爆笑問題の太田が小倉をイジる 1つの理由
2007.10.31 (Wed)

その際、太田は「あれは…まいっちゃったなぁ…」と苦笑いするような言葉で始められた。その後、「俺の中の…なんて言うか、猛獣を押さえつけることが出来ないんですよ、ボクは。非常にもてあましています。自分自身を」と続けた。
このことは、詳しくは触れていなかったが、恐らく27日にオンエアされた『たけしの日本教育白書』の一幕についての発言であったと思われる。
具体的には、かねてよりカツラ装着の噂(一部では、講演にて自らバラしている、取って見せてもいるとの噂もある)がある小倉氏に対して、田中が「TV番組の仕事増えてますよね」といった趣旨の発言をしたところ、太田が「髪の毛が?」と発言した件ではないか。
太田は、「本当にしつけられない…放し飼いになってしまう。本当にキライです。自分が。申し訳ない、本当に申し訳ない」と、反省している様子だった。
田中は、「やると思った」と、いつものことだ、といった反応だった。
さらに太田は、「常に猛獣が出てくる恐れがある。それをいかに抑えるかが自分のテーマ」と締めくくっていた。事実上の反省や謝罪表明のようなコメントが目立った。
太田が小倉(とくに頭のこと)をイジるのは、どうやら衝動的なもの、ということのようだ。
伊集院光 岡田斗司夫が嫌いな5つの理由
2007.10.30 (Tue)
ギャル曽根 トイレの回数(大)は1日6回
2007.10.27 (Sat)

・本当に食べてるの?
テレビでも大食いタレントとして売っているが、やはり疑惑の目を持たれるという。共演者も答えているが、プライベート(打ち上げ)でも大食いで、余った食べものを持ち帰っている、と証言されていた。
・お腹いっぱいにならないの?
どうしてあれほど食べられるのか、満腹にはならないのか、という質問もよくされるという。これに関しては、「満腹にはならない」と答えていた。家族とお寿司に行っても、「1人50個まで」と決められていたという。
・トイレの回数は?
トイレに行く回数(大)は、1日6回とのこと。
『ギャル曽根の数字』に関して。
食前のウエストが約63cmであるが、食後に計測した際には83cmにもなる。また、腸内細菌としてビフィズス菌がきわめて多い(一般女性の平均は10%~15%)ことが判明している。その結果、食べても血糖値がほとんど上がらず脳内の満腹中枢が刺激されない、とのこと。
2005年10月23日放送の『元祖!大食い王決定戦』における食パン大食い対決では、ジャムを大量に使い、食パン7斤=2.33kgを食べるのにジャム1kg以上を用いた。
行列のできる法律相談所(2007年7月22日放送)にて、スパゲッティ10皿、餃子50個、島田紳助が握った寿司100貫を完食した。
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小島よしおが恐怖した 99(ナイナイ)岡村の叱責
『爆笑問題の太田は立川談志の愛人の子』説を信じた1人
2007.10.27 (Sat)

その発端となるのは、太田が立川談志の失言について「すみませんね、ウチの親父が」と言ったことだという。もちろん、ボケなのだがそれ以来、立川談志は「(太田は)俺の愛人の子」と言い出したようだ。
それを信じてしまった週刊誌の記者が、事務所に確認をとりにきたこともあったという。
だが、それ以上に信じてしまい、取り乱していた1人がいた。それは、太田の実の父親だった。妻に対して、「本当なのか?」と問いただしてしまったという。
『爆笑問題の数字』に関して。
爆笑問題は、1988年に結成。ライブハウス『ラ・ママ』でデビューし、その場で太田プロにスカウトされたという。
日本大学時代に取得した単位は、二人合わせて17単位(爆笑問題のニッポンの教養2007.10.23)
太田は、高校時代は友達が一人もいなかったが、「陰口を言われるのが嫌」という理由で学校を休まず皆勤賞で1日も休まなかった。
オリジナルの一発ギャグはもたなかったが、2005年に「ピップ」というギャグを開発。
田中は、30歳になるまで女性と付き合ったことがなかった。
万馬券を当て、馬連83,570円(購入額1000円)と三連複119,000円(購入額500円)を的中させ、計143万700円を獲得した。
大田は身長170cm、田中は154cm。ナイナイの岡村は身長156.5cm。
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いくつあるんだ? 99(ナイナイ)のコンビ名の由来
小島よしおが恐怖した 99(ナイナイ)岡村の叱責
2007.10.26 (Fri)

その際、年下のディレクターの段取りがあまりにも悪く、普段はそうした叱責はしないが、少し言っておかなければダメだろうと判断。酒席で話すこととなった。「ルーレットがゴールデン番組でありえないくらいショボい。しかも、交通整理がまったくできておらず、撮影を中断せざるを得なかった」など、多くのことを、堰を切ったように指摘し始めたのだという。
そのディレクターも、「そうですね…ハイ、そうです…」と聞いていたが、その態度にも『本当に分かっているのかな?』と思い、ずっと説教し続けた。
その場の雰囲気が悪くなってきたので、地元に帰っていた小島を呼び出すことになった。その後、以下のような流れになったのだという。
いくつあるんだ? 99(ナイナイ)のコンビ名の由来
2007.10.26 (Fri)

