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中居正広、亡くなった父の肺癌・喉頭癌での闘病を語る「喉頭癌手術で飲まず食わず、喋れずの100日間」

2015.05.10 (Sun)
2015年5月9日放送のニッポン放送系のラジオ番組『中居正広のSome girl' SMAP』(毎週土 23:00-23:30)にて、SMAP・中居正広が、2月19日に亡くなった父親の肺癌・喉頭癌での闘病について語っていた。

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中居正広:皆様に、言わなければならないことがありまして。大分、落ち着きましたので、この時期なんじゃないかな、と思い、勝手にこの時期を選ばさせていただきました。

というのも、私、個人的なことなんですけども…これ、結婚報告みたいな雰囲気になってる?(笑)いや、そんなんじゃないんですけど。真面目な話、2月の19日に、私のお父様が亡くなりました。享年79、4月20日で80だったんですけども。

80を前に亡くなりまして。2月19日に亡くなりまして。それから、四十九日も4月8日に終わって。その後、すぐが良いかなって思ってたんですけど、色々、タイミングを見計らいながらということで、この時期になってしまいました。

もう、お葬式も密葬で。家族だけ。家族と親族だけで。といっても、50~60人はいたかな。それでやって。4月8日も、滞りなく終わりまして。僕のウチにも、小さい5 cm× 5 cmくらいの箱に、骨が入っていて。実家にもあって。

それでね、2番目の兄ちゃんのところに、仏壇があって。まだお墓がね。でも、四十九日の時に、お墓を作るところのお寺に、骨がいっぱい置いてあって。お墓ができたらってことで。

いきなり亡くなったわけではなく。経緯を説明しますと、2月19日の丸2年前、肺癌を患いまして。片方の肺を全摘出して。その手術が、3月12日。忘れもしない。僕が『いいとも』やってて、『いいとも』終わりでWBCで東京ドームに行く日があったんです。その日の朝7時半とかかな。

朝、僕は行って。それで、手術も8時くらいから7時間くらいかかったのかな。15時くらいになって、WBCの東京ドームに行く前にお父さんのところ行って。そしたら、管だらけで。「なんだコレ…」って(笑)

「パパ、パパ、ヒロちゃんだけど、分かる?」って言ったら、「ああ…」って。麻酔でね。本当に大きい手術だから。

そしたら、ずっと指回してんのよ。「麻雀、麻雀…」って。この期に及んで麻雀やりたいのかよって(笑)それから1~2週間くらいで退院したのかな。その年の秋に、リンパ転移して。放射線治療を1週間に6日間通院して。6週間、36回とかやって。毎日行って、放射線治療。

それも治りました、と。でも、リンパ転移しただなんだって、秋くらいかな。ゴルフで川名に行ったり、宮崎に行ったりとか。旅行に行ったりしてて。その時期には、元気ではなかったから、お父さんと時間過ごせれば良いのかなって思って。

去年、ハワイに行った時に…5月とか6月、今から1年前、お父さんとハワイに行ってんだよね(笑)それでハワイに行く前に、喉頭癌になったって。2~3日前にどうするって話になったら、お父さん「行かない」って。親父が行かなかったら、俺ら行ってもしょうがないから、「キャンセル料とかしょうがないか」って。

そしたら、違う病院に行ったら、「明日、明後日亡くなるってことではないんで」ってことで、ハワイに行ったのかな。

元気だったんですけどね。2日連続でゴルフに行ってたからね。プールも行って。俺とパパは、2人部屋だったかな。それで、酒もちょこちょこ飲むのよ。飲んじゃいけねぇなんつってて。朝ご飯も和定食とかホテルにあったから、食べながら、バルコニーに行くのよ。バルコニーにホテルマンが運んでくれて。それが良くて。

でも、ウチのジジイ、6時とか5時半に起きるから(笑)「その時間からメシ食おうぜ」って言うのよ。「昨日、12時まで遊んでたじゃんか」って(笑)

それでハワイから帰ってきて。手術したのが、8月とかかな。色んなやり方があるって聞いて。8月に、丸々3ヶ月入院してて。飲まず食わず、喋れずの100日間。これは辛かったね。もう、何もやってあげれないからさ。

2日に1回、3日に1回くらい行って。そっからは筆談で。手術した後、退院して食べれるようになるまで、水を飲めるようになるまで、食べたものが気管に入ってしまう、その導線が塞がらないってことで。その間に、4回また手術してんのに。

喉頭癌の手術で、喉をとっちゃうってことで、喉仏のところが丸々2 cmポッカリ空いちゃうんだよ。空気が漏れるから、喋ることもできない。次に食べるためにってことで、手術したんだけど、上手くいかなくて。3~4回くらい手術したかな。最後は、胸の肉を喉に移植して。腿の肉を移植するとか。大きい手術を何回か繰り返したんだけど。

やっぱり、お父さんも気持ちがもたなくなるんだよ。食べたいし、飲みたいし。体重もみるみる内に落ちて。食べてないから、点滴の生活だから痩せていって。80 Kg近くあったのが、肺の摘出で70 kg、すぐに50 Kg台になって、40 Kg台になって。

一回、お茶の許可が出たのよ。「お茶飲めます」って。「やったじゃん!冷たいのが良い?温かいのが良い?」って言ってて。その経過が良ければ、ご飯も食べれるって。3~4日後に検査の日があって。「本当に、申し訳ありません。水分もストップさせてください」って。「またストップすんの?」って。

お父さんも、「もういい…」って。その間もずっと筆談で、「食べれるようになったら、何を食べたいか」リストみたいなのを書いてて(笑)「サンマ定食、とんかつ、ラーメン、刺し身、イカの握り」とかさ(笑)

「親父の好きな物、全部、朝から晩まで食わせてやる」とかって話をしてたんですけどね。でも、親父は「もういい」って。「だけど、最後、もう一回頑張ってみよう」って。それが5回目だったのかな。水の許可が出て、検査したら「ご飯、食べれますよ」って。それが90何日ぶりだったかな。

おかゆ食べて。その4~5日後に退院許可も出て。11月末から12月くらいで。退院の日に、みんなでお寿司を食べに行ったのかな。お祝いだって。「やっぱ寿司だべ」って。ホテルのお寿司屋さんとって、「好きなだけ食おうぜ」って。

でも、冬になって乾燥してくると、喉に痰が詰まって、そこが固まると呼吸できなくなっちゃうのね。だから、濡れてる間に、ストローかなんかで、吸い取らないといけないの。それをこまめにやらないといけなくて。1日1回でいいかなって思ってたんだけど、それが2回、3回とやらなきゃダメだなってなって。

退院祝いの日、ウチでトランプかなんかしてたら、「しんどい」って。また救急車乗って病院行って。痰をとって。その繰り返しだったかな。

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