カテゴリ:サンドウィッチマンのANN の記事一覧
2011/03/20 サンドウィッチマンが語る「被災した実体験」
2011/03/19 サンドウィッチマンが語る「被災者の方々へのメッセージ」
2011/03/19 サンドウィッチマン「芸人になって叶えたかった夢」
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サンドウィッチマンが語る「被災した実体験」
2011.03.20 (Sun)
2011年03月18日放送の「サンドウィッチマンのオールナイトニッポン」にて、サンドウィッチマン・伊達みきお、富澤たけしが被災した実体験について語っていた。

伊達「我々の1週間は、本当に考えることが多くて。3月11日は、気仙沼で東北放送『サンドのぼんやり~ぬTV』って、冠番組なんですけど。そのロケを気仙沼でやってて、たまたま気仙沼の漁港で地震に遭いまして、その一時間前を岩井崎って気仙沼で有名な潮吹き岩があるところでロケやってまして」
富澤「うん、うん」
伊達「景色がうつくしいところで、僕もブログにアップして。見事な水平線だって」
富澤「あそこ、高校の時にラグビーの試合で行ったところだよな」
伊達「近くに気仙沼向洋高校があって、そこに試合しに行って」
富澤「遠征試合に行って、泊まって思い出のあるところですけど」
伊達「懐かしいなって言ってて。それで、地震に遭いまして。東北放送のスタッフの指示で、山に登ろうと。気仙沼の鞍馬山っていう200 mちょっとの山があるんですけど、その5合目まで避難しまして」
富澤「100 mちょっとのところでね」
伊達「そこで津波の光景を見たんですけど…まぁ、酷かった。これが現実なんだろうかって…酷い惨状でした。二度と忘れられない光景でしたね」
富澤「なにせ、揺れが経験したことのない揺れが来て、すぐに信号も停まって、サイレンが鳴って。色んな観光地でもありますから、そういう人もいっぱいましたけど、みんな出て来て。僕らはスタッフさんの指示で山に登ったんですけど、建物の上の方に上ってる方もいましたね」
伊達「お土産屋さんの2階に上ってる方もいましたし。…僕らは全部見ました。目に焼き付けてね」
富澤「地震直後は電話もメールもできたんですけど、ちょっとして山登ったくらいかな。15分くらいで」
伊達「地震があって15分後くらいに、気仙沼市街、海が見渡せる位置だったんです」
富澤「すぐにメール、電話が通じなくなりまして。ただ、ブログには書き込みができたんで」
伊達「不思議だよな。俺も今でも考えられないんだけど。通話はできない、メールもできない。だけど、ブログのサイトには行けるっていう」
富澤「みんな殺到するんだろうね。大丈夫かっていう確認をして、その瞬間にネットに繋ぐ人って少ないんじゃないだろうか」
伊達「だから、僕らのブログに『無事ですよ』って、安否を知らせたくてアップして。無事だよって誰にも伝えられないもどかしさってあったんですよ」
富澤「そう」
伊達「今も、そう言う方もいらっしゃると思います。電波が入らないとかね」
富澤「充電が切れたりね」
伊達「充電な。あれひどかったな。充電ができないんだよ」
富澤「だから、俺が持ってて助かったろ?」
伊達「お前、充電器いくつ持ってるの?」
富澤「3つ」
伊達「乾電池のやつな」
富澤「僕は嫁さんと1日50回メールしますから、持ってるわけですよ」
伊達「もうちょっと持ってて欲しかったけどね。それでも全部切れちゃったから」
富澤「まぁね(笑)」
伊達「7~8個ね」
富澤「7~8個持ってるやついないでしょ(笑)」
さらに、以下のように語っていた。

伊達「我々の1週間は、本当に考えることが多くて。3月11日は、気仙沼で東北放送『サンドのぼんやり~ぬTV』って、冠番組なんですけど。そのロケを気仙沼でやってて、たまたま気仙沼の漁港で地震に遭いまして、その一時間前を岩井崎って気仙沼で有名な潮吹き岩があるところでロケやってまして」
