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中居正広、父親が亡くなる直前に自宅で過ごした様子を語る「最後に食べたのが、俺の作ったカレーだった」

2015.05.17 (Sun)
2015年5月16日放送のニッポン放送系のラジオ番組『中居正広のSome girl' SMAP』(毎週土 23:00-23:30)にて、SMAP・中居正広が、肺癌・喉頭癌で2月19日に亡くなった父親と、亡くなる3~4日前に実家で過ごすことができた、と語っていた。

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中居正広:亡くなる5日くらい前かな。地元に行った、次の週の土曜日かな。「何しよう」って。お父さんの家に帰る計画を考えてるからなって。ずっと帰ってなかったから。とにかく、万全の体調を病院でやって。

「あのメシ、また持ってくるからな」って。それが最後だったのかな。忘れもしない、前の日が、『Mステ』だったのかな。『華麗なる逆襲』をやった時かな。その次の日から、「仕込みだ」って。カレーを具材だけ買って切って、あとは入れるだけにしておこうって。炒めて、そのまま置いておいて、みたいな。

あとはバクダンって言って、お父さんが好きなマグロとタコとイカとホタテとエビをみじん切りにして。納豆で混ぜて、それをノリで巻いて食べるっていうのがあって。それと、イカとしょうがとみょうがの、いつものパターンだろうって。あとは、焼き鳥を買ってきて、細かく切っておいて。

それで(父親の家に、父親と)泊まろうかなって思ったんだけど、夜中3~4時くらいに帰ったかな。次の日も、昼くらいに病院に戻ったんだけど。「しんどい、しんどい」だったから。

その時、10人くらいきてて。東京の友達、地元の友達とか。ほんで、マンションの玄関の下まで来てるんだけど、「無理だ」って。「なんでだ?」って。「どうした、パパ。もう家、そこじゃんか。どうした?」って。「無理だ。苦しい」って。

「じゃあ、帰ろうか」って。それで、また筆談で「俺は生きてきてな…」って。「分かったから。じゃあ、帰ろうか」って。それで、「じゃあ、帰ろうか」って言ったら、「いや、やっぱり行く」って書いて。

「行くか」って。「その代わり、大人5人くらい必要だ」って。「任せてくれ、大人10人以上いるから」「そんなにいるのか、今日」って。それで、布団ごと車椅子に乗せて。

「色々作ったけど、何が食べたい?」「カレー食べたい」って。「ご飯は?」「ルーだけ食べたい」って。それでもね、最期、何日か前からずっと何も食べてなかったから。3口くらい食べたのかな。「もう一口くらい食べるか?美味いか?」って言ったら、「美味い」って。

でも多分、味は分かってなかったね。もう味覚がないから。俺が作ったのにっていう、プレッシャーで食ってくれれば良いなって思ったの。せっかくヒロちゃんが作ったんだからって、食わざるをえないって感じで、無理して食べてくれたんだろうなって。

結局、それが最後だったね。最後のご飯が、俺のカレーだったかな。亡くなる時も、体重も20 Kg台だったかね。骨でしたね。それで、地元戻った時のビデオをみんなで観て。編集してさ。カーペンターズが好きだから、カーペンターズのBGMを編集で入れて。でも、途中でもう、目をつぶってたね。

それから病院戻って、3~4日くらいで亡くなったんだけど。その間、目を覚ますことはなかったね。多分、だから、あれは最後に力を振り絞ったんじゃないかな。

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