有吉弘行、浅草キッドが不仲なのではとの噂があると暴露「そういえば、2人で漫才してるの見てないな」

2015.07.20 (Mon)
2015年7月19日放送のJFN系列のラジオ番組『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』(毎週日 20:00-21:55)にて、お笑い芸人・有吉弘行が、お笑いコンビ・浅草キッドの水道橋博士、玉袋筋太郎が不仲ではないか、という噂を聞いたと明かしていた。

浅草キッドの浅草キッド
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有吉弘行:浅草キッドさんが、ちょっと最近、不仲なんじゃないかっていう謎の情報があってさ。

ダーリンハニー・長嶋智彦:あ、そうなんですか。

新宿カウボーイ・石沢勤:どこからの情報なんですか?

有吉弘行:俺も、ポロっと聞いただけだからさ。よく分かんないんだけど。本当なのかな?

長嶋智彦:知りたいですね。どうなんですかね。

有吉弘行:逆に言うと、浅草キッドさんって、芸能人のそういう情報を調べる側の人たちじゃん。

石沢勤:ああ、はいはい。

有吉弘行:その人たちの情報だからさ。俺もドキドキしてんだよ。そういえば、2人で漫才したの見てないなって。

長嶋智彦:そうですね。

有吉弘行:仲悪いのかな?

長嶋智彦:どうなんですかね。

有吉弘行:怒られるのかな、今まで散々そういうことしてきたし(笑)「変な探り入れてんじゃねぇぞ」って、怒られんのかな(笑)

長嶋智彦:いや、もう怒れないですよ、それは(笑)
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水道橋博士が語る「藝人春秋を書いたワケ」

2013.02.04 (Mon)
2013年02月02日放送の「ブラマヨとゆかいな仲間たち アツアツっ!」にて、水道橋博士がゲスト出演しており、自著「藝人春秋」について語っていた。

藝人春秋を書き出したきっかけ

水道橋博士「登場人物は、全てテレビに出てくる人で、僕自身が"僕"って一人称の私小説みたいな感じで、文芸として出したんです。あれ12年くらい掛かってるんですよ」藝人春秋

ブラマヨ・吉田「はい、最初の方に書いてる方は、だいぶ古いですもんね」

水道橋博士「2001年の原稿が一番古い原稿なんで」

吉田「それはなんで、本を書こうと?」

水道橋博士「50歳になったら50歳を記念して、というか。27年芸人をやってますから、新しい世代の層が出てくると、昔の話をみんな知らないんだよ」

吉田「知らないですね」

水道橋博士「それを詳細に覚えてることを体現していこうと。そのシーンを、『こんなシーンあったんだよ』ってことを書いていったんですね」

吉田「はい」

水道橋博士「俺、日記を毎日書いてるんですよ。ブログを15年間、書き続けてるんです」

小杉「へぇ」

水道橋博士「そのヒット数が、しょこたん1日分に負けるという」

小杉「はっはっはっ(笑)なんと細かい連打(笑)」

さらに、以下のように語っていた。
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伊集院光「玉袋筋太郎、西村賢太とボクらの時代で対談」

2013.01.23 (Wed)
2013年01月21日放送の「伊集院光 深夜の馬鹿力」にて、浅草キッド・玉袋筋太郎と、『苦役列車』で芥川賞を受賞した西村賢太とで、フジテレビ『ボクらの時代』で対談を行ったことについて語られていた。
苦役列車 (新潮文庫)
伊集院光「『苦役列車』の西村賢太さんと、浅草キッドの玉袋筋太郎とで、3人で飲みに行ったの。これもねぇ…(笑)『ボクらの時代』っていう番組でね、そのオファーがこの3人にきたわけ。日曜の朝から気持ち悪いよって思って(笑)」

「何この華のない絵って思って。多分、相当人気があるから、1回くらい捨てようと思ってるのかな(笑)テレビ観てると、『素敵な話をしてるな』って思ってる番組だったのに、『西村賢太さんを軸に、同年代の人を集めてるって話があるんですよ』ってことをマネージャーから聞いてて」

「西村賢太さん、俺、あと昭和42年生まれのリストがズラってあるんだけど、沢村一樹あたりを多分、入れたいと思うんじゃないかな。だって、あまりに淀んでんじゃん、この2人(笑)その淀み方から言えば。でも、最終的に同世代に括られたって、共有する話が無いよって(笑)」