富澤「うん、うん」
伊達「景色がうつくしいところで、僕もブログにアップして。見事な水平線だって」
富澤「あそこ、高校の時にラグビーの試合で行ったところだよな」
伊達「近くに気仙沼向洋高校があって、そこに試合しに行って」
富澤「遠征試合に行って、泊まって思い出のあるところですけど」
伊達「懐かしいなって言ってて。それで、地震に遭いまして。東北放送のスタッフの指示で、山に登ろうと。気仙沼の鞍馬山っていう200 mちょっとの山があるんですけど、その5合目まで避難しまして」
富澤「100 mちょっとのところでね」
伊達「そこで津波の光景を見たんですけど…まぁ、酷かった。これが現実なんだろうかって…酷い惨状でした。二度と忘れられない光景でしたね」
富澤「なにせ、揺れが経験したことのない揺れが来て、すぐに信号も停まって、サイレンが鳴って。色んな観光地でもありますから、そういう人もいっぱいましたけど、みんな出て来て。僕らはスタッフさんの指示で山に登ったんですけど、建物の上の方に上ってる方もいましたね」
伊達「お土産屋さんの2階に上ってる方もいましたし。…僕らは全部見ました。目に焼き付けてね」
富澤「地震直後は電話もメールもできたんですけど、ちょっとして山登ったくらいかな。15分くらいで」
伊達「地震があって15分後くらいに、気仙沼市街、海が見渡せる位置だったんです」
富澤「すぐにメール、電話が通じなくなりまして。ただ、ブログには書き込みができたんで」
伊達「不思議だよな。俺も今でも考えられないんだけど。通話はできない、メールもできない。だけど、ブログのサイトには行けるっていう」
富澤「みんな殺到するんだろうね。大丈夫かっていう確認をして、その瞬間にネットに繋ぐ人って少ないんじゃないだろうか」
伊達「だから、僕らのブログに『無事ですよ』って、安否を知らせたくてアップして。無事だよって誰にも伝えられないもどかしさってあったんですよ」
富澤「そう」
伊達「今も、そう言う方もいらっしゃると思います。電波が入らないとかね」
富澤「充電が切れたりね」
伊達「充電な。あれひどかったな。充電ができないんだよ」
富澤「だから、俺が持ってて助かったろ?」
伊達「お前、充電器いくつ持ってるの?」
富澤「3つ」
伊達「乾電池のやつな」
富澤「僕は嫁さんと1日50回メールしますから、持ってるわけですよ」
伊達「もうちょっと持ってて欲しかったけどね。それでも全部切れちゃったから」
富澤「まぁね(笑)」
伊達「7~8個ね」
富澤「7~8個持ってるやついないでしょ(笑)」
さらに、以下のように語っていた。
サンドウィッチマンが語る「被災者の方々へのメッセージ」
2011.03.19 (Sat)
2011年03月18日放送の「サンドウィッチマンのオールナイトニッポン」にて、サンドウィッチマン・伊達みきお、富澤たけしが被災した実体験について語っていた。

伊達「被災地のみんなにもね、この放送が届いていると信じております。避難所で聴いている方もいらっしゃるんじゃないかと思いますけどね」
富澤「うん」
伊達「あれから1週間経ちますけど、状況も変わってきて、今、避難所にいる人たちが28万人。まだまだ多いです」
富澤「う~ん」
伊達「でも、日に日に減ってるんですよ。それはニュースを見ながら思うんですけど、減ってきているな、と」
富澤「そうですね」
伊達「ウチの実家の近くの母校も、2,000人避難してたんですよね。小学校に。その避難所も、今日で終わったそうですから」
富澤「家に帰ったの?」
伊達「そうなんですよ。比較的、津波の被害も受けていませんしね。海沿いの被災地っていうのは、まだまだ避難所生活となっていると思います。正直、長い戦いになると思います」
富澤「そうですね。1年2年じゃないと思いますよ」
伊達「素晴らしい三陸海岸、また元に戻って欲しいという願いもありますし、みんながそれぞれ元気な人が手伝ったりしないと」
