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中居正広、父親が亡くなる10日前にドライブで一緒に地元を巡っていた「今日じゃないと、ダメな気がする」

2015.05.17 (Sun)
2015年5月16日放送のニッポン放送系のラジオ番組『中居正広のSome girl' SMAP』(毎週土 23:00-23:30)にて、SMAP・中居正広が、肺癌・喉頭癌で2月19日に亡くなった父親と、その亡くなる10日前に、地元の神奈川県・藤沢市を訪れ、一緒にドライブしたと明かしていた。

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中居正広:僕たちには何ができるのかなって。亡くなる10日くらい前に、「藤沢に行こう」と。僕の生まれ育ったところ。藤沢に行って、生まれ育ったところを回ろう、と。

鵠沼と辻堂に行こう、と。それでこれはウチの会社にも助けてもらいまして。「ヒロちゃん、そろそろドライブでも2人でしたいな」ってメールは来てたのよ。俺はその日は無理だったのかな。「おお、良いね。どういうコースが良いか考えといてな」ってメール送って。

そしたら、「なんだ、今日じゃないのか?」って。「今日じゃないと、ダメなような気がするな」って。「行けるよ、行けるよ」って。2人では、やっぱり行かなかったのかな。誰かしらのチビがいたりとか。

地元に行こうってことで。ウチの会社の移動車って、でっかいワンボックスカーみたいなんで。それを2台。パパは、フルフラットで。毛布で包んで。もうね、包まれすぎて熱いんじゃないかってくらい包んで。

お父さん、その時期から…1月中旬くらいからずっと車椅子だったんで。最初、鵠沼行ったのかな。僕の小さい頃のアルバムを持ってって。そしたら、その住んでるところで、「野球をやったところだ」とか。壁当てだとか。「俺、ここで素振りやってさ」ってところを全部、再現して。

「ここ、親父覚えてるか?」って。写真と照らし合わせながら、そこに立ったりして。「ここで死ぬほどやったなぁ」って。親父もちょっと興奮してるのかな。

でも、その時、外出許可で「5時間しかもちません」って言われたのよ。呼吸が多分、もたなくなるって。だから、12時に出て、1時半に着いて。2時間はいれるって。

生まれ育ったところに行って。それがまぁ、楽しかったかな。お父さんも楽しかったんじゃないかな、アレ。「お前、ここでケンカしてさ」みたいな話してて。「俺は覚えてねぇよ。野球しか覚えてねぇよ」って。

「ここで思い切り親父が打って、あそこのおばちゃんの家に入れちゃってさ。親父が入れたのに、俺がとりに行って、俺が怒られてさ。『パパ、パパ』って言ったのに、親父来てくんなかったの、俺、スゲェ覚えてるよ」って言って、大笑いしてたけど。

「じゃあ、次、辻堂行こうか」って、辻堂に行って。「ここで酔っ払ってさ、血だらけで帰ってきたよな」って。ゆるい坂道で、下ったところでウチなんだけど、金網みたいなところがあって、そこにガガガっって当たってきて、血まみれで帰ってきて。「お父さん、どうしたの?」「分かんない。気がついたら、血が出てて」って。次の日になったら覚えてないって。

それから神社行って。行ったら、パパが「ギブだ」って。「病院戻してくれ」って。その時もね、「病院に戻してくれ」って言ったの始めて聞いたのかな。「家に帰りたい」じゃなくて、「病院に戻してくれ」って。相当苦しかったんじゃないかなって。

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タグ : SMAP,中居正広,

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