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大槻ケンヂ、忌野清志郎の経済的に不遇だった頃の伝説を紹介「武道館ライブの日に『銭湯が閉まるから俺は帰る』」

2015.06.03 (Wed)
2015年5月30日放送のテレビ朝日系の番組『ブラマヨとゆかいな仲間たち アツアツッ!』(毎週土 26:15-26:45)にて、筋肉少女帯・大槻ケンヂが出演し、90年代のバンドブーム時、ロックバンドとして活動していた人々は経済的に不遇であり、忌野清志郎も同様にそうであり、とある伝説が残されていると語っていた。

ラストデイズ 忌野清志郎 太田光と巡るCOVERSの日々
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大槻ケンヂ:イカ天ブーム、ホコ天ブーム、そして僕らインディーズバンドのブーム。この3つが重なって、89年くらいにバンドブームがきたんですよ。

吉田敬:なるほど。

小杉竜一:イカ天軍団と、ホコ天軍団とインディーズ軍団が、一気に噴火した感じ?

大槻ケンヂ:一気に。

小杉竜一:そのブームの中、一方、大槻ケンヂは…AVに出演(笑)

吉田敬:ウソでしょ?!

大槻ケンヂ:ここらへんがね、当時って無茶苦茶だったんですよ。なんて言ったらいいのかな…カルチャーとサブカルチャーがごっちゃになってたんですよ。

吉田敬:ちょっと待ってくださいよ。その時、筋肉少女帯・大槻ケンヂは…

大槻ケンヂ:デビューしてた。

小杉竜一:だから、人はそこそこ大槻ケンヂって知ってる頃ですよね。

吉田敬:なんで?

大槻ケンヂ:いや、面白そうだなって思って。さすがに、「カラミはなくて良いですか?」って言ったら、「その他の少年AかBの役ですから」って。

小杉竜一:ドラマ部分の登場人物で?

大槻ケンヂ:そうそう。それで当時、2日間で4万円もらったの。俺、当時、バンドの月給は3万5千円だったの。

小杉竜一:え?

大槻ケンヂ:だから、「バンドの月給より良いじゃん」って思ったのを覚えてますね。

吉田敬:え?ちょっと待ってくださいよ。

大槻ケンヂ:当時ね、バンドブームっていうのがあったんですけどね。今でこそ、「バンドで俺は食って行くんだ」って言えるでしょ?当時は、誰もロックバンドなんてもので食えるってことはありえないことだって思ってたから。

小杉竜一:なるほど。給料が3万5千円で「なんでやねん」とはならなかったってことですか?

大槻ケンヂ:うん。

小杉竜一:そして、1990年に筋肉少女帯初の武道館ライブを実施。

大槻ケンヂ:そう。考えてみたら、88年デビューで、90年にはもう武道館ライブやってるんですよ。

吉田敬:めちゃくちゃ凄いですよ。

小杉竜一:アダルトに出て、次に武道館ライブ。同一人物の年表とは思えへんけど。

吉田敬:この時は、もうお金ガンガンもらってたんですよね?

大槻ケンヂ:武道館の時で、10万超えなかったかな。

小杉竜一:ええ?!

大槻ケンヂ:あのね、ロックバンドって当時、本当にそんなもんだったんですよ。これは伝説なんだけど、忌野清志郎さんが、RCサクセションで初めて武道館ライブをやった時に、「清志郎さん、これから打ち上げ行きましょう」って言われたら、「いやいや、銭湯が閉まるから、俺は帰る」って言ったっていう。

吉田敬:うわぁ。

小杉竜一:銭湯入りたいから?

大槻ケンヂ:これは伝説かもしれないですが。

吉田敬:まだ、風呂付きのマンションには住めなかったっていう。

大槻ケンヂ:そんな時代ですよ。

吉田敬:じゃあ、ユニコーンさんはみんな知ってたと思うんですけど、みんなそんな?

大槻ケンヂ:ユニコーンはね、事務所がちゃんとしてたからね(笑)

小杉竜一:辛いなぁ(笑)

大槻ケンヂ:俺のところは、ヒドかった(笑)

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タグ : 大槻ケンヂ,忌野清志郎,

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