「でも、実際に決まったら玉さんで(笑)その時に、『うわ、それはテレビとしてダメだろ』って思ったんだけど(笑)西村賢太、伊集院光ってきたら、カイリー・ミノーグくらい入れておかないと…話なんかねぇよ、カイリー・ミノーグと(笑)」

「その感じで始まったんだけどね。僕は、西村賢太さんとQさまとかで共演したことあるんだけど、玉さんは何度か機会ありそうだったけど会ってないんだ。でも、玉さんは西村賢太さんの『苦役列車』に感銘を受けてて、リスペクトしててエンジンがかかってるの。その『私小説の赤裸々性みたいなものを、俺はお笑いでやるんだ』って言ってて力が入ってるの」

「西村賢太さんは、作家でしかも無頼派の作家だから、そこに何を気を遣うわけでもないの。テレビはオマケの仕事だって思ってるから。だからこそちゃんとできると思ってるんだけどね。俺1人、『これ日曜の朝の番組だよな…』って戸惑ってるの。しかも、新橋のしゃぶしゃぶ屋で、酒を飲みながら対談をするっていうし」

さらに、以下のように語っていた。
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爆笑問題×浅草キッド対談「ニッポン放送で確執が生まれた」

2011.12.21 (Wed)
2011年12月18日放送の「爆笑問題の日曜サンデー」にて、浅草キッド(水道橋博士、玉袋筋太郎)ゲスト出演した。そこで、ニッポン放送で確執が生まれた時のことについて語っていた。

水道橋博士「玉袋が爆笑問題と共演するっていうのは無かったね。俺は、21年前に、ニッポン放送に殴り込みに行ってるから、あるんだよ」

太田「思いだすなぁ、あの頃。あったなぁ、あの日」

田中「21年も経つんだ」

水道橋博士「90年だもん」

太田「博士、怖くてなぁ」

水道橋博士「あれもね…自分が呼んだんだから」

太田「呼びました、もちろん呼びました。来てくれたのは嬉しかったんです。でも、その後で番組を終わった後に、2時間の説教です…」

玉袋筋太郎「説教したの?」

太田「もう、ひどいですよ」

玉袋筋太郎「すごいんだよ、ウチの相棒は」

田中「何のことかって説明すると、ビートたけしのオールナイトニッポンがあって、たけしさんがまだレギュラーでやってる頃に、ちょうど僕らが若手で別の番組でレギュラーをやってたんです。当日、よくあったんですよ、たけしさんが急に休むって言いだして」

太田「休むってね」

田中「その時に、軍団さんが代打でやったりとかしてて、たまたま、俺らに白羽の矢が立ったんです。当日ですよ」

水道橋博士「当日だったんだ」

田中「電話掛かって来て。『今晩、殿がラジオに来ない。だから、爆笑問題がやってくれ』ってことでやることになったんですよ」

太田「大喜びで、有頂天でなぁ」

田中「太田プロの俺らに。嬉しいじゃないですか」

太田「瀬名さん(当時、太田プロのマネージャーの瀬名英彦 ツイッター)なんか大喜びで」

水道橋博士「今、どこに居るんだよ」

田中「名前は止めなさい…それで、僕ら大喜びで、急遽やることになったわけですよ。憧れの番組ですよ。ビートたけしのオールナイトニッポン。木曜日の1時から。気合いが入って、色々ね…」

太田「LFが煽ったんですよ。『好きなことをやれ』と。深夜番組だし」

玉袋筋太郎「古谷のヤロウか?」

太田「ええと…ね」

玉袋筋太郎「安岡さん?」

田中「あぁ、たぶん」

太田「それで飛ばされちゃったからね(笑)」

水道橋博士「はっはっは(笑)」

太田「それで飛ばされちゃったから、名前、覚えてない(笑)…『太田くん、好きなことやっていいよ、どんどんやっていいよ』って煽られて。浅草キッドとは、当時、La mamaで同じライブに立って」

