TOP単発番組 ≫ ピクサーと一時は没落したディズニーのアニメスタジオとの違い「現場主導で自由にアイデアを出せる環境の重要性」

ピクサーと一時は没落したディズニーのアニメスタジオとの違い「現場主導で自由にアイデアを出せる環境の重要性」

2014.11.25 (Tue)
2014年11月24日放送のNHKの番組『魔法の映画はこうして生まれる~ジョン・ラセターとディズニー・アニメーション~』にて、ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ及びピクサー・アニメーション・スタジオ両スタジオのチーフ・クリエイティブ・オフィサーであるジョン・ラセターが、ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオを一度は解雇されながらも、復帰するまでの道のりについて語られていた。

トイ・ストーリー
トイ・ストーリー スペシャル・エディション [DVD]

ジョン・ラセター氏の断たれた夢

ナレーション:幼い頃から、ディズニーアニメーションの虜だった、ラセターさん。10代の頃には、「ディズニー・スタジオで働く」と心に決めていたと言います。

その後、芸術大学で4年間、みっちりとアニメーションを学び、22歳の時、晴れてアニメーターとして入社を果たしました。

手描きを極めたベテランアニメーターの薫陶を受けながら、いくつかの作品に携わりました。ディズニーの伝統に触れながら、アニメーターとして着実に腕を磨いていきました。

そんな彼が転機を迎えたのは、24歳の時。友人が観せてくれた新作映画『トロン』に衝撃を受けます。そこには、実写と合成された、最新のCGが使われていたのです。ラセターさんは思いました。この技術を使って、新しいアニメーションを作りたい、と。

ジョン・ラセター:初めてCGアニメーションの映像を観た時、これはディズニーに新しい風を吹き込めると思ったので、上司に提案し続けました。興味深いことに、言えば言うほど、反対されました。

ナレーション:当時、ディズニーのアニメーションスタジオは、ウォルターが亡くなって16年、映画の制作本数も減り、保守的になっていた経営陣は、ラセターさんの提案に、耳を傾けようとはしませんでした。

ある日、こんな通告を受けました。「君との契約を、終了する」と。

ジョン・ラセター:衝撃的な出来事でした。私にとってディズニーで働くことは、人生の夢で、努力を重ねて実現したのです。周囲の誰もが誇りに思ってくれていました。それなのに、自分の夢だった場所から、追放された。しかも、良い映画を作ろうとしたために辞めさせられる。激しく動揺しました。

あまりのショックに、周囲に何年も話せませんでした。妻のナンシーにすら言えませんでした。解雇のことを話せるようになったのは、ここ数年のことです。

ピクサー(PIXAR)の立ち上げ

ナレーション:失意の日々を送る26歳のラセターさんのもとに、「一緒にやらないか」と声を掛けてきた人物がいました。CGアニメーションの先駆者の一人、エド・キャットムルさんでした。

キャットムルさんのもとで、ラセターさんはCGアニメーションの短編作りに没頭しました。3年後、完成したのが、電気スタンドの親子を描いた物語(『ルクソーJr.』 )です。

無機物の電気スタンドに、人間の感情が宿ったかのような作品は、映像関係者の中で、評判となります。

ジョン・ラセター:CGの見本市で上映した時、CGアニメーションの第一人者、ジム・ブリンが話しかけてきたのです。「親の電気スタンドは、お父さん、お母さん、どっちなの?」ってね。コンピュータで作ったとかは関係なく、物語として認められたのです。作品を観た人が、電気スタンドと恋に落ちたのです。

ナレーション:この年、ラセターさんとキャットムルさんたちは、小さな会社を立ち上げていました。名前は、PIXAR。そこに、投資家として加わっていたのが、Appleコンピュータの創始者、スティーブ・ジョブズさん。経営方針の違いから、会社を追われたばかりでした。

PIXARという場と、力強い仲間を得たラセターさんは、34歳の時、初の長編作品の監督に挑みます。世界で初めて、全てを3DCGで作る『トイ・ストーリー』です。ラセターさんとスタッフたちは、キャラクターの人形を作ることから始め、3DCGの新しい表現を開拓していきます。

