オードリー若林「人見知りの自分とは真逆の父親」
2010.05.23 (Sun)

「200人くらいには言われたね。競りとかをしていて、指を出しますからね。だから指を出し慣れているんでしょうね。春日人気が凄かったですよ。僕の地元なんですけど、僕以上に築地に溶け込んでいましたね」
「時間が限られているっていう仕事ですからね。だから、せっかちというか。飾らないからね。ガードすることもないし。だから、気質が違うというかね…『僕、築地の出身だって知ってました?』って訊いたけど、だれも知らなかったからね」
「僕は、本当にあの築地市場の所から歩いて5分の小学校に通ってたんですよ。でも、全然知らない感じだったな。僕を迎え入れる感、ゼロだったな」と寂しい話をしていた。
そこから、以下のような話になっていた。
「…そういえば、マグロを解体するときに、習っている人じゃない外野のオジさんに『教え方が下手なんだよ!バカヤロウ』すると、教えているオジさんが『うるせぇ!これで良いんだよ』みたいな口げんかをすぐに始めるんですよね。そんな感じで、乾物とかをお婆ちゃんと買いに行ったとき、よく言われたんですよ。『シケた顔したガキだな』って。『愛想ねぇな』とか。もう萎縮しちゃうよね。全然、江戸っ子じゃない感じになっていったんですよ」
「人見知りの子供でしたし、9歳までは自分の年齢を指で示していたんです。そんな子供だったんです。でも、オヤジは全然違いましたね。高校の時に初めて彼女を家に連れて行って、一緒にご飯を食べていたら、初対面のオヤジが、彼女に向かって『ポットみたいなツラしてるな』って言ったんですよ。思ったら、言っちゃうんだよね。確かに、そんな鼻はしてたんだけどね」
「次の彼女の時は、『草履の裏みたいなツラしてるな』って言われてたからね。最初の時に怒っておいたハズなんですけどね。あと、春日部に住んでいる従兄が来ている時に、味噌汁をこぼしちゃったんですよ。言っても、他の家の子供だから、あんまり怒らないと思ったら、『何やってるんだテメェ!バカヤロウ』って言って」
「今まではそんなに思わなかったけど、確かにウチのオヤジはガラは悪いかもね。最初に会ったら、悪口を言う、みたいな。でも、そのDNAは確実に俺にも受け継がれているんだよね」と話しており、さらにそこから次の記事(オードリー若林「人見知り芸人・若林の二面性」)のように話していた。
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