水道橋博士「何回か飲んだこともあったよ」

太田「そうそう。そうです。大先輩ですから」

水道橋博士「1~2年だよ」

太田「La mamaに出た時、最初に誘ってもらって、博士に。それで、ずっと後輩にずっと説教してるのを『こいつ、面倒くさいやつだな』って思って」

玉袋筋太郎「それと25年一緒にいるんだから、俺、大変だよ」

水道橋博士「違う違う。飲めなかったからね。…お酌しろみたいなことを言ってたの」

田中「面倒くさい先輩じゃねぇかよ(笑)一番嫌われる先輩だよ」

水道橋博士「大事なことですよ」

玉袋筋太郎「大事なことですよ、当時は」

さらに、以下のように語っていた。
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伊集院光が語る「爆笑問題と浅草キッドの対談」

2011.12.20 (Tue)
2011年12月19日放送の「伊集院光 深夜の馬鹿力」にて、『爆笑問題の日曜サンデー』に浅草キッド(水道橋博士、玉袋筋太郎)ゲスト出演した。

そこで伊集院光が、21年前に爆笑問題と浅草キッドの確執が起こった経緯について語り(伊集院光が語る「爆笑問題と浅草キッドの確執」)、その後、対談の内容について語っていた。

伊集院光「遺恨は21年間続いているっていう前提があって、でもお互いに大人になったし、みたいなことになって。手打ちとまではいかないけど、もうみんなオジさんたちだから、つかみ合いのケンカみたいなことにはならなくて。公式の場で会うってことになったわけですけど」

「まず、玉さんが格好良かったのは、『こういう自分たちの青い時代からずっと続いている、燃えてたものを喋るにあたって、ギャラをもらって喋ることじゃねぇ』って言うんだよ」

「こういう決着をつけるって回に、ギャラをいただいたら、そのTBSっていうクライアントのために喋ることになるけど、俺の喋りたいことを喋るためには、そういう枷があったらいけないんだって、あの人はホントの江戸っ子だから。新宿生まれの新宿育ちだから、それはいけねぇって」

「格好良かったのが、TBSに大量の花を『玉袋筋太郎より 日曜サンデー』って書いて送りつけて。それで、だいたい貰うギャラの分の花だから、貸し借り無しだってところから入ってくるの。それはそれで格好いいね。『俺は行かねぇよ』って時代はもう終わってるんです。『俺は行かない』っていうのは、大人になって終わってもいいのかなってことで番組に出たんだと思うんです、これは推測ですけど」

「だけど、『素直にギャラをもらって出ちゃったら、今までの俺の思いはなんなの?』ってことになるから、サシで普通にお互い背負うものもなく喋るためには、このTBSから、『爆笑問題の日曜サンデー』で貰うギャランティーは、あったらいけないって思うんだろうね。金を返す返さないってのも粋じゃないから、花を贈っちゃうっていう。そこから始まるわけですよ」

さらに、以下のように語っていた。
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伊集院光が語る「爆笑問題と浅草キッドの確執」

2011.12.20 (Tue)
2011年12月19日放送の「伊集院光 深夜の馬鹿力」にて、『爆笑問題の日曜サンデー』でゲスト出演した浅草キッド(水道橋博士、玉袋筋太郎)について語っていた。

伊集院光「久々に、エアチェックをしてまでも聴いた番組があって。留守録してまで聴いて。ラジオの録音の仕方、タイマーの仕方も忘れちゃってたんだよね。ラジカセは一応あるんだけどね。ラジカセ自体も、あんまり動かさないからね。他人のラジオをあんまり聴かないから」

「昨日の『爆笑問題の日曜サンデー』って、TBSの昼間の番組で。録音してまで聴きましたね。というのも、爆笑問題のラジオに、浅草キッドがゲストで来る。これはね、色んな事があったせいで…21年間、爆笑問題と浅草キッドの直接的な共演ってないのよ」

「共演NGというか、遺恨があって。僕は21年前に、当事者とまではいかないけど、遺恨が発生したニッポン放送って放送局にいましたから、その細かいところまで知ってて。お互いの芸人とも交流がありますんで。僕は、誰とでも仲良くしますからね(笑)社交性が高いって皆さんご存じじゃないですか(笑)」

「僕は、爆笑問題とも浅草キッドとも、恵さんともすごく仲が良いってことでスゴイお馴染みじゃないですか(笑)それで、何となく僕なりの目線からのいきさつみたいなのがスゴイ分かるから、なんかもうこれを聞き逃したら駄目なんじゃないかって思って。恥ずかしいんだけど、エアチェックしたんですよ。格好良かったのが、玉さん、玉袋筋太郎さん」

さらに、以下のように語っていた。
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