんか、矢部さんが岡村さんかは忘れちゃったけど」
設楽「スゴイね。オークラ(構成作家)にも回そうと思ったんだよ、一瞬」
オークラ「はぁ」
設楽「でも、変な感じになっちゃうだろ?」
オークラ「恐らく(笑)でも、昔1回、素人で出たことあるんですよ」
設楽「知ってる!俺。結構有名だけどね。間違い電話を掛けちゃって、誰かがね。そうしたら、普通の主婦の人に繋がって、普通の主婦の人が何周か続いたってことがあって」
日村「えぇ?どうやって戻るんだろ?」
注釈:テレフォンショッキング - Wikipediaより
1984年4月23日、泰葉がゲスト出演した際、「お友達紹介」の際に誤って別の一般人に電話をかけてしまった。タモリが冗談で「明日来てくれるかな!?」と問いかけると「いいとも!」と答えてしまったため、その次の日から3日間、本コーナーの前に一般人がゲストのテレフォンショッキングが行われた。その次に紹介された4人目が出演を拒否したため、一般人の出演はこの3人で終了。
設楽「どうやったんだろう…でも、あったんだよ、それ」
日村「そんなことあるんだ」
設楽「遊び心っていうか、スゴイよね」
日村「シャレで、『うちに電話こないかなぁ』って言ってたら、来ちゃったってパターンでしょ?電話鳴ったら、タモリさんなんでしょ?ありえないね」
設楽「格好いいよね、今考えると」
日村「素人さんも、ともだちの輪に入ってるっていうね」と語っていた。
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