三遊亭楽太郎 師匠、「円楽」襲名へ
2008.08.09 (Sat)
日テレ系演芸番組「笑点」でおなじみの落語家・三遊亭楽太郎(58)が6代目・三遊亭円楽を襲名することが8日までに決まった。楽太郎は還暦となる2010年春の襲名披露で全国ツアーを行う予定で週明けにも会見を開く。
昨年2月に落語家引退宣言した5代目・円楽は7月末に、東京・中野の自宅にまな弟子・楽太郎を呼び、自分の名跡を譲ると宣言した。「楽太郎は人を束ねていく力もあるし、(継ぐのは)アイツしかいない」と円楽は後継者に指名した。落語家の名跡の“生前贈与”は極めて異例で、円楽は「本名の吉河寛海(よしかわ・ひろうみ)に戻るだけですよ」としている。
楽太郎は「楽太郎という名前にも愛着があるが、師匠が大きくした名前なので責任を感じる。師匠の“押し出し”、貫録にはかなわないが、(自分は)面白くわかりやすい落語をやっていく」と決意を語った。
この日は、落語協会・鈴々舎馬風会長(68)、落語芸術協会・桂歌丸会長(71)から祝福の電話が届き、上方落語協会・桂三枝会長(65)からは激励のメールが届いた。楽太郎は「襲名の口上に出席してほしい」と会派の垣根を越えた襲名披露にしたい意向を口にした。
(楽太郎「責任感じる」…6代目円楽襲名 週明けにも会見)
三遊亭楽太郎が、伊集院光の師匠であることは有名な話ではないだろうか。
伊集院が落語家であったとき、「三遊亭楽大」という芸名をつけた本人が、三遊亭円楽であった。実は、三遊亭円楽-三遊亭楽太郎-伊集院光は、直系とでもいうべき師弟関係にあった。
そうした師弟関係にあり、伊集院が目撃した「円楽の楽太郎を信頼する度合い」たるや、スゴイものがあったそうだ。何かと困ったことがあった時には、円楽は「楽太郎しか頼めない」といったことを口にするのだという。
その陰には、楽太郎の"陰の努力"があったからだという。たとえば、円楽が黙って手を出したとき、それが『タバコが欲しいのか、のど飴が欲しいのか、それとも扇子を渡せということなのか』といった違いを完璧に把握して、物を渡していたという。伊集院には、何を要求されているのか、まったく分からなかったという。
さらに、「テレビが映らなくなった」と円楽が言い出した時のこと。明らかにコンセントが差さっていないだけ、ということが誰の目にも明らかでも、一応、テレビの中を開け、配線を差し直し、周りを掃除してコンセントを差し、「はい、師匠。直りました」と言うのだという。円楽は「楽太郎はテレビも直せる」と感心しきりだったという。
他にも、「頼み事がある」と神妙な声で深夜に、円楽が楽太郎へ電話をかけてきたときのこと。弟子が数名、『何事か』とやってきた。するとおもむろに「楽太郎、この書類のコピーを頼む」と言い出したのだという。
伊集院は気を利かせ、「それくらい、ボクがやっておきますよ」と書類を受け取ろうとしたところ、円楽は「楽太郎にしか任せられない!」と、楽太郎に頼んだという。昔は、コピーするのにも面倒な手順を踏む必要があり、失敗することも多かった、という印象が円楽には強かったようだ。そのため、深夜にもかかわらず、かたくなに楽太郎に依頼した、ということもあるが、楽太郎の信頼は絶大だった。
こうした背景もあるため、「楽太郎は人を束ねていく力もあるし、(継ぐのは)アイツしかいない」というのも分かる気がするのではないだろうか。
昨年2月に落語家引退宣言した5代目・円楽は7月末に、東京・中野の自宅にまな弟子・楽太郎を呼び、自分の名跡を譲ると宣言した。「楽太郎は人を束ねていく力もあるし、(継ぐのは)アイツしかいない」と円楽は後継者に指名した。落語家の名跡の“生前贈与”は極めて異例で、円楽は「本名の吉河寛海(よしかわ・ひろうみ)に戻るだけですよ」としている。
楽太郎は「楽太郎という名前にも愛着があるが、師匠が大きくした名前なので責任を感じる。師匠の“押し出し”、貫録にはかなわないが、(自分は)面白くわかりやすい落語をやっていく」と決意を語った。
この日は、落語協会・鈴々舎馬風会長(68)、落語芸術協会・桂歌丸会長(71)から祝福の電話が届き、上方落語協会・桂三枝会長(65)からは激励のメールが届いた。楽太郎は「襲名の口上に出席してほしい」と会派の垣根を越えた襲名披露にしたい意向を口にした。
(楽太郎「責任感じる」…6代目円楽襲名 週明けにも会見)
三遊亭楽太郎が、伊集院光の師匠であることは有名な話ではないだろうか。
伊集院が落語家であったとき、「三遊亭楽大」という芸名をつけた本人が、三遊亭円楽であった。実は、三遊亭円楽-三遊亭楽太郎-伊集院光は、直系とでもいうべき師弟関係にあった。
そうした師弟関係にあり、伊集院が目撃した「円楽の楽太郎を信頼する度合い」たるや、スゴイものがあったそうだ。何かと困ったことがあった時には、円楽は「楽太郎しか頼めない」といったことを口にするのだという。
その陰には、楽太郎の"陰の努力"があったからだという。たとえば、円楽が黙って手を出したとき、それが『タバコが欲しいのか、のど飴が欲しいのか、それとも扇子を渡せということなのか』といった違いを完璧に把握して、物を渡していたという。伊集院には、何を要求されているのか、まったく分からなかったという。
さらに、「テレビが映らなくなった」と円楽が言い出した時のこと。明らかにコンセントが差さっていないだけ、ということが誰の目にも明らかでも、一応、テレビの中を開け、配線を差し直し、周りを掃除してコンセントを差し、「はい、師匠。直りました」と言うのだという。円楽は「楽太郎はテレビも直せる」と感心しきりだったという。
他にも、「頼み事がある」と神妙な声で深夜に、円楽が楽太郎へ電話をかけてきたときのこと。弟子が数名、『何事か』とやってきた。するとおもむろに「楽太郎、この書類のコピーを頼む」と言い出したのだという。
伊集院は気を利かせ、「それくらい、ボクがやっておきますよ」と書類を受け取ろうとしたところ、円楽は「楽太郎にしか任せられない!」と、楽太郎に頼んだという。昔は、コピーするのにも面倒な手順を踏む必要があり、失敗することも多かった、という印象が円楽には強かったようだ。そのため、深夜にもかかわらず、かたくなに楽太郎に依頼した、ということもあるが、楽太郎の信頼は絶大だった。
こうした背景もあるため、「楽太郎は人を束ねていく力もあるし、(継ぐのは)アイツしかいない」というのも分かる気がするのではないだろうか。
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