同時に、魅力的なストーリー作りにとりかかります。テーマは、いつかは飽きられて遊ばれなくなるというオモチャの心情。オモチャに、どんな人格を与えられるか、どうすれば魅力的なストーリーになるか。来る日も来る日も、議論はつづきました。

スタッフがそれぞれの担当を超えて議論に加わり、アイデアを出し合い、ストーリーを練り上げました。制作開始から4年、映画は完成の日を迎えます。1995年『トイ・ストーリー』は世界中で大ヒットを記録。ラセターさんは、アカデミー賞の特別業績賞を受賞しました。

ジョン・ラセター:2週間、会社に泊まり込み、徹夜で作業しました。死ぬ覚悟で取り組みましたよ。ストーリーにこだわりぬき、少人数で完成させたのです。素晴らしい出来栄えでした。私達は、やりきったのです。

ナレーション:その後も、ラセターさん率いるPIXARのチームは、3DCGを駆使して、次々にヒット作(『ファインディング・ニモ』『モンスターズ・インク』)を生み出していきます。

ラセターさんは同時に、映画の制作がしやすい、環境作りに着手し始めました。

ジョン・ラセター:オフィスルームを、自分の自由に飾り付け、改装できます。これこそがPIXARの自由な発想の源。本当に大事にしていることの象徴なのです。創造的なスタジオであるためにね。

ディズニーへの返り咲き

ナレーション:会社を解雇されながら、どん底から這い上がり、世界的なヒットメーカーとなったラセターさん。2006年、彼のもとに、驚くべき依頼が舞い込みます。ディズニーから、「現場のトップとして、映画作りを率いて欲しい」と言われたのです。

屈辱の解雇から、23年後のことでした。盟友 エド・キャットムルさんが、新社長に就任。ラセターさんは、PIXAR、ディズニー双方でアニメーション作りの統括責任者を務めることになりました。

しかし、当時のディズニーは、深刻な状態に陥っていました。アニメーション部門は、CG化への転換が上手くいかず、閉鎖するという声すら上がっていたのです。映画作りは、経営陣主導で、制作現場は、活力を失っていました。

ジョン・ラセター:監督たちと話をすると、ビックリするようなことを言い始めたのです。「アニメーションが分からなくなった。自分たちの直感を信じられなくなった。面白いものはこれなのだ、と決断する能力が無くなってしまった」というのです。

ナレーション:ラセターさんは、PIXARで培ったやり方を、ディズニーにも持ち込みます。他の映画のスタッフも交えた、ストーリー作りの会議。自由に物が言える雰囲気作り。そして、スタッフたちに、繰り返し語りました。

「主役は、君たちだ。経営者が映画を作るんじゃない。クリエイターが作るんだ」と。

ジョン・ラセター:私は現場のトップですが、命令でやらせようと思ったことはありません。私の意見が話し合いの出発点となり、協力体制ができ、みんなのアイデアの土台となれば良いな、と考えています。

ここにいるのは、子供の頃からアニメーションを志してきた人ばかりです。そしてアニメーションは、世界で一番素晴らしい芸術。私はここを、そう思える場所にしたいのです。

ナレーション:その後ディズニーは、CGアニメーションで見事な復活を遂げます。90年前にできた老舗のスタジオが、世界でも最先端の映像作品を作るスタジオに生まれ変わったのです。

【関連記事】
ジブリ鈴木敏夫が語る「ディズニー映画の子供向けから若い女性向けへ転換」

伊集院光×ジブリ・高畑勲監督「リアルさの追求ではないアニメの進化」

ジブリ鈴木敏夫が語る「ディズニー映画の子供向けから若い女性向けへ転換」


同番組の過去記事



  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

タグ : ジョン・ラセター,ピクサー,,

トップページへ  |  この記事へのリンク  |  単発番組
次の記事:伊集院光、ラジオ放送がタイムシフト化した時の要望「生で聴く人が得する仕組みにして欲しい」

前の記事:伊集院光、小4を騙った『どうして解散するんですか?』をツイッターで紹介されたことについて「訂正・謝罪してくる人いない」