富澤「うん」
伊達「みんなで復興するワケだから」
富澤「下ばっかり向いていても、日本がダメになっちゃいますからね。元気にいかないといけないですよ」
伊達「そういう方に、特に聞いて欲しいですね。…安否の確認できない方々もいっぱい、いらっしゃいますし、毎日、亡くなっている方の人数も増えてますからね。それも心配です…今、原発もあるしね」
富澤「今後、どうなるのかはっきり分からない状態ですからね」
伊達「僕のやってるブログも、ここにきて芸能人ランキング1位とか、なんだろうね。この複雑な…結婚したときよりもコメントが多い」
富澤「そうやって、色々メッセージくれて嬉しいし、励みになるし。みなさんの状況も分かって良いんですけど、そんなときでも俺のことを『宮澤さん』って書いてくる人が…富澤なんですよ」
伊達「まだいるんだ。俺も今日、コメントに"伊藤さん"って書かれてて」
富澤「"伊達"ですからね。あと、俺のブログに"伊達さんありがとうございます"って…」
伊達「急にテンション下がるからね。…でも、色んな所から被災地を応援してくれてるところですし、自衛隊の方々、全国各地の消防団、そして救急車に乗ってる方とか、僕らもいろいろ仙台で全国の車とすれ違いましたけど」
富澤「全国各地からトラックが来ていて、すごく心強かったね」
伊達「すれ違う度に『お願いします!』って言ってました。ブログのコメントをみていると、いわき市が原発が近いということもあって、救援物資がなかなか届かないというコメントも多いし。さきほどNHKを見ていたら、いわき市の市長が『届いていない』って言ってて。原発の影響で、放射能が怖くて近づけないんじゃないか、とね。でも、住んでいる人いっぱいいるわけですから」
さらに、以下のように語っていた。

伊達「被災地のみんなにもね、この放送が届いていると信じております。避難所で聴いている方もいらっしゃるんじゃないかと思いますけどね」
富澤「うん」
伊達「あれから1週間経ちますけど、状況も変わってきて、今、避難所にいる人たちが28万人。まだまだ多いです」
富澤「う~ん」
伊達「でも、日に日に減ってるんですよ。それはニュースを見ながら思うんですけど、減ってきているな、と」
富澤「そうですね」
伊達「ウチの実家の近くの母校も、2,000人避難してたんですよね。小学校に。その避難所も、今日で終わったそうですから」
富澤「家に帰ったの?」
伊達「そうなんですよ。比較的、津波の被害も受けていませんしね。海沿いの被災地っていうのは、まだまだ避難所生活となっていると思います。正直、長い戦いになると思います」
富澤「そうですね。1年2年じゃないと思いますよ」
伊達「素晴らしい三陸海岸、また元に戻って欲しいという願いもありますし、みんながそれぞれ元気な人が手伝ったりしないと」
富澤「うん」
伊達「みんなで復興するワケだから」
富澤「下ばっかり向いていても、日本がダメになっちゃいますからね。元気にいかないといけないですよ」
伊達「そういう方に、特に聞いて欲しいですね。…安否の確認できない方々もいっぱい、いらっしゃいますし、毎日、亡くなっている方の人数も増えてますからね。それも心配です…今、原発もあるしね」
富澤「今後、どうなるのかはっきり分からない状態ですからね」
伊達「僕のやってるブログも、ここにきて芸能人ランキング1位とか、なんだろうね。この複雑な…結婚したときよりもコメントが多い」
富澤「そうやって、色々メッセージくれて嬉しいし、励みになるし。みなさんの状況も分かって良いんですけど、そんなときでも俺のことを『宮澤さん』って書いてくる人が…富澤なんですよ」
伊達「まだいるんだ。俺も今日、コメントに"伊藤さん"って書かれてて」
富澤「"伊達"ですからね。あと、俺のブログに"伊達さんありがとうございます"って…」
伊達「急にテンション下がるからね。…でも、色んな所から被災地を応援してくれてるところですし、自衛隊の方々、全国各地の消防団、そして救急車に乗ってる方とか、僕らもいろいろ仙台で全国の車とすれ違いましたけど」