1)ブレイクダンスの技である1990(ナインティーンナインティ) が由来
→実は、1990(ナインティーンナインティ)という技が本当であるが、「99(ナインティーナイン)」という名前であると勘違いしたために、この名前となった。
これが実際の由来と本人達が認めている(番組内)。
2)2人が吉本総合芸能学院(NSC)の第9期生であったことから9を2つ重ねて命名
→これを公には答えているが、実際には「コンビ名の由来に特に面白いエピソードもないし、詳しく答えるのが面倒なので(すぐその話を終われる)」から、というもの。
3)お笑いを99歳までやりたいからという説
→これに関しては、二人は知らなかった。
ほかにも、以下のような説があるようだ。
そのまんま東知事 イラスト使用料1年3万5千円
2007.10.24 (Wed)
2007年10月23日放送の「週刊オリラジ経済白書」にて、そのまんま東知事のイラスト『そのまんまくん』の使用料は、1年で3万5千円であることが明らかとなった。
ちなみに、これは1商品に対してであり、複数の商品に対して掲載するには、さらにライセンスが必要となる。
ちなみに、このイラスト許諾を行う会社は、『ツーツーレロレロ』の元相方である大森うたえもん氏である。
まず、『イラストの収益』に関して。
現在、300社程度の会社と契約を交わしており、さらに400商品に掲載されているそうです。単純計算でも1,200万円程度の年間収益があることが分かった。
次に、『知事の支持』に関して。
第17回宮崎県知事選挙(無所属)にて当選した。有効票数は266,807票だった。2007年4月20日の宮崎日日新聞社の支持率調査によると、支持86.7%、不支持1.1%という高い支持率を得ている。
『知事の結婚生活』について。
1985年にフリーアナウンサーであった片平きみよさんと結婚している。1989年(フライデー襲撃の3年後)には離婚しており、翌年の1990年に女優のかとうかずこさんと再婚している。2006年に、かとうかずこさんと離婚している。結果、20年の結婚生活を送っていた。
最後に、『知事と経済効果』に関して。
初登庁した7日間に知事がテレビに露出した番組の時間を計測し、15秒スポットのCM料金に換算したとすると、165億円になるそうです。今後は露出が減少していくと考えられたり、失政を行う(地鶏の偽装問題などの被害などもあるでしょう)可能性もありますが、非常に大きな経済効果をもたらしていると考えられます。
ちなみに、これは1商品に対してであり、複数の商品に対して掲載するには、さらにライセンスが必要となる。
ちなみに、このイラスト許諾を行う会社は、『ツーツーレロレロ』の元相方である大森うたえもん氏である。
まず、『イラストの収益』に関して。
現在、300社程度の会社と契約を交わしており、さらに400商品に掲載されているそうです。単純計算でも1,200万円程度の年間収益があることが分かった。
次に、『知事の支持』に関して。
第17回宮崎県知事選挙(無所属)にて当選した。有効票数は266,807票だった。2007年4月20日の宮崎日日新聞社の支持率調査によると、支持86.7%、不支持1.1%という高い支持率を得ている。
『知事の結婚生活』について。
1985年にフリーアナウンサーであった片平きみよさんと結婚している。1989年(フライデー襲撃の3年後)には離婚しており、翌年の1990年に女優のかとうかずこさんと再婚している。2006年に、かとうかずこさんと離婚している。結果、20年の結婚生活を送っていた。
最後に、『知事と経済効果』に関して。
初登庁した7日間に知事がテレビに露出した番組の時間を計測し、15秒スポットのCM料金に換算したとすると、165億円になるそうです。今後は露出が減少していくと考えられたり、失政を行う(地鶏の偽装問題などの被害などもあるでしょう)可能性もありますが、非常に大きな経済効果をもたらしていると考えられます。
木下優樹菜の壮絶な中学時代
2007.10.20 (Sat)

木下は「小学校時代は、バスケットボールを一生懸命やってて真面目だったんですよ。けど、中学で部活に入った後に『もう、ボールなんか見たくない』と思ったんですよ」と語っていた。どうやら、部活にも嫌気がさしていた時期だったようだ。
「その頃、ヤンキーの人たちを見たんですよ。その時に、『何て自由な人なんだろう』と思ったんですよ。それで、憧れてヤンキーになろうと思ったんですよ」と木下は語っていた。
「ヤンキーになろう、って決心を決めた日から、あまり間を置かずに、番長決めをすることになったんですよ。それで、タイマンをはることになった。『タイマン公園』(もちろん、正式な名前はそんなものではないが、木下たちはそのように呼んでいたようだ)で、一対一のケンカをすることになった。3分一本勝負のラウンド制だった」と話していた。
その勝負の行方は、以下のようなことになったようだ。
ナイナイ・岡村 「キスするときは、必ず許可をもらう」
2007.10.12 (Fri)

事の発端は、さんまのまんまに出演した際に「キスするときは必ず『キスしていい?』と訊く」と語ったこと。この放送を観ていた地元(東大阪市)の友人にも、「37歳にもなって、オカシイ。普通、訊かない」と、全否定されるようなことを言われてしまったという。
さらに、徳永英明に番組で会った際、「岡村くん、キスするときはまず、自分に許可をとるんだよ。それからキスするんだよ。相手にキスしていいかどうかを訊くのは、おかしい」と言われてしまったという。
こうしたこともあったが、実は思わぬところから賛同者が以下のように現れたそうだ。
ナイナイ岡村「大阪では、8割キスに成功してます」
2007.10.12 (Fri)

「キスするときは必ず『キスしていい?』と訊く」ということで、「それはオカシイ。訊いちゃったら、失敗してしまうのではないか?」と矢部にツッコミを入れられていたのだが、大阪ではかなりの成功率を誇っていたようだ。
だが、失敗もあったという。「去年、東大阪の女性と一緒に飲んでいた。それで、(帰省していた)実家に帰るのも何だったので、女性の部屋に泊めさせてもらうことになった」と、岡村は話していた。
最初はお茶を飲んで話をしていたが、頃合いを見計らって「チューしていいかな?」と訊いたという。だが、女性は「あかんっ!そんな人とは思わなかった」と頑として拒否したという。
拒否されて、岡村はその後どうしたのか…それは、以下のように語られていた。