富澤「全国各地からトラックが来ていて、すごく心強かったね」
伊達「すれ違う度に『お願いします!』って言ってました。ブログのコメントをみていると、いわき市が原発が近いということもあって、救援物資がなかなか届かないというコメントも多いし。さきほどNHKを見ていたら、いわき市の市長が『届いていない』って言ってて。原発の影響で、放射能が怖くて近づけないんじゃないか、とね。でも、住んでいる人いっぱいいるわけですから」
さらに、以下のように語っていた。
サンドウィッチマン「芸人になって叶えたかった夢」
2011.03.19 (Sat)
2011年03月18日放送の「サンドウィッチマンのオールナイトニッポン」にて、サンドウィッチマン・伊達みきお、富澤たけしが被災した実体験について語っていた。

伊達「東日本大震災から1週間ですね」
富澤「そうですね」
伊達「ちょうど、先週の今頃、気仙沼で僕らは夜を明かしていたんですよね。毛布一枚にくるまって。気仙沼でロケ中に地震に遭いまして、そこから津波で逃げて、ホテルのロビーにいまして」
富澤「普通のホテルですよ」
伊達「そんな、誰も勘違いしないよ。駅前のホテルに避難させていただいて、毛布一枚借りて朝を迎えたワケですけど」
富澤「別々の毛布ですよ。勘違いされちゃうからね」
伊達「勘違いしないよ、誰も。そんなところから、1週間経ちまして、無事に今、オールナイトニッポンやらせていただいているんですけど。急だよね」
富澤「急だよね」
伊達「昨日なんですよ、話がきたの。AKBも大変だろ。『やっぱり私たちがやればよかった』みたいなね」
富澤「ファンはそういう風に思うのかもしれませんけどね」
伊達「そうだね、ファンは『お前ら、誰なんだ』みたいなね」
富澤「正直、複雑ですけど」
伊達「オールナイトニッポンやるっていうのは、富澤との14年前の約束ですからね」
富澤「僕が伊達をお笑いに誘ったんですけど、その時に、いくつか願いを叶えると。それで、色々書いてありまして。たとえば、『Vシネマに出る』とかね」
伊達「食べ物のCMに出る、とかね。こういう車に乗れるようになる、とかね。その中に、『オールナイトニッポンをやらせる』っていうことがあって」
富澤「それが今日、叶っているっていうね」

伊達「東日本大震災から1週間ですね」
富澤「そうですね」
伊達「ちょうど、先週の今頃、気仙沼で僕らは夜を明かしていたんですよね。毛布一枚にくるまって。気仙沼でロケ中に地震に遭いまして、そこから津波で逃げて、ホテルのロビーにいまして」
富澤「普通のホテルですよ」
伊達「そんな、誰も勘違いしないよ。駅前のホテルに避難させていただいて、毛布一枚借りて朝を迎えたワケですけど」
富澤「別々の毛布ですよ。勘違いされちゃうからね」
伊達「勘違いしないよ、誰も。そんなところから、1週間経ちまして、無事に今、オールナイトニッポンやらせていただいているんですけど。急だよね」
富澤「急だよね」
伊達「昨日なんですよ、話がきたの。AKBも大変だろ。『やっぱり私たちがやればよかった』みたいなね」
富澤「ファンはそういう風に思うのかもしれませんけどね」
伊達「そうだね、ファンは『お前ら、誰なんだ』みたいなね」
富澤「正直、複雑ですけど」
伊達「オールナイトニッポンやるっていうのは、富澤との14年前の約束ですからね」
富澤「僕が伊達をお笑いに誘ったんですけど、その時に、いくつか願いを叶えると。それで、色々書いてありまして。たとえば、『Vシネマに出る』とかね」
伊達「食べ物のCMに出る、とかね。こういう車に乗れるようになる、とかね。その中に、『オールナイトニッポンをやらせる』っていうことがあって」
富澤「それが今日、叶っているっていうね」
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